学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学の中間領域を研究。

ナージャの母、若しくはボリシェビキの妖婦

2017-11-05 | ナチズムとスターリニズム
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年11月 5日(日)09時22分54秒

『スターリン 青春と革命の時代』 はピカレスク・ロマンの趣があって、けっこう面白いというか、ノンフィクションなのにこんなに面白くて良いのだろうか、みたいな感じもしてきますね。
例えばナージャ・アリルーエワの父母について、次のような記述があります。(p215以下)

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第13章 ボリシェビキの妖婦

 アリルーエフ一家はやがてスターリンと身内同士になり、スターリンと共に、監獄と死と陰謀のこの世界から権力の絶頂へと旅をし、それからまた、スターリン自身の手により、監獄と死と陰謀の世界へと逆戻りさせられることになるだろう。
 セルゲイは「ジプシーの先祖に似て魅力的で冒険好きな男だった。彼はよく喧嘩をした。誰かが労働者たちにひどい扱いをすれば、その男を叩きのめした」。妻のオリガ(旧姓フェドレンコ)は「灰色がかった緑の目をした金髪の本当の美人」だったが、性的に奔放な、マルクス主義者の妖婦だった。オリガは「しょっちゅう男たちと恋に落ちた」と彼女の孫スヴェトラーナ〔スターリンの娘〕は書いている。
 オリガの両親はドイツ系で、大きな志を持ち、オリガに高い望みをかけて一生懸命働いていた。しかし、当時二十七歳のセルゲイ・アリルーエフが下宿人になった。セルゲイは農奴出身の整備工でジプシーのルーツを持ち、十二歳から働いていた。オリガは十三歳になったばかりで、地元のソーセージ製造職人に嫁ぐことが決まっていたが、この下宿人と恋に落ちた。二人は駆け落ちした。父親は鞭を手にしてセルゲイを追跡したが、間に合わなかった。セルゲイとオリガは革命運動に熱中し、その一方で娘二人、息子二人の家庭を築いた。
 アリルーエフ家の末娘ナジェージダ(ナージャ)はまだ赤ん坊だったが、年上の子供たちはこの落ち着かない淫乱な母親と大義に献身的な家族と共に成長した。この家は絶えず顔ぶれが入れ替わる若い陰謀家たちでにぎわっていた。とりわけそれは謎めいていて、神秘的で、一家の母親の趣味に合った陰謀家たちだった。グルジア人は彼女のタイプだった。「時折、彼女はポーランド人、ハンガリー人、ブルガリア人と、さらにはトルコ人とも浮気した」とスヴェトラーナは言っている。「彼女の好みは南方の男で、時々『ロシア人の男は田舎者だわ』と腹を立てることがあった」
 オリガ・アリルーエワのお好みは、レーニンの沈思熟考型の特使で目下シベリア流刑中のヴィクトル・クルナトフスキー、そしてスターリンだった。彼女の息子パーヴェル・アリルーエフは、母親が最初にスターリン、それからクルナトフスキーを追い回したとぼやいていたらしい。母親がその両方と寝たことを認めたと、ナージャが言ったという主張がある。孫のスヴェトラーナがはっきり書いているところによると、オリガは「常にスターリンに弱いところを持っていた」。しかし、「子供たちはこのことと折り合いをつけていた。情事は遅かれ早かれ終わり、家庭生活はそのまま続いた」
 情事は実際にあったように聞こえる。そうだとしても、それはこの時代にはよくあることだった。
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こういう家庭に育ったにしてはナージャ・アリルーエワはずいぶん生真面目な女性に成長したようですが、そうはいっても、ボルシェビキのような異常な人たちの集団の中では比較的マシだっただけ、という感じもします。
ボルシェビキはウラジミール・レーニン以下、問題が生じるのは「敵」が破壊工作をしているからだ、問題を解決するには「敵」を皆殺しにすればよい、という共通の確信を抱いていた人々で、要するに基本的に頭のおかしい狂暴な人たちの集団ですね。
ナージャも内乱期にはボルシェビキによる凄まじい殺戮を間近で見て、完全にそれに同調していた人ですが、農業集団化に際して無抵抗な農民を虐殺し、餓死に追い込んだ点は、親しい友人だったブハーリンの影響もあって、さすがにやりすぎだろうという懸念を持った程度だったようですね。

Nadezhda Alliluyeva(1901-32)
https://en.wikipedia.org/wiki/Nadezhda_Alliluyeva
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