投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 1月31日(日)09時40分52秒
念のため書いておくと、私が「殉教」の観点から種々論じたことに対し、「殉教」を基準にするのは暗黙の内に「宗教」なるものの基準をキリスト教に求めているのではないか、みたいな批判をする人がいるかもしれませんが、そんなことはありません。
私は神仏分離・廃仏毀釈に悲憤慷慨する人々に対して前々から違和感を持っていたので、もう少し冷静に、客観的に見るべきではないか思って、あくまで比較のための一つの視点として「殉教」に着目しただけです。
ちなみに私は、殉教者がやたらと多いキリスト教は特殊な宗教だなと思っていて、山崎正和氏が『世界文明史の試み─神話と舞踊』(中央公論新社、2011)に書かれている次の見解に賛同しています。(p274以下)
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殉教する宗教─孤独な自我の萌芽
今日、世界のあらゆる場所に信者を持ち、地理的にもっとも普遍的な宗教であるキリスト教だが、これほど文明史的に特異な宗教はほかにはあるまい。開祖のキリストがユダヤ人であり、ユダヤ教の神をみずからの神としながら、その教義を改革したために同じ民族から迫害を受け、十字架上に殉教したという異例の成立事情が、この特殊性を生んだと考える。
【中略】
振り返るとキリスト教は異様に殉教者の多い宗教であって、それも伝道者や聖人だけでなく、平凡な市民や農民の殉教者のおびただしさは他に例を見ないのである。
【中略】
前掲『ギリシアとローマ』は「殉教者行伝」という当時の記録を引いて、カルタゴのヴィクトリアという少女の宗教裁判の模様を詳しく描いている。役所の要求は皇帝を神と認め偶像に犠牲を捧げるという一点だが、「誓願女」を名のる少女は皇帝に忠誠を誓いながらも、その皇帝の繁栄はキリストにたいしてのみ祈ると譲らない。拷問にも役人の懇切な説得にも抗して、彼女は従容と死を選ぶのである。
この平凡な少女の殉教は、二つの点でキリスト教の生んだ新しい信仰のかたちと、人類の倫理観の深化の画期的な一歩を物語っている。第一はいうまでもなく、この少女がたった一人で拷問と刑死を受け、純粋に内面的な個人の信仰を守ったことである。過去の民族宗教の信者も迫害と殺戮に耐えたし、後のイスラム教徒も聖戦に斃れたが、その苦痛はつねに同胞と共有され、その勇気は隣人の見る目によって励まされていた。彼等の倫理はベルクソンのいう「閉じられた」社会のなかの規範であったが、このキリスト者の少女の周囲には隣人の励ましも見る目の強制もない。そこにはベルクソンの「開かれた」世界があるばかりであって、そのなかで彼女は孤独な死への飛躍を選んだのであった。【後略】
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『ギリシアとローマ』とは村川堅太郎編『世界の歴史2、ギリシアとローマ』(中央公論社、1961)のことです。
殉教にも二種類あり、「聖戦」における「戦死」はけっこうありますね。
「三河国大浜騒動」や「明治六年越前大野今立坂井三郡の暴動」における浄土真宗の「殉教者」もこのタイプに分類されるはずです。
しかし、「周囲には隣人の励ましも見る目の強制もない」にもかかわらず行われる「孤独な死への飛躍」は珍しく、日本ではキリシタンくらいではないですかね。
山崎氏は上記引用部分の少し後で、「興味深いのは、後世の日本の初期『キリシタン』も同じ選択をしていることである。彼らはキリスト像を描いた『踏み絵』を踏むことを要求されたのだが、多くは一枚の板切れにすぎないものを踏むことを拒んで殉教を遂げた」としていて(p277)、もちろん間違いではありませんが、明治に入ってからの「浦上四番崩れ」を忘れているかのような書き方には若干の不満を覚えます。
「隠れキリシタン」については、長期の孤立により本来のキリスト教と異なる土俗的な宗教に変質してしまった、みたいなことを言う人もいますが、「殉教」の点では全く変わっていないですね。
