学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

ラードブルッフ『法哲学』、「邦訳序」(その2)

2015-10-13 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年10月12日(月)22時21分32秒


続きです。

---------
 これと同時に私はラードブルッフ教授から翻訳の許可を得ることを引き受けた。当時直接交渉は種々の事情から困難な状態にあり、私の手紙に対する同教授からの翻訳快諾の手紙を、独逸フライブルクのヘンデル書店と東京エンデルレ書店の厚意ある中継によつて受け取つたのは昨年初夏の頃であつた。教授の手紙(一九四九年二月六日附)には私と妻とが、曾てハイデルベルヒに教授を訪れたこと(一九三六年)を懐しく思ひ出すこと、又戦争の最悪の時期においてなほ自分の書物に興味をもつてくれたことを幸福に思ふことが附け加へて書いてあつた。
 その間私は、誤りなきを期するためにはできるだけ多くの目を通した方がよいと思つて、全部の原稿を一応通読した。誤訳や不適訳は極めて少なく、仕事は良心的に忠実になされてゐると思つた。しかし光彩陸離、芸術味豊かな教授の文章の真面目を遺憾なく伝へることは殆んど不可能に近い業である。それにかやうな種類の書物について誤訳が絶対にないとは保障し難い。正直なところ我々はもし誤訳が少ないならば満足しなければならぬのである。
 我々は教授の学恩に答へるために、教授に速かに訳書を贈呈したかつた。ところが昨年の暮おしつまつて、ヘンデル書店を通じて教授の訃報が入つた。教授は昨年十一月二十三日、第七十一回の誕生日の二日後に急逝されたのであつた。全世界の法哲学者で彼の死を知つて悼まぬものは一人もなかつたであらう。私個人の悲しみと淋しさは無限である。本訳を教授の生前に公刊し得なかつたことは、痛恨の極みである。ただ我々として本訳を未亡人に、我々の亡き教授に対する絶大の敬愛のしるしとして呈することで以て満足しなければならぬ。
 終りになほ一言附加する。我々は我が国において新憲法実施以来民主主義が口にせられるが、それはなほスローガンの域を脱しないで、反民主主義的諸現象が横行してゐる。本書はナチ的ファッシズムの独裁下にあつて民主主義の理論的基礎付けを試みたものである。爾来時勢は変転したが我々は今は左翼的暴力の支配の脅威に晒されてゐる。民主主義は自らを防衛する権利をもつものであり、その脅威に対し拱手傍観するのは信念ある民主主義者の態度とはいひがたい。我々は朝鮮問題の勃発により日本のみならず全世界の民主主義の危機が切迫してゐる今日において、本書が民主主義の防衛のために戦ふ者に必要な理論的武器を供する意味で、なほ歴史的役割を演ずることを確信するものである。
  昭和二十五年(一九五〇年)七月十二日
           田中耕太郎
--------
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ラードブルッフ『法哲学』、... | トップ | 田中耕太郎『私の履歴書』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

石川健治「7月クーデター説」の論理」カテゴリの最新記事