学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

【歌会始】「先見えて」

2013-01-20 | 歌会始
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月20日(日)22時51分11秒

>筆綾丸さん
>鬼門
私が篠弘氏の歌に一番反発を感じたのは、「先見えて」という不吉な表現を平気で使っている点でした。
お題が「立」だからといって、例えば、

八十に なりてこの世の 先見えて 次の世界へ 旅立たむとす

などと詠んでよいはずがありません。
民主主義社会なのだから、国家・社会のために役に立つ歌を作れ、などと野暮なことはいいませんが、せめて皇居での歌会始という公的な場の雰囲気を尊重した歌にしてほしいですね。
「ゆだぬれば事決まりゆく先見えて次の会議へ席立たむとす」みたいな気色の悪い歌は、選者の作品だから他の選者が排除できずに残っただけで、一般人が普通に応募したら、この人は歌会始の意義がわかっておらんね、と一番最初にふるい落とされたでしょうね。
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笹野観音堂(その2)

2013-01-20 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月20日(日)22時37分55秒

上から二番目は一切経堂、三番目は高さ5メートルの巨大な延命地蔵像ですね。
雪のために何だか訳の分からない形になってしまっていますが、公式サイトに出ている写真と比較してじっと眺めていると、地蔵かもしれないと思えてくるはずです。

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笹野観音境内紹介・延命地蔵菩薩

天保三年(1832)に地蔵菩薩を信仰し御利益を頂いたと大地蔵尊建立を発願した父の意志を継ぎ、渡部伊右ェ門広繁が建立しました。
渡部伊右ェ門は今の門東町、米沢税務署や米織会館の所に屋敷を構え、絹糸等の原糸や古着を扱う問屋「大和屋」を営む豪商で観音堂や仁王門再建の大施主を務めるの熱心な信者でした。
基礎及び台座は米沢の赤崩石、お身体は上山の川流石で造られ、総高さ約5メートルの県南一の石像、費用は450両と云われます。

http://sasanokannon.com/keidai_info.html#jizou

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6686
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笹野観音堂(その1)

2013-01-20 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月20日(日)22時27分53秒

今日は山形県高畠町の安久津八幡宮、米沢市の上杉神社・笹野観音堂に参詣してきました。
写真は空海と三一権実論争を行った徳一を開山と伝承する笹野観音堂です。
仁王門はむしろに囲まれており、境内では地元の人が雪下ろしをしていました。
本堂の屋根は傾斜が急なので、雪下ろしも危険が伴いますね。

笹野観音
http://sasanokannon.com/index.html

徳一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E4%B8%80

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6685


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【歌会始】日本文藝家協会理事長・篠弘氏の変てこな歌

2013-01-19 | 歌会始
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月19日(土)20時54分7秒

>筆綾丸さん
私も篠弘氏の歌は変だなと思ったのですが、たぶん莫迦なんだろうと思って特に言及しませんでした。
ウィキペディアを見たら、この人、肩書はすごいですね。
1933年生まれ、小学館の取締役出版部長、愛知淑徳大学教授、現代歌人協会理事長等を経て2010年から日本文藝家協会理事長だそうです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%A0%E5%BC%98

しかし、これだけの経歴を持った人が齢八十になって宮中歌会始の選者として、「ゆだぬれば事決まりゆく先見えて次の会議へ席立たむとす」はないだろうと思いますね。
これが歌なら、

 パンケーキ 表を焼けば 先見えて そろそろ裏へ 返さむとす

も歌ですかね。
たった今、パンケーキを焼きながら作ったんですけど。
現代短歌っていったい何なのだろう、という絶望的な気持ちにさせてくれる歌ですね。

※筆綾丸さんの投稿、「カエルの横這い」へのレスです。
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6682
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歌会始に関するアンタ何様批評

2013-01-19 | 歌会始
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月19日(土)09時29分13秒

ツイートしたことを少し修正してこちらに載せておきます。

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最年少12歳入選の太田さん「『何でか分からない』と答えました」

