ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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下北沢で申京淑さんの話を聞く (1)

2011-10-20 23:29:42 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 年を取ると2年間はあっという間です。しかし、その2年という間には実にいろんなことがあって、自分を直接取り巻く状況もさまざまに変わるということを実感しました。

 2年前、たまたま読んで感動した「母(オンマ)をお願い」の感想に「翻訳本刊行を期待!」とタイトルをつけて本ブログ開設の最初の記事にしました。
 その後この本は世界31ヵ国で刊行される大ベストセラーになり、日本でも翻訳書が文庫本で発売され、そして来日した作者の申京淑さんが目の前にいて、私ヌルボと話をしている・・・。2年前にはとても想像もつかなかったことです。

 9月17日の記事で<10月の申京淑さん関係の催し at東京&名古屋>についての情報を流した張本人が行かない法はありません。20日の韓国文化院の方が本番のような感じですが、20日は都合がつかず、昨日19日の夜下北沢のギャラリーKYOに行ってきました。

 広くはない(はっきり言って狭い)会場に椅子が30数脚。予約しないで来た人もいて(実は私ヌルボもその1人)、20人近くは立ち見でした。

     
          【私ヌルボも立ち見だったもので・・・】

 申京淑さんの話については、数日後に記事にします。

 小ぢんまりとした会場でラッキーだったのは、ごく近くで話が聞けた上、その後にサインしていただいたり、一緒に写真を撮らせていただいたりできたこと。そして直接話もできたこと。「어디선가 나를 찾는 전화벨이 울리고(どこかで私をよぶ電話の音が鳴って)」にあった(「母をお願い」にもちょっと出てくる)冬葵(아욱.アウク)のこととか・・・。

         
    【話しぶりもお召し物も、思っていた通りの穏やかな雰囲気の方でした。】

 「母をお願い」の原書は手許になかったので、その「어디선가 나를 찾는 전화벨이 울리고」にサインをいただきました。

        
   【8色のサインペンセットを出して「お好きな色で書いて下さい」と言ったら紫色を選びましたね。】

 申京淑さんの前に「私の作品世界」というテーマで話された鄭泳文さんは、1965年生まれで、申京淑さんの2歳年下。しかし「物語」の意味を広く捉え、現代の中で積極的にその役割・意義を見出していこうという申京淑さんとは対照的に、鄭泳文さんは冒頭から「小説といえばほとんどの人は起承転結をもった物語が展開すると思うでしょうが、そうでなければならないものではない」と話を切り出しました。さらに「何も起こらない」ことや「メッセージの不在」を強調。伝えるメッセージの有無よりも「小説の形式そのものについての実験に関心がある」とのことです。10年ほど前にベケットから強い影響を受けた、とも・・・。「東京及び名古屋フォーラム資料集」によると、「多くの評論家が鄭泳文の小説を「メタ小説」と解釈する」等々と書かれていますが、むべなるかな。
 講演の後、個人的に質問しました。80年代までの韓国文学の伝統を意識しないのか、それとも意識的に否定しようとしているのか、どちらですかと・・・。お答えは後者でした。
 他の分野でも同様ですが、文学の面でも、韓国は日本等の先進国が4~50年かけて歩んできた道をこの20年の間に2倍速の早送りのように駆け足で辿ってきているようです。鄭泳文さんの話を聞いてとくにそのことを痛感しました。

 この日司会を担当された集英社の岩本さんとも少し話をする機会が持てました。ヌルボが「「母をお願い」も同じ集英社文庫の「風の影」のようなステディ・セラーになるといいですね」というと、「あの本も私が担当しました」とのこと。あー、そーなんだ(笑) はからずもうれしいこと言っちゃったネ。あと、「離れ部屋」も文庫本にしてほしい旨、要望しておきました。

 なお、上記「資料集」の他に、韓国文学翻訳院が出している「list Books ffrom Korea」(英文)という韓国書の紹介冊子を2冊いただきました。これがなかなか充実した内容のもので、個人的にも今後の本選びの指針ともなりそうですごく得した気分。さらには「スッカラ」の12月号\\790もタダでいただいちゃってラッキー!でした。 この日に行って、ホントによかった!
コメント (9)
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