学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

内面的拘束力─「窮極の旅」を読む(その23)

2015-09-07 | 石川健治「7月クーデター説」の論理

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 9月 7日(月)13時08分10秒

美濃部の『憲法撮要』は580ページもあり、まだパラパラ眺めているだけですが、「違法の後法」に関連して美濃部と清宮の発想の違いが伺われる箇所を見つけたので、メモしておきます。
それは法律の「内面的拘束力」の問題です。
既に(その15)で清宮の「内面的拘束力」に関する説明は紹介していますが、便宜のため再掲すると、

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 ところで、前掲十年間不更正を宣言する条項は確かに「ただ立法上の方針を宣明にしたにすぎぬ」ものではあるが、その理由からはいまだ当然には「何ら法的効力をもつものではない」との結論は生じ得ない。たとえそれが立法方針の宣明にすぎぬにしても、立法機関によって宣明されたかかる方針は、いやしくもそれが法律として成立すると仮定すれば、かかるものとして少なくともいわゆる内面的拘束力を有し、立法機関自身の行態を義務づけ、拘束する法規範として、法上有意義なものと看做されなければならない。立法機関自らが右の宣明によって十年間不更正の法的義務を負い、もし、美濃部博士の説明の如く、右の法律の主旨とするところが「単純な人口の増減だけでは十年間は之を動かさない方針の言明」にあるとすれば、立法機関は十年以内には少なくとも人口の増減を理由としては別表の更正を行わない義務を負うものと解さねばなるまい。
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という具合に、少なくとも上記引用の範囲では、清宮は一貫して「内面的拘束力」を立法機関を拘束する力として説明しています。
しかし、美濃部の説明は次のようなものです。(第四版、p423以下)

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第六章 立法 第三節 法律の効力
一 法律の規定し得べき内容
 【中略】
二 法律の実質的効力
 【中略】
 法律の実質的効力とは法律の内容に基く効力を言ふ。或は之を法律の拘束力と言ふことを得。法律は国家の意思表示なるを以て、国家の統治権に基き其意思の内容に従ひ国家及国民を拘束するの力を有するなり。
 法律の拘束力は法律の内容如何に依り同じからず。法律の内容が行政作用の準則を定むるに止まるものなるときは、法律は唯行政作用を拘束する力あるに止まり、国民の権利義務に直接の関係を有せず。
 【中略】
 然れども法律の主たる内容は法規を定むるものにして、而して総て法規は一面には国家自身を拘束し、一面には国民を拘束する力を有す。
 第一に法律は国家自身を拘束する力を有す。之を法規の内面的拘束力と言ふ。法律は固より国家の自ら定むる所なれども、国家が之を定めて国民に表示するときは国家は将来に於て此法律に従ひて統治することを国民に向て宣言するものにして、此宣言に基き国家は国民に対する関係に於て此法律に従ふを要するの拘束を受け、之に違反するは国民に対する不法となる。国家が拘束を受くるは即ち国家機関が拘束を受くることにして、啻に司法裁判所及行政官庁が法律に従ふを要するのみならず、君主の大権も亦之に依りて拘束せらる。
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美濃部は「内面的拘束力」とは「国家自身を拘束する力」であり、「国家が拘束を受くるは即ち国家機関が拘束を受くること」であるとした上で、その国家機関とは司法裁判所と行政官庁だけではなく、「君主の大権も亦之に依りて拘束せらる」としています。
このあたりも帝国憲法を出来るだけ民主主義的に解釈することに努めた美濃部の面目躍如たる部分だと思いますが、当面の関心からは、清宮と異なり、美濃部が明示的には「内面的拘束力」によって拘束される国家機関に立法機関を挙げていない点が注目されます。
美濃部は立法機関を入れ忘れたのか、それとも意図的に立法機関を除いたのか。
ま、私は後者だと思いますが、少し長くなったので検討は後ほど行います。

「違法の前法」の問題─「窮極の旅」を読む(その15)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/840eae04f89667fefaf14dd678fbf216

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