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0044 石川明人『キリスト教と日本人』を読む(その7)

2024-02-15 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第44回配信です。


一、前回配信の補足

山崎渾子『岩倉使節団における宗教問題』(思文閣、2006)
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784784213160
「岩倉使節団と信仰の自由」(『日本の時代史 21 明治維新と文明開化』所収、吉川弘文館、2004)p190以下
https://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b32061.html

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ソルトレイク論争
 その頃、岩倉使節団内部でもキリシタン問題と信仰の自由論争は、渡航船中に始まり諸説に分かれ、米国上陸とともにさらに激化していった。使節団は、大雪のためモルモン教徒の街ソルトレイクにて、二週間以上も足留めにされてしまった。そこで、はからずも信仰の自由政策を取る米国政府のモルモン教徒への対処について見聞することができた。十日の新聞記事にはソルトレイクでモルモン教徒との交流があったことについて述べ、使節団がB・ヨングという罪人と会うことになったのは、米国公使デ・ロングが深刻な間違いを犯したことになるという批判記事もあった。
 使節団内部ではその後ひとしきり宗教論争があり、急進論派と目されていた伊藤博文と山口尚芳らは司法理事官佐佐木高行に信仰の自由即時採用を訴えた。この時、岩倉大使は当初のキリスト教禁令保持の態度を取ることを断言し、とりあえず論争を鎮めたという。
 ところで使節団がワシントン入りをする直前に二十八日付新聞には、在米日本人と名乗る人物による「日本での宣教師不要論」の意見が報道された。その内容は次のようなものであった。
 西欧諸国は、日本との条約改正の時期に当たり「信仰の自由」を強要している。これについてイスラム教徒やモルモン教徒と同じく、日本人異教徒側の意見にも耳を傾けて欲しい。日本人はキリスト教が国内へ導入されることに反対である。その理由は二つある。第一には、宣教師は愚民を無知のままに留める元となっている。西洋のカトリック教会史を見ても判るように、信徒は教会や司祭に奴隷化し、その所有物は搾取され、教会発展の犠牲に陥った。そして信徒らは教育も受けられず暗愚なままに留められ、いまだ無知と迷信に止まっている。第二点目は、いかなる教派の宣教師も「信仰の自由」の敵であること。なぜならば、愚民がプロテスタント教徒に入信することもまた、その奴隷化を意味する。つまり文明国プロテスタントがカトリックを棄てたのは、知識が増長したための結果であり、当面、日本にとって必要なことは、この「教育によって愚民を育てること」である。知識が宗教を育てるのであり、教育を受けた文明人のみが信仰の自由を享受できる、という内容であった。
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山口尚芳(ますか/なおよし/ひさよし、1839‐94)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E5%B0%9A%E8%8A%B3

二、第三章「1 復活したキリスト教」の続き

(8)さまざまな社会の変化(p131以下)

グレゴリウス暦の採用
明治五年一二月三日を明治六年(1873)一月一日とする

(9)宣教師のもとへ送り込まれたスパイ(p132以下)

「宣教師のもとへ送り込まれたスパイ」(2024年02月07日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/374e8fef18496a5e740054f6ca52e339
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