11月2日(月)~4日(水)大阪に行ってきました。
大阪はさすがに歴史のある都市だけあって、訪れるべき所、見るべきものが山ほどあります。
韓国・朝鮮関係に限定しても、私ヌルボが思いつくものだけでもたくさん。知らないものを探っていくとなると、その10倍以上にはなるでしょう。
本ブログでは、過去2回大阪に行った時の記録を記事にしました。
2011年1月の<大阪のコリアタウン・猪飼野と、統国寺を訪れる>(→コチラ)と、2013年1月の<「パギやんの大阪案内」を携えて、江戸時代大阪で客死した金漢重の墓を訪ねる>(→コチラ)です。
そして、大阪・今里にある韓国関係に充実した品揃えの日之出書房にも行ってきました。(→コチラ
と→コチラ)。
2011年と13年1月に大阪の記事を載せたのは、正月に徳島に帰省した帰途に立ち寄ったからです。
で、今年の1月も記事にはしませんでしたが、ちょっと行ってきたのがここ(下画像)です。
北御堂(本願寺津村別院)です。外も中もキレイでリッパ! 2013年改修された新しい建物です。※大阪人以外で、<御堂筋>という名前のいわれを知らない人はすごく多いのではないでしょうか?
なぜここが<朝鮮関係>かというと、9回にわたり朝鮮通信使の宿所として使用された所なのです。また第十代将軍・家治の将軍職を祝う1764年の朝鮮通信使の江戸からの帰路、通信使の崔天宗(チェ・チョンジョン)が殺害されたという事件が起こった場所でもあります。(→関係記事。) しかし、行ってみてもそうしたことはどこにも書かれてはいません。ウィキペディア(→コチラ)の説明文にも記載はありません。
大阪は、学生時代以来何度も帰省の際の中継地としてただ素通りすることがほとんどでした。今となっては悔やまれます。
そして今回。他の所への旅行の途中に立ち寄るのではなく、私ヌルボ、大阪を目的地とした最初の旅行でした。
第1目的は、11月10日(日)まで国立民族学博物館で開かれている<韓日食博>観覧。
しかし、文化の日前後ということで他にも催し物があったり、かねてから行ってみたい所もいろいろあるので、ずいぶん密度の濃い旅行になりました。
旅の概要だけでもとりあえずテーマに分けてまとめておきます。
①王仁関係
→<王仁博士の墓(1)>と<同(2)>の記事をたよりに、2日は大阪・福島の八阪神社と素戔嗚尊神社、3日は枚方市の「博士王仁之墓」に行ってきました。
八阪神社(左)と素戔嗚尊神社(右)。大阪駅の隣りの福島駅からすぐの所にあります。とくに王仁云々ということを知らなければ、どこにでもありそうな神社でした。
枚方市の「博士王仁之墓」の前では、ちょうどこの11月3日午前10時から「第32回博士王仁まつり」が開かれていました。まさに韓国のことわざの「가는 날이 장날 行った(日が市の立つ日)」です。厳密には前々日に知ったのですが・・・。) 1731年に建立された「博士王仁之墓」(左)と、2006年完成の百済門(右)。ウィキペデイアの「王仁」の項目(→コチラ)の項目を見ると、史実としては怪しいことがてんこ盛りですが、historyは「物語」だし、それに基づいてまた新たな「物語」も始まるというわけで、それが両国の友好につながればけっこうなことでしょう。枚方市内には百済寺跡もあったりして、百済との縁は古くからあることはたしかです。 韓国・全羅南道霊岩(ヨンアム)郡からの来賓の祝辞や枚方市長の式辞等々が続いた後、すぐ近くの菅原東小学校の児童約20人が校歌と「故郷の春」を合唱しました。(左) 校歌の歌詞には「王仁の博士も祀る丘」という一節もあります。「故郷の春」は韓国語の歌詞でみごとに歌いました。その後も代表児童が韓国語であいさつ。(この小学校は霊岩郡のグリム初等学校と姉妹校になっているそうです。) 合唱に続いては「高麗茶献茶式」。(左)
