ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行⑤ 2日目(後半)=清渓川文化館と板子家見学後、例の大デモ。直に見たら緊迫感ナシのお祭りムード!

2016-12-21 17:25:29 | 韓国旅行の記録
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行① 1日目(前半)=閑散としていた朴正熙記念図書館>
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行② 1日目(後半)=安倍首相とのかすかな接点(??)>
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行③ 2日目(前半)=市庁の地下にある遺跡→九老工団生活体験館>
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行④ 2日目(前半のつづき)=大林洞の中華街は、中華料理というより中国朝鮮族料理の街>

○11月26日(土) 後半

 しばし教大駅近くのピジュンで餅菓子を食べながら午後3時頃までマッタリ。雪の降りは積もるほどではないものの、ふつうの革靴ではぬかるんでいる坂道は危険があぶないし・・・、本日のメーンイベント(?)の大デモまでは時間があるし、じゃあどこ行くか?ということでふと思いついたのが清渓川文化館。ここもまた、行くにしても1人で行くしかないな、と思っていた観光ポイントでもない諸施設を口にすると全然難色を示すことなく「そこ、行こう」となるのが畏友Y氏です。

 地下鉄2号線龍頭(ヨンドゥ)を出るとすぐ清渓川の橋(古山子橋というのか)。
 ここまでくると、起点の世宗大路近くの「都心のオアシス」といった雰囲気とは全然違った相貌です。
 ※右画像は、古山子橋から西の方の眺望。

 雪はもうほとんど止んでいます。川沿いの道を少し歩いて文化館に到着(下左)。道路を挟んで向かいに付属施設の復元した清渓川板子家(パンジャッチプ)体験館があります(下右)。
 ※板子家(반잣집)とは、かつて川沿いに密集していたバラックのこと。→関係過去記事

     

 館内の展示物は清渓川復元工事関係のものが比較的多い感じ。概容は→ソウルナビの記事を参照されたし。
 で、私ヌルボの関心はというと、清渓川自体よりも、近代以降現代に至るまでこの川辺で暮らしていた人々の生活史です。
 展示物の中に、かつての川辺の家々のとても精緻な模型がありました。
       
 よく見ると、川辺で洗濯をしている女性、屋根の補修をしている(?)人、遊んでいる子供たち等々いろんな人たちがいて、また唐辛子が干してあったり甕が置いてあったりと、実に手が込んでいます。

 そして、各時期の多くの写真が展示されています。(左の写真は1903年のもの。)
  その中にあったのが野村基之さんという人の撮った写真(右)。私ヌルボ、この人の名前を知りませんでした。→コチラの記事によると職業はカメラマンではなく牧師で、1970~80年代に清渓川等で貧民救済活動を行い、「清渓川貧民の聖者」と呼ばれている人で、2013年にソウル市の名誉市民証を受賞したとのことです。また→コチラの記事には、写真10数枚とともに彼自身の証言等が掲載されています。



 なお、日本の統治時代この清渓川の川辺に生きる庶民の哀歓を綴った小説が戦後越北した作家・朴泰遠(パク・テウォン)「川辺の風景」(作品社)です。(これはざっと流し読みした程度なので読み直さなければ・・・。) ※ついでながら、映画監督のポン・ジュノは南側に残った朴泰遠の次女の息子。




 約30分駆け足で館内を観て回った後、向かいの清渓川板子家体験館へ。右画像のように川の方に張り出した、かなり危なっかしい建物です。が、昔の板子家と比べるとはるかに頑丈そうなつっかい棒です。(昔は崩壊事故はなかったのかな?)

 中に入ると、意外なほど大勢の人が来ていました。
 70年代頃の日用品や教科書、漫画本等々が展示されています。
 愛想の好さそうな案内のアジュマがいて、ちょこっと昔の話を聞いたりしました。

         
 漫画本がたくさん!(ピンボケですみません。) 時間があれば読んでみたかったな。その本棚の前には昔の教科書。
            
 思い出の教室。横には時間割。算数が週5回で最多、次が国語の4回。道徳が3回というのは多いですね。日本の理科に相当する科目は韓国では「自然」です。その右の画像は朴正熙記念館にもあった「国民教育憲章」(1968)です。
 ※この清渓川板子家体験館の展示品の写真は→コチラの韓国記事に多数載っています。
 