念のため書いておくと、私が「殉教」の観点から種々論じたことに対し、「殉教」を基準にするのは暗黙の内に「宗教」なるものの基準をキリスト教に求めているのではないか、みたいな批判をする人がいるかもしれませんが、そんなことはありません。
私は神仏分離・廃仏毀釈に悲憤慷慨する人々に対して前々から違和感を持っていたので、もう少し冷静に、客観的に見るべきではないか思って、あくまで比較のための一つの視点として「殉教」に着目しただけです。
ちなみに私は、殉教者がやたらと多いキリスト教は特殊な宗教だなと思っていて、山崎正和氏が『世界文明史の試み─神話と舞踊』(中央公論新社、2011)に書かれている次の見解に賛同しています。(p274以下)
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殉教する宗教─孤独な自我の萌芽
今日、世界のあらゆる場所に信者を持ち、地理的にもっとも普遍的な宗教であるキリスト教だが、これほど文明史的に特異な宗教はほかにはあるまい。開祖のキリストがユダヤ人であり、ユダヤ教の神をみずからの神としながら、その教義を改革したために同じ民族から迫害を受け、十字架上に殉教したという異例の成立事情が、この特殊性を生んだと考える。
【中略】
振り返るとキリスト教は異様に殉教者の多い宗教であって、それも伝道者や聖人だけでなく、平凡な市民や農民の殉教者のおびただしさは他に例を見ないのである。
【中略】
前掲『ギリシアとローマ』は「殉教者行伝」という当時の記録を引いて、カルタゴのヴィクトリアという少女の宗教裁判の模様を詳しく描いている。役所の要求は皇帝を神と認め偶像に犠牲を捧げるという一点だが、「誓願女」を名のる少女は皇帝に忠誠を誓いながらも、その皇帝の繁栄はキリストにたいしてのみ祈ると譲らない。拷問にも役人の懇切な説得にも抗して、彼女は従容と死を選ぶのである。
この平凡な少女の殉教は、二つの点でキリスト教の生んだ新しい信仰のかたちと、人類の倫理観の深化の画期的な一歩を物語っている。第一はいうまでもなく、この少女がたった一人で拷問と刑死を受け、純粋に内面的な個人の信仰を守ったことである。過去の民族宗教の信者も迫害と殺戮に耐えたし、後のイスラム教徒も聖戦に斃れたが、その苦痛はつねに同胞と共有され、その勇気は隣人の見る目によって励まされていた。彼等の倫理はベルクソンのいう「閉じられた」社会のなかの規範であったが、このキリスト者の少女の周囲には隣人の励ましも見る目の強制もない。そこにはベルクソンの「開かれた」世界があるばかりであって、そのなかで彼女は孤独な死への飛躍を選んだのであった。【後略】
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『ギリシアとローマ』とは村川堅太郎編『世界の歴史2、ギリシアとローマ』(中央公論社、1961)のことです。
殉教にも二種類あり、「聖戦」における「戦死」はけっこうありますね。
「三河国大浜騒動」や「明治六年越前大野今立坂井三郡の暴動」における浄土真宗の「殉教者」もこのタイプに分類されるはずです。
しかし、「周囲には隣人の励ましも見る目の強制もない」にもかかわらず行われる「孤独な死への飛躍」は珍しく、日本ではキリシタンくらいではないですかね。
山崎氏は上記引用部分の少し後で、「興味深いのは、後世の日本の初期『キリシタン』も同じ選択をしていることである。彼らはキリスト像を描いた『踏み絵』を踏むことを要求されたのだが、多くは一枚の板切れにすぎないものを踏むことを拒んで殉教を遂げた」としていて(p277)、もちろん間違いではありませんが、明治に入ってからの「浦上四番崩れ」を忘れているかのような書き方には若干の不満を覚えます。
「隠れキリシタン」については、長期の孤立により本来のキリスト教と異なる土俗的な宗教に変質してしまった、みたいなことを言う人もいますが、「殉教」の点では全く変わっていないですね。
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