学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

雪の竹駒神社(その2)

2013-01-14 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月14日(月)18時44分33秒

竹駒神社には既に何回か参詣しており、境内も撮影済みなので、今回は人物写真を多めに撮ってみました。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6676


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪の竹駒神社(その1)

2013-01-14 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月14日(月)18時40分4秒

今日は雪だったので、ふと思い立って電車で岩沼市の竹駒神社へ行ってきました。
一枚目の写真の右側、石柱には「勅宣正一位 日本三大稲荷 竹駒神社」と書いてあります。
「日本三大稲荷」のひとつが伏見稲荷であることは固いとして、残りの二つは諸説入り乱れていますね。
ま、言ったもの勝ちの世界のようにも思えますが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E4.B8.89.E5.A4.A7.E7.A8.B2.E8.8D.B7

竹駒神社はホームページを持たない主義のようですが、宮城県神社庁の「県内神社検索」では、次のように説明しています。

------
鎮座地: 宮城県岩沼市稲荷町1-1
主祭神: 倉稲魂神、保食神、稚産霊神
例祭日: 陰暦2月初午大祭第5日目
由緒:
竹駒神社は古くから日本三稲荷の一社に数えられる極めて霊験のあらたかな神社とたたえられ、衣・食・住の守護神であられる倉稲魂神、保食神、稚産霊神の三柱の神々をお祀り申し上げております。御創建は人皇54代仁明天皇の承和9年、(西暦842)で、小倉百人一首にも名を連ねる参議小野篁卿が陸奥守として御着任の際、東北開拓・産業開発の大神として御創建され古くは平泉藤原三代、降っては仙台藩主伊達家歴代の尊崇頻る篤く、特に大衆を慈しまれる神として崇められております。
http://www.miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310010288

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6675
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猪瀬直樹氏からもらった葉書

2013-01-14 | その他
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月14日(月)18時34分48秒

>筆綾丸さん
アンローダー、いいですよね。
何故あんな複雑な形状をしているのか、未だに理解できないのですが。

>『表徴の帝国』
私、一時期、猪瀬直樹にちょっと凝っていて、『天皇の影法師』『ミカドの肖像』『土地の神話』『昭和16年夏の敗戦』など、初期の作品はけっこう読んでいます。
『土地の神話』に少し疑問を抱いたことがあって、返信など全く期待せずに出版社宛てにかなり失礼な文面の手紙を送ったら、ご本人直筆の丁寧な葉書が来て驚いたこともあります。
そして、この人は幅広く取材源を確保するために地味な努力を重ねているんだなと感心もしました。
そういうマメさは政治家にも向いているんでしょうね。

猪瀬氏はロラン・バルトの皇居=空虚な中心の話が好きで、いろんな作品に引用していますが、元ネタの『表象の帝国』自体が雑な旅行記ですから、あまり有難がる必要もないように思いますね。

※筆綾丸さんの以下の投稿へのレスです。
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6673
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兼好法師の遺跡?

2013-01-14 | 日本文学
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月14日(月)13時20分49秒

検索してみたら花見の時期の美しい境内の様子を撮影した動画もありました。
2分過ぎくらいにチラッと出てくる稲荷社前の渋い狐、けっこう私の好みのタイプです。

http://www.youtube.com/watch?v=uLOaWu7B-CU

「兼好法師の庵」だったという話もあるそうですね。

---------
 摂津八十八ヶ所第32番霊場「正圓寺」境内に、「兼好法師の藁打石」と「兼好法師隠棲庵跡」の碑が建っている。吉田兼好は、鎌倉末期から南北朝時代にかけての歌人であり、後宇多天皇に仕える北面の武士であった。
 1324年(正中元年)比叡山で剃髪し、京都吉田山に隠れ住み、後には南北朝の戦乱を避け、彼の弟子の命婦丸(文献によっては命松丸)の里であった阿倍野丸山(現在の大阪市阿倍野区丸山通り付近)に移り住み、自ら藁を打ち、ムシロを織って、清貧自適な暮らしを営んでいたと言われている。
 『兼好法師の藁打石』と伝えられる大石は、元は当寺院の北の方に丸山古墳があり、その近くにあった柘榴塚の大石が伝えられたもので、現在正圓寺門前の正面参道の石段のところに建つ「大聖歓喜天」と刻んだ標碑の礎石がその『藁打石』と言い伝えられている。
すぐ傍らに『兼好法師隠棲庵跡』の碑や『句碑』も建てられているが、これらの石碑は柵で囲まれており、石碑の建立年月などは確認できなかった。
http://www12.plala.or.jp/HOUJI/shiseki/newpage423.htm

こちらは史実としてはかなり微妙な話ですが、近世に様々な形で広がった兼好伝説の一例としては面白いですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪・正圓寺

2013-01-14 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月14日(月)13時08分29秒

UFO童子さんのブログで教えてもらった正圓寺は大阪市阿倍野区に所在し、通称が「天下茶屋の聖天さん」だそうですね。
天保山などと並ぶ「大阪五低山」(!)のひとつ、標高14mの聖天山という小さな丘の頂上に寺があって、本尊の大聖歓喜天の巨大な木造は秘仏であり、一般公開されていないとか。

『大阪再発見!』「聖天山正圓寺」
http://www12.plala.or.jp/HOUJI/otera-1/newpage117.htm

入口には鳥居が設けられ、生駒山寳山寺(通称「生駒の聖天さん」)と似たような神仏混淆的な雰囲気があるようですね。

『大阪DEEP案内』
http://osakadeep.info/2007/08/17/164639.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相馬港復旧工事(その3)

2013-01-14 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月14日(月)00時54分21秒

こちらは東京電力と東北電力の共同出資で設立された相馬共同火力発電(株)新地発電所の専用埠頭の様子です。
新地発電所は国内最大級の石炭火力発電所で、埠頭では専用船から石炭を積み出す、というか拾い上げるアンローダー(揚炭機)が威容を誇っていますね。
戦艦の艦橋を連想させる形状の部分は宙に浮かんでいて、掻取部と呼ばれる水車のような部分が回って石炭を拾う訳ですね。

連続式アンローダー
http://www.ihi.co.jp/imc/News025_j.htm
相馬共同火力発電株式会社
http://www.somakyoka.co.jp/index.htm

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6670

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相馬港復旧工事(その2)

2013-01-14 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月14日(月)00時19分4秒

(その1)で、後一年くらいすれば、と書いたのは工業港に関しての印象です。
重要な物流拠点なので工業港は最優先で復旧してもらわなければ困りますね。
漁港の方は若干遅れていますが、こちらもそれなりの活気が感じられます。
漁港周辺の旅館・ホテルも再開したところがかなり増えてきましたね。
岩子地区では3階まで浸水して廃墟の様相を呈していたホテルがいつの間にか真新しくなって営業しており、ちょっと驚きました。
他方、原釜等の住宅地は全く復旧の気配もなく、厳しい状況が続いていますね。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6669

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする