学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

0045 石川明人『キリスト教と日本人』を読む(その8)

2024-02-16 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第45回配信です。


一、前回配信の補足

「宣教師のもとへ送り込まれたスパイ」(2024年02月07日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/374e8fef18496a5e740054f6ca52e339

「上等謀者」「下等謀者」「太政官謀者」は石川著をそのまま転記したもの。
しかし、森岡清美『日本の近代社会とキリスト教』(評論社、1976)を確認したところ、これらはいずれも「諜者」。(p37以下)

二、第三章「2 日本人の信仰と宣教師たち」

(1)入信の際に求められた覚悟(p134以下)

奥野昌綱(1823ー1910)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E9%87%8E%E6%98%8C%E7%B6%B1

(2)「理解」してから信仰するのか?

村田政矩(1812‐72)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E7%94%B0%E6%94%BF%E7%9F%A9

森岡(p40)
「したがって、村田の入信においては、宣教師の聖書知識は媒介になっているけれども、その人格力は媒介になっていない。直接、福音書によりキリストの偉大さを知り、信仰を起こしたのである。おそらく、大身の武士としての儒教的教養と態度、佐賀の葉隠精神に培われた彼の思想と生き方が、キリストの事蹟を学ぶことによって超克され、新しい人類的な地平を望見するに至ったのであろう。そのような意味において、儒教や葉隠は彼のキリスト教理解の前提となった、とみることができる」

鈴木親長(1830‐1903)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E8%A6%AA%E9%95%B7

森岡(p41)
「上田藩士鈴木親長は、明治五年学校係大属在任中、学校用として買い入れた書籍のなかに漢訳聖書があった。読んだけれどもよくわからない。ただ、人の罪をあがなうために一身を殺して犠牲になったということは、たとえ作り話としても道理あることのように思い、また独りを慎むということも、漢籍で教えるところと引き比べて感じ入った、という程度であった」

小崎弘道(1856‐1938)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B4%8E%E5%BC%98%E9%81%93

森岡(p45)
「以上四例とも、初期の入信者を代表する階層としての士族のなかからとったものである。どの場合でも、儒教的な教養と実学的姿勢と武士的生活態度がキリスト教への共感・傾倒さらに入信の背景にあった。士流の常として、来世の苦業を逃れるためとか、キリスト教の奇跡異能に感嘆して入信したのではなかった」
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