 「自分の歌が天皇陛下の前で詠まれることが非常にありがたいことだと思っています」。戦後最年少に並ぶ12歳で入選し、緊張した表情で歌会始の儀に参列した東京都渋谷区の武蔵中1年、太田一毅さん。その後行われた入選者の記者会見で、はきはきと話した。
 入選した歌では、飼っているアマガエルが鳴かないことを詠んだが、陛下からは「何で鳴かないんでしょうね」と、ご質問を受けたという。記者会見で「陛下になんとお答えしたのか」と質問が飛ぶと、「『なんでか分からない』と答えました」と笑顔を見せた。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130117/imp13011700010000-n1.htm

太田君の歌は「実は僕家でカエルを飼つてゐる夕立来るも鳴かないカエル」というものですね。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130116/imp13011611560002-n2.htm

「実は僕」の後に特に衝撃の告白が続かない理由を聞いたら、「なんでか分からない。ゲロゲーロ」という回答が返ってくるかもしれません。
子供をアマガエル、じゃなくて甘やかすのは教育上良くないですね。

「百年ばかり寝すごしちまつた頸を立て亀は春陽に薄き眸を開く」は「ちまつた」が下品なので「百年(ももとせ)を寝過ごしにけり」とすればよいのにと思ったけれど、選者の作品なんですね。
永田和宏京大名誉教授。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E7%94%B0%E5%92%8C%E5%AE%8F

珍奇な表現と字余りの多用は京極派の再来を思わせますが、歌会始は必ずしも自己の独創性を強くアピールする場ではなく、新春を寿ぐ公的な行事であってほしいので、選者自らこういう歌を出すのには疑問を感じます。

天皇陛下の御歌、「万座毛(まんざもう)に昔をしのび巡り行けば彼方恩納(あがたおんな)岳さやに立ちたり」は難読の固有名詞が二つあって、ちょっと重い感じがしますね。
ひとつだと面白い効果があると思いますが。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130116/imp13011611560002-n1.htm

皇后陛下のお歌、「天地にきざし来たれるものありて君が春野に立たす日近し」は古風で良いですね。
どことなく持統天皇を思わせる気品のある歌です。
皇太子殿下の「幾人の巣立てる子らを見守りし大公孫樹の木は学び舎に立つ」と雅子さまの「十一年前吾子の生れたる師走の夜立待ち月はあかく照りたり」は穏当。
ただ、雅子さまの「十一年前」は何と読むのですかね。
「じゅういちねんまえ」では変な感じがしますが、もう少し雅な読み方があるのでしょうか。
秋篠宮殿下の歌「立山にて姿を見たる雷鳥の穏やかな様に心和めり」は散文、しかも小学生の作文レベルですね。
お題の「立(たつ)」については、あまりに漠然としたテーマであって、歌会らしい調和的なイメージの連鎖を形作ることが難しいという批判はあると思いますが、それにしても地名の「立山」で済ませるというのは独創的というか、ちょっとずうずうしいですね。
紀子さまの「凛として立つ園児らの歌ごゑは冬日の部屋にあかるくひびく」はまあまあかな。
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コブハクチョウ?

2013-01-16 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月16日(水)22時09分41秒

東名運河にいた白鳥、嘴が赤いので、あれっと思ったのですが、これはコブハクチョウみたいですね。
いつまでたっても鳥類に弱いので、全然自信はないのですが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%96%E3%83%8F%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6

>筆綾丸さん
露天商の世界は結構インターナショナルなんじゃないですか。
金属製のアクセサリーを売っている外国人はイスラエルの人が多いですね。
最近は減ったのかな。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6680

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東松島市・東名漁港(その2)

2013-01-16 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月16日(水)21時33分7秒

東名漁港は牡蠣の養殖で有名で、漁港周辺には津波の後に採取された牡蠣の殻があちこちに積み上げられていました。
写真一枚目は漁港東端の八大龍王碑、二枚目はその直ぐ沖で行われている防波堤再建工事、そして三枚目は新築された「東名共同かき処理場」の建物です。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6679




