ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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[無定見(笑)・大阪の旅] 韓日食博、王仁、新発見の高麗青磁、格安ホテル等々(その3)

2015-11-18 21:13:31 | 韓国・朝鮮関係の知識教養(歴史・地理・社会等)
 → <[無定見(笑)・大阪の旅] 韓日食博、王仁、新発見の高麗青磁、格安ホテル等々(その2)>

 地下鉄淀屋橋で降りると、その近辺から中之島辺りは格調高い建物が目につきます。横浜の関内一帯にもいろいろ歴史的建造物はありますが、開国までは寒村だった横浜に比べると大阪の街は風格を感じさせます。
     
 大阪倶楽部(上左)。その隣りには、和菓子の老舗(1702年創業)鶴屋八幡の本店。ここにあったのか。御堂筋を挟んで大阪市役所の向かいには辰野金吾設計の日本銀行(上右)。
     
 市役所の東隣りが半世紀前受験生時代の宮本輝が通ったという中之島図書館、そしてその隣りが<日本赤煉瓦建築番付>(→コチラ)で西の横綱にランクされている中央公会堂(上左)です。栴檀木橋を渡ると北浜。すぐ目に入るのが大阪取引所(上右)。

③東洋陶磁美術館
 おっと、この日の目的地は橋を渡らず、公会堂の東にある東洋陶磁美術館(下左)でした。
     

 ここでも<日韓国交正常化50周年記念>と銘打って<新発見の高麗青磁>という特別展が開かれている(~11月23日)ということなので、久しぶり(10年ぶりくらい?)に入ってみることにしました。
 ところで、<新発見の・・・>といっても、ふつうの日本人で、それらがどこから新たに発見されたか見当がつく人がどれほどいるでしょうか? ポスター(右)を見ると青磁の獅子の上に「韓国水中考古学成果展」、下に「海深く、眠り里続けた謎が、いま、目を覚ます。」と書かれているのでおよそはわかります・・・かねー??
 つまりは、何百年も前に海に沈んだ船が近年発見されて発掘調査が進められ、多くの貴重な陶磁器が発見され、それも美術作品としてすばらしいものがワンサカあるということです。
 私ヌルボも、そんなに深い知識があったわけではなく、知っていたのは新安船のことだけです。1976年全羅南道新安郡の沖合で発見された沈没船から中国南宋・元時代の陶磁器等が大量に引き揚げられ、それを基に国立光州博物館が開設されたこと、その後木浦にも国立海洋遺物展示館が設けられて、その新安沈没船が保存・復元されていること等です。
 ※説明文によると、新安船は1323年寧波を出港し博多に向かった中国船で、約2万点にも及ぶ陶磁器を積載していたそうです。
 しかし、今回の展示物を見て、新安船以降もけっこう多くの沈没船が発見・調査されていることを知りました。美術館の館内は撮影禁止だったので、メモをたよりに展示されていた関係地図と同様のものを作成してみました。
 ①新安船(1975~81)  ②莞島船(1983~84)  ③珍島船(1992)  ④達里島船(1995)  ⑤安佐島船(2005)  ⑥十二東波島船(2003~04)  ⑦大阜島船(2006)  ⑧泰安船(2007~08)  ⑨馬島1号船(2009)・馬島2号船(2010)・馬島3号船(2011)
 ※上記中、②⑥⑧は高麗青磁だけを積載していた。

 また、私ヌルボがこれまで誤解していたのは、船の沈没していた場所。「沈没船が発見された」というと、海岸線からはるか離れた、かなり深い海底から・・・となんとなく思っていたのですが、全然そうではないのですね。
 朝鮮半島の西~南海岸は海岸線が複雑で、干満の差が大きく、仁川空港に向かう飛行機からもよく見えるように干潟の多い所です。(したがって干潮時に船が倒れないように平底型の船が適している。) とくに忠清南道・泰安(テアン)海域は重要な航路であるにもかかわらず①黄海に突出している地形 ②風浪が強く、海霧がしばしばたちこめる ③海底地形も複雑 といった理由で昔から海難事故が多発した所だそうです。
 そういうわけで、沈没船が発見された所は海岸線に近い浅い海、あるいは干潟です。①新安船の場合は水深20mの潟地に埋もれていました。そして③珍島船 ④達里島船 ⑤安佐島船 ⑦大阜島船は干潟の泥の中から発見されました。
     
 大阜島船(左)と達里島船(右)の発掘現場。(うわ、ホントにドロドロやんか!)

