投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 8月29日(水)21時07分55秒
>筆綾丸さん
>「債権の法」と「債務の法」
『日本中世債務史の研究』の「序章 日本中世債務史の研究の提起」に、「本書の刊行をすすめてくれたのは、東京大学出版会の高木宏氏であった。二〇〇二年秋、早島大祐氏の日本史研究会大会報告に際して桜井氏と私がコメントをしたときであった」とあるので、早島氏は井原今朝男氏と特別な縁がある人のようですね。
「おかげで債務史という研究分野が産声をあげることができた」(by 井原今朝男氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/b4bcbf33cbc78d9efe8af2035d69764c
ご指摘のように早島氏の「債権の法」と「債務の法」という表現は奇妙ですね。
おそらく早島氏は井原今朝男氏の表現を承継しているのでしょうが、井原氏は「債務」のような法律学の基礎概念に、非常に特殊な、余人にはなかなか理解しがたい独自の定義付けをしている方なので、井原ワールドの中ではそれなりの一貫性があるのかもしれません。
井原氏は『歴史評論』773号(2014年9月号)の「総論─債務史研究の課題と展望─」において、慶応大学教授・大屋雄裕氏の批判について、
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『中世の借金事情』『ニッポン借金事情』については、大屋雄裕氏の個人WEBサイトで「買ったり読んだりする価値のまったくない本と批判された」(「ウィキペディア」フリー百科事典)とみえる。法学者の神経を刺激したことに驚かされたが、感情的な批判も研究者の依拠する価値観のズレを示すものであろう。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/fbe85ff8683cc999e3a8828a47283c8f
と言われていますが、大屋氏の見解が「法学者」を代表するものなのか否かを確認するために、法律に詳しくて井原氏と「価値観のズレ」が少なそうな人たちと学際的研究をやってみたらどうですかね。
例えば『歴史評論』の発行主体である歴史科学協議会とルーツを同じくする民科法律部会と一緒に「債務史」をテーマとする合同シンポジウムを開催するなどしてはどうか。
まあ、準備段階である程度の見通しがはっきりして、実現に至らずに立ち消えになる可能性が高いような感じもしますが。
「松尾尊兌氏に聞く」(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/db86ab0fd88c67ec2e9e522705859fb2
民主主義科学者協会(略称、「民科」)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8e93b8f37e3e1ea79068a78908dc9678
水島朝穂氏と「民主主義科学者協会法律部会」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f3ea9eabd264b5f188cd29e4b71612d3
>明後日から、しばらく旅に出ます。
お気をつけて。
北朝鮮はやめてくださいね。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000313011
早島大祐氏の『徳政令 なぜ借金は返さなければならないのか』を半分ほど読みました。とても面白い本ですが、ちょっと気になる箇所があります。
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・・・近年、井原今朝男氏が明らかにしたように、中世社会では、じつは借りたお金は返さなければならないという法が存在すると同時に、利子を元本相当分支払っていれば、借りたお金は返さくともよいという法も条件付きながら併存していた。(71頁)
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とあって、出典は『日本中世債務史の研究』(2011)なので、大丈夫かな、と思いながら読んでゆくと、次のような記述が出てきます。
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借りた金は返さなければならないという債権の法と、借りた金は返さなくともよいという債務の法との拮抗の上に、中世の金融と社会が構築されていたことは先に述べた通りである。この点を踏まえると、徳政一揆の蜂起という突発的に起きたように見える事態の前提には、それ以前に、債権の法のほうが優勢になるという特殊な状況が生まれていた、そう考えられるのではないだろうか。シーソー・ゲームのように、その反動が債務の破棄を求める一揆というかたちで噴出した、という見立てである。
だとすれば、その行きすぎた債権の法の優越とは、一体、どのようにして生じたのだろうか。この点を、債権の法を体現する存在である金融業者の実態から見ておこう。(94頁)
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http://www.moj.go.jp/MINJI/minji06_001070000.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E6%B3%95%E5%85%B8_(%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84)
「債権の法」と「債務の法」が、まるで別個に存在するような表現ですが、貸借契約をすれば債権と債務が同時に発生するのは自明のことで、ここで問題は、債権者と債務者との社会的な力関係なのであって、「債権の法」と「債務の法」の優劣ではないはずです。そもそも、「債権の法」とか、「債務の法」とか、聞き慣れない表現で、井原今朝男氏の変な影響を受けていなければいいが、と思いました。
追記
http://kensatsugawa-movie.jp/
面白い映画でした。検察制度に通じた法律の専門家からすれば、いろいろな欠陥はあるのでしょうが。
副題の英語「 Killing for the prosecution 」は、映画を見終わって、意味がわかりました。
明後日から、しばらく旅に出ます。
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