韓国旅行から帰ったのが21日夕方。
で、その翌日。ニュースを見て驚きました。
あらま。これはもしかして19日(木)私ヌルボを含めオジサン4人組が旅行してきた辺りではないの!?
続報によると、5人を殺害して逃げていたその兵士は、結局23日(月)午後に身柄を確保されたとのこと。
その後、図書館で23日の「朝鮮日報」を見てみました。まだその兵士が逃げている時点の紙面です。
1面に大きくこの事件の記事が載っています。2~3面もほとんど全面が関係記事で埋められていました。
1面の左上に、関係地図がありました。右は、「朝鮮日報」日本語版のものです。
この地図を見ると、まさにヌルボ一行が通ったところではないですか!
当日の旅程の概略を記すと、束草(ソクチョ)の停留所でバスに乗ったのが午前10時頃。
大津(テジン)に向かって北上するバスの窓からは海岸風景が眺められましたが、北からのスパイ侵入を防ぐためのフェンスが延々と設けられています。
途中の集落や観光ポイント等で人の乗り降りがそれなりにあり、約1時間で終点の大津に着きました。降りた客はわれわれ4人だけでした。
降りた所の真ん前は地図にも記されている麻次津(マチャジン)海水浴場。ここにも下の画像のようなフェンスがあり、自由に海岸にでられるわけではありません。(この先のホテルからだと出られる、のかな?)
バスの終点から約800m先にある統一安保公園(高城統一展望台出入申請所)まで歩きます。
途中、巡回警備の(?)兵士たち3人(だったかな?)とすれ違いました。
フェンスを間近で見ました。スピーカーも設置されています。
GoogleEarthを見ると、この辺りのようすがよくわかります。
【画面一番下の海岸が麻次津海水浴場、上の方の赤い屋根の建物の少し下が統一安保公園です。】
約10分で統一安保公園につきました。
建物内には売店があり、土産物等を売っています。地元の特産物や、北朝鮮の酒類や切手、金日成バッジ等の他、下の画像のように紙幣も売っています。(本物?) 食堂もあります。
ここから先はマイカーかタクシーでないと行かれません。(例外は、韓国を縦断した徒歩旅行家ハン・ビヤさん。) シャトルバスもありますが、本数が少なく、われわれが行った時にはありませんでした。
申請窓口に行くと、係の人が電話でタクシーを呼んでくれました。
この先にも、明波里(ミョンパリ)という集落があります。民泊等もあり、ここまで来るバス便もあります。
まさにこの辺が銃乱射事件の交戦場所となった所です。
24日の「朝鮮日報(日本語版)」(→コチラ)によると、事件が起こってから約18時間後の22日14時頃、最初の現場から10キロ離れたこの明波里付近の山中で逃げていた兵士が発見されました。そして数度にわたって銃撃戦を繰り広げられたとのことです。しかし身柄確保には至らず、その夜は軍の指示で住民約540人が付近の学校に避難したそうです。
先の地図ではわかりませんが、同じ23日の「朝鮮日報」3面には、次のような兵士の逃走経路も載っていました。
明波里の集落から車でわずか1分ばかり北に行くと、<民統線(民間人統制線)>にさしかかります。一般の交通を物理的に規制していて、決められた検問所以外からの出入りが禁止されている領域です。
この道には、下のようなコンクリートブロックが両側に積まれた処をよく見かけました。板門店に向かう道等も同様です。北朝鮮が攻め込んできた時、これを崩して進路を妨害するためのものです。
高城統一展望台に到着。高さ約70mの丘の上にあり、自家用車で来た人たちは下の駐車場から階段を歩いて上っていましたが、われわれの乗ったタクシーは建物の入口前まで行って降ろしてくれました。(待ち時間の短縮のためでしょうが・・・。)
展望台から北の眺めです。
海に突き出ている小さな出っ張りは韓国、彼方に見える禿山や、右手はるか向こうの島々は北朝鮮の領域です。島々は海金剛といって、昔から有名な景勝地です。
天気がよく視界がはっきりしている日は、この画像の範囲外(左方)に金剛山が見えるそうです。われわれが行った時には残念ながら見えませんでした。いや、かすかに稜線の一部らしきものは見えたような・・・。
軍関係の施設以外は写真OKで、貸切バスで来た退役軍人の団体の皆さんや、外国人も含む一般観光客の皆さん(って自分もか)、バシバシ撮っていました。
銃乱射事件の話に戻りますが、その後の報道によると、身柄確保にいたるまでいろいろ問題があったようです。
※→関連記事 「<韓国兵銃乱射>初期鎮圧に失敗した軍、誤認射撃まで」
→関連記事 「捜索部隊が撃たれた中尉を見捨てて逃げた』目撃住民が証言」
→関連記事 「<韓国兵銃乱射>脱営兵のメモにいじめ示唆する内容」
→関連記事 「韓国軍銃乱射の兵士に「いじめあった」と国防相。」
→関連記事 「<韓国兵銃乱射>脱営兵の病院搬送写真、軍が代役使って演出した“偽物”だった」
→関連記事 「韓国軍、銃乱射事件で“病根”浮き彫り 人手不足で問題兵士が最前線に」
また同様の部隊内のいじめが原因の銃乱射事件の過去例については・・・
・2005年の漣川軍部隊銃乱射事件(8人死亡)→コチラ参照。
・2011年の江華島海兵隊銃乱射事件(4人死亡)→コチラ参照。
どうもあのセウォル号沈没事件とも同根の問題があるようにも思えます。
こんな状態で、はたして最前線の防備は大丈夫なのか?という(たぶん)多くの韓国人と同じようなこともチラと考えはしました。
しかし、私ヌルボが展望台から北を臨んで思ったのは、自然はこんなに美しいのに、人間は何を好き好んでそこに自らを不幸にする境界線を作ってしまうのか?という疑問です。
こんな境界線があるがために、北では食べ物にさえこと欠くような痩せた若者たちが軍務に服し、南では集団生活への適応が困難な若者も苦痛の軍隊生活を強いられる・・・。いずれこうした制度も<国家による強制連行>と否定される日は来るのでしょうか?