王仁関係では、大阪市内・猪飼野の御幸森神社に王仁博士が詠んだとされる「難波津の歌」の歌碑がありますね。・・・って、これも2009年建立の新しい歴史物語です。(→コチラ参照。)
大阪の旅の概要を1つの記事にまとめるつもりだったのが、まだ全体の4分の1にもなってないくらいなので、とりあえず以下は続くということにします。
→ <[無定見(笑)・大阪の旅] 韓日食博、王仁、新発見の高麗青磁、格安ホテル等々(その2)>
大阪はさすがに歴史のある都市だけあって、訪れるべき所、見るべきものが山ほどあります。
韓国・朝鮮関係に限定しても、私ヌルボが思いつくものだけでもたくさん。知らないものを探っていくとなると、その10倍以上にはなるでしょう。
本ブログでは、過去2回大阪に行った時の記録を記事にしました。
2011年1月の<大阪のコリアタウン・猪飼野と、統国寺を訪れる>(→コチラ)と、2013年1月の<「パギやんの大阪案内」を携えて、江戸時代大阪で客死した金漢重の墓を訪ねる>(→コチラ)です。
そして、大阪・今里にある韓国関係に充実した品揃えの日之出書房にも行ってきました。(→コチラ
と→コチラ)。
2011年と13年1月に大阪の記事を載せたのは、正月に徳島に帰省した帰途に立ち寄ったからです。
で、今年の1月も記事にはしませんでしたが、ちょっと行ってきたのがここ(下画像)です。
北御堂(本願寺津村別院)です。外も中もキレイでリッパ! 2013年改修された新しい建物です。※大阪人以外で、<御堂筋>という名前のいわれを知らない人はすごく多いのではないでしょうか?
なぜここが<朝鮮関係>かというと、9回にわたり朝鮮通信使の宿所として使用された所なのです。また第十代将軍・家治の将軍職を祝う1764年の朝鮮通信使の江戸からの帰路、通信使の崔天宗(チェ・チョンジョン)が殺害されたという事件が起こった場所でもあります。(→関係記事。) しかし、行ってみてもそうしたことはどこにも書かれてはいません。ウィキペディア(→コチラ)の説明文にも記載はありません。
大阪は、学生時代以来何度も帰省の際の中継地としてただ素通りすることがほとんどでした。今となっては悔やまれます。
そして今回。他の所への旅行の途中に立ち寄るのではなく、私ヌルボ、大阪を目的地とした最初の旅行でした。
第1目的は、11月10日(日)まで国立民族学博物館で開かれている<韓日食博>観覧。
しかし、文化の日前後ということで他にも催し物があったり、かねてから行ってみたい所もいろいろあるので、ずいぶん密度の濃い旅行になりました。
旅の概要だけでもとりあえずテーマに分けてまとめておきます。
①王仁関係
→<王仁博士の墓(1)>と<同(2)>の記事をたよりに、2日は大阪・福島の八阪神社と素戔嗚尊神社、3日は枚方市の「博士王仁之墓」に行ってきました。
枚方市の「博士王仁之墓」の前では、ちょうどこの11月3日午前10時から「第32回博士王仁まつり」が開かれていました。まさに韓国のことわざの「가는 날이 장날 行った(日が市の立つ日)」です。厳密には前々日に知ったのですが・・・。)
王仁関係では、大阪市内・猪飼野の御幸森神社に王仁博士が詠んだとされる「難波津の歌」の歌碑がありますね。・・・って、これも2009年建立の新しい歴史物語です。(→コチラ参照。)
大阪の旅の概要を1つの記事にまとめるつもりだったのが、まだ全体の4分の1にもなってないくらいなので、とりあえず以下は続くということにします。
→ <[無定見(笑)・大阪の旅] 韓日食博、王仁、新発見の高麗青磁、格安ホテル等々(その2)>