 午後5時過ぎに出て、西側の橋を渡って対岸の道から龍頭駅に戻りました。

 さあ、次はいよいよ大デモだぞっ、と私ヌルボがとくに入れ込むこともないのですが・・・(笑)。
新設洞で1号線に乗り換えたのは5時半頃。案の定の混みようで東大門からはすし詰め状態。出で立ちで一目瞭然の人もそうじゃない人も、乗客ほとんどはデモ参加者。鐘閣で降りた人も大勢、またヌルボたちのように市庁で降りた人も大勢。改札を出ると人の波。
 地上に出るとやっぱり人、人、人。
     
 ソウル広場で座り込んでいる人たち(上左)。演説よりもまず耳に飛び込んできたのは歌声。いろんな方向から聞こえてきます。
 人の流れにしたがって景福宮方向に歩いて行くと、目についたのは子連れの家族の多さ。手をつないだり(上右)、中には肩車をしているお父さんもいます。
      
 私ヌルボ、来る前から気になっていたり、知人から「現地で確かめてよ」と言われていたこと等がいくつかありました。その1はニュースでもよく見るあの人たつが手に持っている主張・要求が記された紙。昨年の安保関連法案反対デモの時の「アベ政治を許さない」は金子兜太さんの書いたものを各自がプリントアウト(&コピー)したりして持参したのですが、今回の韓国の大デモはやっぱり野党側が大量に用意して現地で配布していました。
 上左は第1野党の共に民主党のビラ配布所。赤色と青色がありますが、同じ紙の裏表です。
 それから、あの大量のローソクはどこで買うかというと、ここかしこで売っていました(上右)。1本千ウォン(約100円)。団体によってはまとめてメンバーに配ったりもしているのかな? また火を点けるローソクではなく、ローソクのような形のペンライト(?)も売られていました。(2千ウォン。)
 ※ローソクデモは2008年の狂牛病関連の米国産牛肉輸入再開反対デモが最初と思っていましたが、→コチラ
の記事によると2002年楊州で起こった米軍装甲車により女子中学生2人がひき殺された事件に対する非難・抗議デモが最初とのことです。

 また、「こんなに大勢の人たちのトイレ事情はどうなってるの?」という調査依頼(?)がありましたが、これは直接には未確認のまま。ただ、→コチラの記事(韓国語)によるとスマホでいろんな便利情報が出回っているようですね。集会場所の他、トイレ、コンビニ、緊急施設等々。とくにスマホがキャンドルになるというアプリはすごく利用されているようですよ。左画像はソウル広場周辺のトイレ地図。右のリストには各トイレの開放時間帯も記されています。常時使用可能のトイレは5ヵ所。これは旅行者も活用できますね。※この地図の出所は→コチラです。
 要するに、大勢の人たちの心配事や要望があれば、ちゃんとそれに応えるようになっているということです。
 それにしても、緊迫感ナシのデモで雰囲気はむしろお祭り。韓国メディアは保守紙も含めて自讃していて、それはわからないでもありませんが、何か別の問題もありそうな・・・。

 タラタラと歩いて、やっと前方に李舜臣像が見えてくるあたり(右)まで来て、これ以上やじ馬的に歩いてもなんだかなー、腹も減ったし・・・ということで集団から離れます。といっても道路脇も、少し離れた道も人が多いのは同じ。どこまでがデモ参加者に算定されるのか本人でさえわかってないという人も多かったと思います。

 というわけで、教保ビルの手前から東、つまり鍾路の通りに出てみると・・・。
        
 おおっ、車が通ってない! ・・・考えてみれば世宗大路は横切れないから当然ではあるんですけどね。鐘閣方面、YMCAの前あたりも車道に人が大勢。デモ参加の集団もいます。
 
 別に戦をするわけじゃなくても腹が減っては何もできません。何か食べよう、・・・とサムギョプサルの食堂を物色するもどこも客がいっぱい。
何とかムハンリプル(무한리필)という店に入ったところ、9900ウォンで肉だのキムチだの野菜だのが2時間内で무한리필=おかわり自由とあって若い人たちが大半の店でした。
 この2階の店に上がる階段の踊り場に昔の写真が満載されているパネルがありました(右)。説明等はナシ。ちょっと気になって撮ったものをそのまま貼っておきます。

 さあ、これであとはホテルに帰って寝るだけだ~! この日も長い1日だったなー・・・。



             
左から、共に民主党「朴槿恵大統領 退陣せよ!」、同「朴槿恵大統領 厳重捜査!」、国民の党「朴槿恵 退陣」、同「朴槿恵 弾劾」


           
 上はソウルの声(서울의 소리)という進歩系メディアのチラシ。「親日反逆者清算は歴史的義務」という言葉があったり、裏面には「高木正雄(朴正熙の日本名)の実体」という大きな見出しに、昔の日本軍によるおぞましい写真が・・・。(今回の事態とどんな関係があると?)