学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

ラードブルッフ『法哲学』、「邦訳序」(その1)

2015-10-13 | 石川健治「7月クーデター説」の論理

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年10月12日(月)21時58分24秒

昨日の投稿「『恩師』の水浸し」で、『法哲学』の序文についてあやふやな記憶で書いてしまいましたが、確認してみたら、研究会は戦時中の昭和19年6月に始まっており、参加者の大半は留学経験のない若手研究者でした。
田中の役割は実際には訳者ではなく監修者ですが、田中が執筆した「邦訳序」はなかなか興味深い内容なので、適当なことを書いてしまったお詫びを兼ねて、原文を紹介しておきます。
旧漢字を改めただけで、仮名遣いはそのままにしてあります。

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邦訳序

 グスタフ・ラードブルッフ教授の「法哲学要綱」第一版(一九一四年)が公刊されてから三十六年、又その第三版に該当する「法哲学」(一九三二年)が世に出てから十八年、それに対する我が法学界の大なる評価とそれが我が法学界に及ぼした深甚な影響はけだし測り知るべからざるものがある。しかしながら本書をその原著について精読した者はその範囲が極めて限局されてをり、法学に志す者すら必ずしも直接その内容に親しんでゐるとはいへない。況んや所謂社会科学や文化科学や政治経済を論ずる者においておや。我々はラードブルッフの法哲学が、単に法哲学の分野のみに限らず、社会、政治及び文化一般に関する学問に従事する者に対する甚だ高級な入門書であり、且つ既得の智識を消化し整序する仕上げの書たることを信ずる。さうしてこの書が時代的背景の所産でありながら、しかも永遠の課題と直接とり組んでいる意味において、我々はそれが古典的価値を有することにつき決して疑を懐かないのである。
 かやうな意味において我々は既に久しい間、本書が邦訳せられ、一層広い読者層をもち、以て我が思想界文化界の水準の向上に資することを切望してゐた。偶々太平洋戦争が我が国にとつて断末魔の様相を呈し、東大の教授陣や学生は一般の大学の例に漏れず、防空や勤労や学徒出陣や図書疎開等に寧日がなかつた頃の昭和十九年六月、ラードブルッフ法哲学の研究会が東大法学部の大学院特別研究生や助手の諸君の熱心な希望によつて誕生したのであつた。そのメンバーは小山昇、服部栄三、綿貫芳源、矢沢惇、守安清、伊藤正巳、加藤一郎、滋賀秀三、雄川一郎、石川吉右衛門、池原季雄、山本桂一の諸君である。その以外に同僚尾高朝雄教授と私はこれ等の若手の諸君の希望によつてこの研究会に参加し、会合を指導することになつた。空襲が益々熾烈を加へ、会員の中に罹災者が続出し、世情騒然、生活急迫を加へてきたにかかはらず、毎週一回の輪読は規則正しく続けられた。空虚な号令と虚偽なニュースが充満してゐる世間の騒音を外に、我々は血肉が躍動してをり、芸術的香気の高い本書を一章一章と読み続け、学問的栄養を摂取する幸福をしみじみと感じたのであつた。この協同的な仕事こそ、私個人としても、東大法学部勤務三十年間における最も楽しく且つ懐しい経験として今日これを回顧するのである。我々はこの仕事に参加した諸君が今日新進の学者として東大を初め各大学の教授陣を充実してゐることを心から喜ばしく感じるとともに、このラードブルッフの研究が諸君の学問の内容と方向付けに大きな寄与をしたこと、ことにこれによつて諸君が法哲学的真理の探求に情熱をもつやうになり、又相互間に気高い学問的協同体を作つたことを信じて疑はないのである。
 研究会は終戦直後の昭和二十年九月を以て予定の仕事を完了した。その後間もなく、参加者の勉強のために、又楽しかつた協同研究を記念するために、翻訳の話がもち上つた。各自はそれぞれ分担の部分を訳し、昭和二十二年三月までに、第一章乃至第十五章は服部君が、第十六章乃至第二十九章(終章)までを矢沢君が整理し、尾高教授と読み合せを行つた。
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