この後、同じタクシーに乗ったのが14時前。展望台の少し南にあるDMZ博物館にも寄って見学してきました。
次なる目的地は花津浦(ファジンポ)。時間節約のため大津のバス停は通り過ぎて、直接花津浦の李承晩の別荘まで行ってもらいました。
★(韓国では)著名な女性徒歩旅行家ハン・ビヤさんの著書「風の娘、わが地に立つ(바람의 딸, 우리 땅에 서다)」(1999年)については過去記事→コチラや→コチラで紹介しました。その彼女の韓国縦断旅行の最終地点が高城統一展望台でした。彼女のために軍も配慮をしてくれて、民統線の中も2人の兵士にガードされて展望台まで歩いたのだそうです。
その本の挿絵が下の画像です。
で、その翌日。ニュースを見て驚きました。
あらま。これはもしかして19日(木)私ヌルボを含めオジサン4人組が旅行してきた辺りではないの!?
続報によると、5人を殺害して逃げていたその兵士は、結局23日(月)午後に身柄を確保されたとのこと。
その後、図書館で23日の「朝鮮日報」を見てみました。まだその兵士が逃げている時点の紙面です。
1面に大きくこの事件の記事が載っています。2~3面もほとんど全面が関係記事で埋められていました。
1面の左上に、関係地図がありました。右は、「朝鮮日報」日本語版のものです。
この地図を見ると、まさにヌルボ一行が通ったところではないですか!
当日の旅程の概略を記すと、束草(ソクチョ)の停留所でバスに乗ったのが午前10時頃。
大津(テジン)に向かって北上するバスの窓からは海岸風景が眺められましたが、北からのスパイ侵入を防ぐためのフェンスが延々と設けられています。
途中の集落や観光ポイント等で人の乗り降りがそれなりにあり、約1時間で終点の大津に着きました。降りた客はわれわれ4人だけでした。
降りた所の真ん前は地図にも記されている麻次津(マチャジン)海水浴場。ここにも下の画像のようなフェンスがあり、自由に海岸にでられるわけではありません。(この先のホテルからだと出られる、のかな?)
バスの終点から約800m先にある統一安保公園(高城統一展望台出入申請所)まで歩きます。
途中、巡回警備の(?)兵士たち3人(だったかな?)とすれ違いました。
フェンスを間近で見ました。スピーカーも設置されています。
GoogleEarthを見ると、この辺りのようすがよくわかります。
【画面一番下の海岸が麻次津海水浴場、上の方の赤い屋根の建物の少し下が統一安保公園です。】
約10分で統一安保公園につきました。
建物内には売店があり、土産物等を売っています。地元の特産物や、北朝鮮の酒類や切手、金日成バッジ等の他、下の画像のように紙幣も売っています。(本物?) 食堂もあります。
ここから先はマイカーかタクシーでないと行かれません。(例外は、韓国を縦断した徒歩旅行家ハン・ビヤさん。) シャトルバスもありますが、本数が少なく、われわれが行った時にはありませんでした。
申請窓口に行くと、係の人が電話でタクシーを呼んでくれました。
この先にも、明波里(ミョンパリ)という集落があります。民泊等もあり、ここまで来るバス便もあります。
まさにこの辺が銃乱射事件の交戦場所となった所です。
24日の「朝鮮日報(日本語版)」(→コチラ)によると、事件が起こってから約18時間後の22日14時頃、最初の現場から10キロ離れたこの明波里付近の山中で逃げていた兵士が発見されました。そして数度にわたって銃撃戦を繰り広げられたとのことです。しかし身柄確保には至らず、その夜は軍の指示で住民約540人が付近の学校に避難したそうです。
先の地図ではわかりませんが、同じ23日の「朝鮮日報」3面には、次のような兵士の逃走経路も載っていました。
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【こんな山道を、彼はどんな思いでたどったのでしょうか?】
明波里の集落から車でわずか1分ばかり北に行くと、<民統線(民間人統制線)>にさしかかります。一般の交通を物理的に規制していて、決められた検問所以外からの出入りが禁止されている領域です。