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東松島市・東名漁港(その1)

2013-01-16 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月16日(水)21時22分46秒

大雪の翌日の昨日(15日)、東松島市のJR東名駅・東名漁港・JR野蒜駅周辺に行ってきました。
宮城県でも海沿いの人は雪に慣れていないですから、事故に巻き込まれるのを避けるために今回は電車でJR松島海岸駅まで行き、そこから先は仙石線の代替バスを利用しました。
地元のフリーカメラマンの方に聞いたところ、14日の降雪は比較的温暖な沿岸部では珍しい、五年に一度くらいの大雪だったそうです。
新潟で買った滑りにくい長靴を履いていたのですが、東名バス停から東名漁港への圧雪の道を歩いているときに強風に煽られ、コントのように何度もコケました。
この付近は1mほど地盤沈下しており、二枚目・三枚目の写真に見える海のような部分も、元々は陸地だったところですね。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6678
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雪の竹駒神社(その2)

2013-01-14 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月14日(月)18時44分33秒

竹駒神社には既に何回か参詣しており、境内も撮影済みなので、今回は人物写真を多めに撮ってみました。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6676


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雪の竹駒神社(その1)

2013-01-14 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月14日(月)18時40分4秒

今日は雪だったので、ふと思い立って電車で岩沼市の竹駒神社へ行ってきました。
一枚目の写真の右側、石柱には「勅宣正一位 日本三大稲荷 竹駒神社」と書いてあります。
「日本三大稲荷」のひとつが伏見稲荷であることは固いとして、残りの二つは諸説入り乱れていますね。
ま、言ったもの勝ちの世界のようにも思えますが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E4.B8.89.E5.A4.A7.E7.A8.B2.E8.8D.B7

竹駒神社はホームページを持たない主義のようですが、宮城県神社庁の「県内神社検索」では、次のように説明しています。

------
鎮座地: 宮城県岩沼市稲荷町1-1
主祭神: 倉稲魂神、保食神、稚産霊神
例祭日: 陰暦2月初午大祭第5日目
由緒:
竹駒神社は古くから日本三稲荷の一社に数えられる極めて霊験のあらたかな神社とたたえられ、衣・食・住の守護神であられる倉稲魂神、保食神、稚産霊神の三柱の神々をお祀り申し上げております。御創建は人皇54代仁明天皇の承和9年、(西暦842)で、小倉百人一首にも名を連ねる参議小野篁卿が陸奥守として御着任の際、東北開拓・産業開発の大神として御創建され古くは平泉藤原三代、降っては仙台藩主伊達家歴代の尊崇頻る篤く、特に大衆を慈しまれる神として崇められております。
http://www.miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310010288

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6675
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猪瀬直樹氏からもらった葉書

2013-01-14 | その他
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月14日(月)18時34分48秒

>筆綾丸さん
アンローダー、いいですよね。
何故あんな複雑な形状をしているのか、未だに理解できないのですが。

>『表徴の帝国』
私、一時期、猪瀬直樹にちょっと凝っていて、『天皇の影法師』『ミカドの肖像』『土地の神話』『昭和16年夏の敗戦』など、初期の作品はけっこう読んでいます。
『土地の神話』に少し疑問を抱いたことがあって、返信など全く期待せずに出版社宛てにかなり失礼な文面の手紙を送ったら、ご本人直筆の丁寧な葉書が来て驚いたこともあります。
そして、この人は幅広く取材源を確保するために地味な努力を重ねているんだなと感心もしました。
そういうマメさは政治家にも向いているんでしょうね。

猪瀬氏はロラン・バルトの皇居=空虚な中心の話が好きで、いろんな作品に引用していますが、元ネタの『表象の帝国』自体が雑な旅行記ですから、あまり有難がる必要もないように思いますね。

※筆綾丸さんの以下の投稿へのレスです。
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6673
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兼好法師の遺跡?

