学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

再々考:遊義門院と後宇多院の関係について(その4)

2020-02-28 | 『増鏡』の作者と成立年代(2020)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 2月28日(金)13時34分31秒

『続史愚抄』二十三年の旅になかなか出発できませんが、去年、「北山准后九十賀」について一応纏めておいたことは幸いでした。
この作業をしていなかったら、弘安八年(1285)に取り掛かったとたん、様々な疑問点が出てきて、いきなり座礁したかもしません。
さて、『続史愚抄』は「北山准后九十賀」の記事の典拠として『増鏡』以外に『実冬卿記』『歴代編年記』『歴代最要抄』『公卿補任』『園太歴』等も挙げていますが、『増鏡』を除くと主として滋野井実冬の『実冬卿記』に依拠していますね。
私も去年、『増鏡』と『実冬卿記』、そして柳原紀光が知り得なかった『とはずがたり』を素材に「北山准后九十賀」を検討していたところ、船上連歌の場面で行き詰まってしまいました。

「北山准后九十賀」 の「供御膳儀」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/bcd189ab71d083b722be159b37566aad
「北山准后九十賀記(実冬卿記)」に基づく訂正
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/cd36a67d5a658a5be7505e76110ae31e
『とはずがたり』に描かれた北山准后(その6)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a32dba8750f9eb39107c72bfc964ef0a
後深草院との歌の贈答
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/55637ad3bae6e5109bac7d840c50a293
後深草院二条の叔父・隆良の役割
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/20abfbde943fb38071e27fb435c49e03
後深草院との久しぶりの邂逅
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/775c237ff40bb0006550e62e2160b2fa
船上連歌の異常な内容(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c6356a56ef4f8aa264cfa61871b26abe
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/174eb3d142306c1173d41effbe5160f9

かくして船上連歌で行き詰まった時、小川剛生氏に「北山准后九十賀とその記録─東山御文庫蔵『准后貞子九十賀記(宗冬卿記)』の紹介」(『明月記研究』7号、2002)という論文があることに気づき、同論文を読んでみたところ、『宗冬卿記』には『実冬卿記』の欠落を補う箇所が多く、大変参考になりました。

「両院無御乗船」(『准后貞子九十賀記(宗冬卿記)』)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/11c5a5cb75b5dd87e2e78e130efc36f4
「北山准后九十賀とその記録─東山御文庫蔵『准后貞子九十賀記(宗冬卿記)』の紹介」(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c55f84863cc2d47f6263bd9f41d501c0

ということで、私は小川氏の2002年の論文に大変感謝しているのですが、しかし同時に、

-------
小川氏は2002年の時点で、「両院無御乗船」により『とはずがたり』の虚構性を証明する完璧な証拠、二条のような性悪女にも弁解の余地を与えない完璧な物証を掴んだのに、それが『とはずがたり』への、そして『とはずがたり』に大幅に依拠する『増鏡』への疑念に繋がらないのは何故なのか。
私にとっては小川氏は畏るべき研究者であると同時に、ご本人自身も謎の存在です。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ab75c43edbdce36b08732f470d8b1bb9

という感想を抱かざるを得なかったのであります。
さて、この後、『宗冬卿記』の記述を踏まえて、更に若干の検討を行いました。

「船上連歌」の復元
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d0492375430fc07c6e9358420e09a9fc
「御賀次第」の作者・花山院家教
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/82c86694ff4f2a83c124ac891a4bcca5
「変態繽粉タリ」(by 菅原道真)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/4ea65e0e55b870999f246496f5ed2c92
「勧賞」に関する記述の正確さとその偏り
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/0cc49ddba7972accef2be4004370e047
『とはずがたり』の妄想誘発力
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ee45f887bd97eb7174c49da4d6e4210c

そしてこの後、伴瀬明美氏の「第三章 中世前期─天皇家の光と影」(服藤早苗編『歴史のなかの皇女たち』所収、小学館、2002)と三好千春氏の「遊義門院姈子内親王の立后意義とその社会的役割」(『日本史研究』541号、2007)の検討に移ったのですが、その内容は先日、三浦龍昭氏「新室町院珣子内親王の立后と出産」(『宇高良哲先生古稀記念論文集 歴史と仏教』、文化書院、2012)を参照しつつ復習した通りです。
以上のように去年の「北山准后九十賀」に関する検討もあちこち右往左往しており、もう一度書き直した方が分かりやすいのですが、今はその時間が取れないので、リンク集のような形で一応の整理をしておきました。
次の投稿から『続史愚抄』の検討を行います。

>筆綾丸さん
>桃崎有一郎『室町の覇者 足利義満ー朝廷と幕府はいかに統一されたか』

桃崎氏も鋭い人ではあるのでしょうが、言語感覚が独特なので私はいささか苦手です。
ご紹介の本も今は余裕がなくて、直ぐには読めそうにありません。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

閑話 2020/02/27(木) 18:48:55
桃崎有一郎『室町の覇者 足利義満ー朝廷と幕府はいかに統一されたか』(ちくま新書)は面白い本ですが、少し書いてみます。

義満が、側近で「高倉禅門」という通称(禅門は出家入道した者)で呼ばれた高倉永行のことを、「堕落禅門」と呼んでいた事実が、最近紹介された(小川剛生-二〇一一)。これなど、永行の個性を考慮しているとはいえ、もはや駄洒落だ。これほど「狂言(言葉遊び」で人を翫ぶのを好んだ中世の権力者は、記録上、ほかに見たことがない(212頁)。

どこが駄洒落なのか、この説明ではわからない。高と堕(落)の対比ということか? 補陀落(渡海)を踏まえているような気がするが。

世阿弥の証言によれば、「狂言(という芸)」を創った世阿弥と、「狂言(冗談)」好みの義満の関係は、まさに「狂言(冗談)」が担っていた。義満は観阿弥の能を見て感銘し、「児は小股を掻かうと思ふとも、ここはかなふまじき(意表を突く技を用いても、人は彼に敵うまい)」と観阿弥に「御利口」、つまり狂言を述べたという(216頁)。

括弧内の訳では、前後の意味が通らない。稚児の世阿弥が意表を突くような技を用いても、ここはまだ親の観阿弥には敵うまい、ということかとも思うが、それでは、それがなぜ御利口(冗談)になるのか、わかない。稚児が小股を掻く、という言い回しに、美少年との性行為を表す同性愛的な暗示があるとでも解さなければ、御利口(冗談)にはならない。つまり、桃尻語訳、もとい、桃崎訳では、なんのことか、わからない。

仮想現実空間(バーチャルリアリティ)(193頁)とか、平行世界(パラレルワールド)(198頁)とか、仮の名前(ハンドルネーム)(200頁)とか、仮装遊戯(コスチュームプレイ)とか、発想革新(イノベーション)(219頁)とか、マンガチックな用語が多く、なんだかなあ、という感じです。
最後の発想革新は、義満の独創性を評する語であるが、日本維新の会(Japan Inovation Party)のイノベーションと同じであって、少しでも現代政治の知識があれば、恥ずかしくて使えない。せめて創造的破壊ディスラプション(disruption)という流行語にしてほしかったですね。
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