【前日行った楊口の乙支天文台方面ではパスポートのチェックもありましたが、ここでは不要でした。】
この道には、下のようなコンクリートブロックが両側に積まれた処をよく見かけました。板門店に向かう道等も同様です。北朝鮮が攻め込んできた時、これを崩して進路を妨害するためのものです。
高城統一展望台に到着。高さ約70mの丘の上にあり、自家用車で来た人たちは下の駐車場から階段を歩いて上っていましたが、われわれの乗ったタクシーは建物の入口前まで行って降ろしてくれました。(待ち時間の短縮のためでしょうが・・・。)
【タバコも大好きなTヒョン、よい景色を眺めながらの一服は美味いでしょう。】
展望台から北の眺めです。
海に突き出ている小さな出っ張りは韓国、彼方に見える禿山や、右手はるか向こうの島々は北朝鮮の領域です。島々は海金剛といって、昔から有名な景勝地です。
天気がよく視界がはっきりしている日は、この画像の範囲外(左方)に金剛山が見えるそうです。われわれが行った時には残念ながら見えませんでした。いや、かすかに稜線の一部らしきものは見えたような・・・。
軍関係の施設以外は写真OKで、貸切バスで来た退役軍人の団体の皆さんや、外国人も含む一般観光客の皆さん(って自分もか)、バシバシ撮っていました。
【望遠鏡が並び、記念写真の写真屋さんもいます。】
銃乱射事件の話に戻りますが、その後の報道によると、身柄確保にいたるまでいろいろ問題があったようです。
※→関連記事 「<韓国兵銃乱射>初期鎮圧に失敗した軍、誤認射撃まで」
→関連記事 「捜索部隊が撃たれた中尉を見捨てて逃げた』目撃住民が証言」
→関連記事 「<韓国兵銃乱射>脱営兵のメモにいじめ示唆する内容」
→関連記事 「韓国軍銃乱射の兵士に「いじめあった」と国防相。」
→関連記事 「<韓国兵銃乱射>脱営兵の病院搬送写真、軍が代役使って演出した“偽物”だった」
→関連記事 「韓国軍、銃乱射事件で“病根”浮き彫り 人手不足で問題兵士が最前線に」
また同様の部隊内のいじめが原因の銃乱射事件の過去例については・・・
・2005年の漣川軍部隊銃乱射事件(8人死亡)→コチラ参照。
・2011年の江華島海兵隊銃乱射事件(4人死亡)→コチラ参照。
どうもあのセウォル号沈没事件とも同根の問題があるようにも思えます。
こんな状態で、はたして最前線の防備は大丈夫なのか?という(たぶん)多くの韓国人と同じようなこともチラと考えはしました。
しかし、私ヌルボが展望台から北を臨んで思ったのは、自然はこんなに美しいのに、人間は何を好き好んでそこに自らを不幸にする境界線を作ってしまうのか?という疑問です。
こんな境界線があるがために、北では食べ物にさえこと欠くような痩せた若者たちが軍務に服し、南では集団生活への適応が困難な若者も苦痛の軍隊生活を強いられる・・・。いずれこうした制度も<国家による強制連行>と否定される日は来るのでしょうか?
この後、同じタクシーに乗ったのが14時前。展望台の少し南にあるDMZ博物館にも寄って見学してきました。
次なる目的地は花津浦(ファジンポ)。時間節約のため大津のバス停は通り過ぎて、直接花津浦の李承晩の別荘まで行ってもらいました。
★(韓国では)著名な女性徒歩旅行家ハン・ビヤさんの著書「風の娘、わが地に立つ(바람의 딸, 우리 땅에 서다)」(1999年)については過去記事→コチラや→コチラで紹介しました。その彼女の韓国縦断旅行の最終地点が高城統一展望台でした。彼女のために軍も配慮をしてくれて、民統線の中も2人の兵士にガードされて展望台まで歩いたのだそうです。
その本の挿絵が下の画像です。
ハン・ビヤさん、展望台の建物の上から眺めるだけではなく、フェンスぎりぎりのところまで歩いて行ったのですね。(さすが。やっぱり。)
韓国の素晴らしい自然・人々に出会うたびに私も「、自然はこんなに美しいのに、人間は何を好き好んでそこに自らを不幸にする境界線を作ってしまうのか?という疑問です。」そう思います。
これはどこの国に行ってもです。
この事件、考えるほどにいろんな問題が内包されていると思います。