学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「少年少女世界の名作 レーニン」(その4)

2017-11-12 | ナチズムとスターリニズム
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年11月12日(日)10時56分51秒

国会図書館サイトで「深田良」を検索すると「個人著者標目」に「飯野彰, 1914-1977」と出てくるのですが、これが本名なのですかね。
この人は飯野彰の名前で『牛一匹の広場』(現代社、1959)を出した後、深田良の名前で、

『鏡の中の顔』(創思社、1969)
『断層回路:共産党背面史』(都市問題・出版部、1971)
『法燈を掲げる人々:本願寺の苦悩と栄光』(医事薬業新報社、1973)
『小説久保勘一』(創思社出版、1974)

の四冊を出していますが、テーマにあまり一貫性が感じられません。
『断層回路:共産党背面史』というタイトルからは、日本共産党を除名された人なのかな、と想像(妄想?)したくなりますが、これも実物を見ないと何ともいえないですね。
ま、それはともかく、もう少し引用を続けます。(p152以下)

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 ところでこのシルビンスクの町は、三つの区に分かれていました。山の手の丘はベネツ(かんむりという意味)とよばれ、金持ちや貴族が住み、町を見おろしていました。そしてその下のだらだら坂の途中が、商人の住むところで、商業の中心地となっていました。
 麦やさかな、羊毛、石炭などの市場が開かれ、名物の馬市では、近くの村から農民がおおぜい集まり、一週間仕事を休んで、お祭りさわぎをするのです。
 一番下の谷底のような低いところは、貧しい人たちの住まいでした。倒れそうな小屋やバラックからは、いやなにおいが鼻をつき、ぼろをきた子どもだちが、地面でどろだらけになり、やせおとろえたぶたや、毛のぬけた犬などが、うろうろと食べ物を捜しもとめていました。
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川又一英氏の『大正十五年の聖バレンタイン─日本でチョコレートをつくったV・F・モロゾフ物語』(PHP研究所、1984)には、シルビンスクに住む「ナターシャ叔母さん」について、

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 ナターシャ叔母さんは父の妹にあたる人だった。家はシルビンスクの大通りに面していて、ピカピカに磨かれた硝子窓がはまっていた。町でいちばん早く電気を引いたのは叔母さんの家で、その夜は見物人が山のように押し寄せたそうだ。叔母さんは小さなチョコレート工場をもっていて、町一番の高級チョコレートを売っている。ワレンティンの家もチェレンガ一の雑貨商だが、とても叔母さんのところの比ではない。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/b2c84d2eba3ce5b688586f12950208a5

とありましたが、時期はレーニンの子ども時代から少しずれるとしても、たぶんナターシャ叔母さんの「小さなチョコレート工場」も「だらだら坂の途中」の商業地区にあったのでしょうね。

Ulyanovsk
https://en.wikipedia.org/wiki/Ulyanovsk

※追記1
「切手と文学」というブログに、川端康成から飯野彰宛てに出された昭和28年の年賀状が載っていて、ブログ主は、

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宛名人である飯野彰氏は、日本文芸家協会会員、日本美術教育会員、東京作家クラブ会員であった小説家飯野一雄氏のことと思われます。飯野氏は、深田良の筆名で執筆を行っていましたが、昭和34年には飯野彰の筆名にて『牛一匹の広場』なる本を出版しています。
http://ikezawa.at.webry.info/200905/article_2.html

と書かれていますね。

※追記2
九州大学の「スカラベ人名事典」によると、深田良は、

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1914(大正3)年、東京の生まれ。小説家・出版業。本名・飯野一雄。早稲田大学卒。「日本文化財」の編集長を経て、無形文化財の専門書の出版にたずさわり、以後執筆に専念する。日本文芸家協会会員、日本美術教育会員、東京作家クラブ会員。昭和52年6月27日死去。経営していた創思社出版からは『麻生百年史』『定本嘉穂劇場物語』など、福岡・筑豊に関する著作を刊行し、また福岡県筑紫野市に九州編集部を置き、周辺地域の出版に貢献した。〈著書〉『牛一匹の広場』(飯野彰の筆名・現代社、昭34)『鏡の中の顔』(創思社, 昭44・6)『断層回路―共産党背面史』(都市問題出版部、昭46・9)『小説久保勘一』(創思社出版、昭49・5)『遠賀川 筑豊三代』(創思社出版、昭50・8)『小説三木武夫』(創思社出版、昭50・11)『日本の美術』(飯尾一雄著・岩崎書店、昭36、中学生の美術科全集7)『法燈を掲げる人びと―本郷寺の苦悩と栄光』(医事薬業新報社、昭48)〔参考〕「卍」第5号(1978.7.5)追悼号 【坂口 博】
http://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/recordID/442204?hit=-1&caller=xc-search

という人物だそうですね。
国会図書館サイトで検索した著書を見て、どうにもテーマに一貫性がないように感じましたが、これは小さな出版社の経営者として、自己の好みとは関係なく、経営を維持するために確実に利益が出る出版物を社長自ら執筆していた、といった事情があったのでしょうね。
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