2013-01-14 | 日本文学
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月14日(月)13時20分49秒

検索してみたら花見の時期の美しい境内の様子を撮影した動画もありました。
2分過ぎくらいにチラッと出てくる稲荷社前の渋い狐、けっこう私の好みのタイプです。

http://www.youtube.com/watch?v=uLOaWu7B-CU

「兼好法師の庵」だったという話もあるそうですね。

---------
 摂津八十八ヶ所第32番霊場「正圓寺」境内に、「兼好法師の藁打石」と「兼好法師隠棲庵跡」の碑が建っている。吉田兼好は、鎌倉末期から南北朝時代にかけての歌人であり、後宇多天皇に仕える北面の武士であった。
 1324年(正中元年)比叡山で剃髪し、京都吉田山に隠れ住み、後には南北朝の戦乱を避け、彼の弟子の命婦丸(文献によっては命松丸)の里であった阿倍野丸山(現在の大阪市阿倍野区丸山通り付近)に移り住み、自ら藁を打ち、ムシロを織って、清貧自適な暮らしを営んでいたと言われている。
 『兼好法師の藁打石』と伝えられる大石は、元は当寺院の北の方に丸山古墳があり、その近くにあった柘榴塚の大石が伝えられたもので、現在正圓寺門前の正面参道の石段のところに建つ「大聖歓喜天」と刻んだ標碑の礎石がその『藁打石』と言い伝えられている。
すぐ傍らに『兼好法師隠棲庵跡』の碑や『句碑』も建てられているが、これらの石碑は柵で囲まれており、石碑の建立年月などは確認できなかった。
http://www12.plala.or.jp/HOUJI/shiseki/newpage423.htm

こちらは史実としてはかなり微妙な話ですが、近世に様々な形で広がった兼好伝説の一例としては面白いですね。
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大阪・正圓寺

2013-01-14 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月14日(月)13時08分29秒

UFO童子さんのブログで教えてもらった正圓寺は大阪市阿倍野区に所在し、通称が「天下茶屋の聖天さん」だそうですね。
天保山などと並ぶ「大阪五低山」(!)のひとつ、標高14mの聖天山という小さな丘の頂上に寺があって、本尊の大聖歓喜天の巨大な木造は秘仏であり、一般公開されていないとか。

『大阪再発見!』「聖天山正圓寺」
http://www12.plala.or.jp/HOUJI/otera-1/newpage117.htm

入口には鳥居が設けられ、生駒山寳山寺(通称「生駒の聖天さん」)と似たような神仏混淆的な雰囲気があるようですね。

『大阪DEEP案内』
http://osakadeep.info/2007/08/17/164639.html

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相馬港復旧工事(その3)

2013-01-14 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月14日(月)00時54分21秒

こちらは東京電力と東北電力の共同出資で設立された相馬共同火力発電(株)新地発電所の専用埠頭の様子です。
新地発電所は国内最大級の石炭火力発電所で、埠頭では専用船から石炭を積み出す、というか拾い上げるアンローダー(揚炭機)が威容を誇っていますね。
戦艦の艦橋を連想させる形状の部分は宙に浮かんでいて、掻取部と呼ばれる水車のような部分が回って石炭を拾う訳ですね。

連続式アンローダー
http://www.ihi.co.jp/imc/News025_j.htm
相馬共同火力発電株式会社
http://www.somakyoka.co.jp/index.htm

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6670

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相馬港復旧工事(その2)

2013-01-14 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月14日(月)00時19分4秒

(その1)で、後一年くらいすれば、と書いたのは工業港に関しての印象です。
重要な物流拠点なので工業港は最優先で復旧してもらわなければ困りますね。
漁港の方は若干遅れていますが、こちらもそれなりの活気が感じられます。
漁港周辺の旅館・ホテルも再開したところがかなり増えてきましたね。
岩子地区では3階まで浸水して廃墟の様相を呈していたホテルがいつの間にか真新しくなって営業しており、ちょっと驚きました。
他方、原釜等の住宅地は全く復旧の気配もなく、厳しい状況が続いていますね。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6669

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