 ところで、私ヌルボが展示物の説明を読んでいて興味を持ったのは次のような箇所。
 2013年珍道郡古郡面五柳里海域で9点の陶磁器を盗掘して検挙された犯人の陳述で遺跡の存在が明らかになった。船体は未発見である。 (→innoilfeの記事によると2011年なんだけどな。)

 もしかして、と思ってその後韓国サイトをいろいろ見てみたら、古墳の歴史とともに盗掘の歴史があるように、沈没船の歴史も盗掘と実に深く関わっいるてことがわかりました。
 韓国の水中考古学の歩みについては、「世界日報」に2010年隔週で14回連載されたシリーズ<바다에서 건진 역사(海から引き揚げたわれわれの歴史)>にさまざまな具体的事例を紹介しつつ詳しく記述されています。
 その第1回目の記事が→コチラですが、その見出しからして「도굴꾼, 주꾸미 그리고 발굴(盗掘人、イイダコ、そして発掘)」ですからねー。記事を読んでみると、次のようなことが書かれています。
 ※「イイダコ」というのは、産卵した卵を守るため陶磁器で覆うので、釣る時に一緒に引き揚げられ、その存在がわかる、ということ。
 韓国初の水中発掘という新安海底遺物は漁師の申告がきっかけとなった。1976年1月行政当局は水中遺物発見の申告を受理したが、担当者は「海からこのようなものが出てくるはずない」と無視した。そんな中、市中に中国宋元王朝の陶器が闇取引されているとの情報を捜査機関が知り、捜査が行われて盗掘犯一味が検挙され、新安海底遺物の存在が知られるようになった。漁師の申告と盗掘者の活躍により1976年10月から新安水中発掘が着手されたのである。
 調査海域は流れがあまりにも強いところだと作業が可能なのは1時間程度で、また海の底の方は泥土のため前が全然見えず、海軍のベテラン深海潜水士も位置を見つけるためには限界があった。収監されていた盗掘犯を現場に投入して位置を確認してようやく発掘調査を進めることができた。

 そしてこの連載の第4回の記事(→コチラ)は、新安船の発掘以降、「水中考古学の重要性を認識している研究者2人を海底探査技術が進んだ日本に送って潜水等さまざまな技術を学んだ」等々、水中考古学の進展状況について書かれていますが、読み進むと今回の特別展の目玉の青磁獅子形香炉蓋と酷似した画像が載っています。(右画像) 2点とも2007年泰安の大島の同じ所で発掘されたものですが、右画像の方は発掘作業をしていた民間潜水士が盗み、盗品密売業者と組んで外国に持ち出そうとして捕まったのだそうです。
 この事件以降、盗掘防止 (&潜水士の安全&発掘現場の記録)のため発掘調査要員のヘルメットにカメラを取り付けて、引き揚げ船の上でこれを見守ることができるCCTVが設置されたとのことです。
 しかしこれも専門機関による調査の段階まで進んだ上でのことです。→コチラによると「水中遺跡の90%以上は考古学者以外(漁業関係者、スポーツダイバー、工事関係者など)により発見されている」そうで、そういう人がたまたま1点で100万~1000万円もするような値打ち物の陶磁器を発見したら、中にはよからぬ気持ちを起こす人も少なからずいるでしょうね。そう簡単には盗掘はなくならないと思いますよ。当局もふつうにちゃんと申告した人に対して「あ、アリガト」だけでなくそれなりの褒賞金(モノにもよりますが50万円くらいだったかな??)を出しているそうですが・・・。

 盗掘関係について長々と書いてしまいましたが、それ以外に展示で知った基本知識は、高麗青磁には2大生産地があったということ。すなわち、全羅北道・扶安(プアン)と、全羅南道・康津(カンジン)です。なるほど、康津にも扶安にも青磁博物館がありますね。康津では毎年青磁祭りも催されています。 ※→康津青磁博物館に行った方のブログ記事。写真たくさん。

 展示品で目に留まったのは、木製や青銅製の箸等の食具、石製の将棋の駒等。こういう物で食事をしたり遊んだりしていた昔の人が偲ばれます。美術品としては、青磁童女形水滴と童子形水滴(右画像)や青磁鴛鴦形香炉といったこの美術館の所蔵品つまり安宅コレクションの数々はさすがです。
 日本国内の朝鮮の美術品というと例の<返還問題>があり、この安宅コレクションの陶磁800点も韓国から返還要求の対象になっています。 ※この問題については、とりあえず伊藤郁太郎「美の猟犬」等を読んでから考えることにします。

 特別展以外では<沖正一郎コレクション>とう<鼻煙壺(びえんこ)>のコレクションが興味深かったです。そもそも<鼻煙壺>という子どからして知りませんでしたが、<かぎ煙草入れ>のこと。しかし、これとてもディクスン・カーの推理小説で名前を知っているだけてした。それがこんなに魅力的な物とは! ヌルボ同様ご存知なかったかは→コチラの画像を見てみてください。

 あーあ、今回も長々と書きすぎてしまいました。やれやれ。このシリーズはあと1回です。

 → <[無定見(笑)・大阪の旅] 韓日食博、王仁、新発見の高麗青磁、格安ホテル等々(その4)>
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