学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

ノストラダムス・トッド

2016-11-23 | トッド『家族システムの起源』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年11月23日(水)21時32分58秒

私は古島敏雄を近世・近代農業史の研究者と思っていたので、19日の投稿で、

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230pには「中根は、十二世紀の長野県において、一時的ではあるが、ひじょうに巨大な世帯が存在したことを喚起していた。(13)」とあり、「原註」(13)を見ると「……中根は、この点については、1947年のフルシマの研究に依拠している」とあるので(p402)、これはおそらく古島敏雄でしょうから、古島の研究対象から考えて「十二世紀の長野県」ではないはずです。
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などと書いてしまいましたが、『古島敏雄著作集』第二巻(東大出版会、1974)所収の『家族形態と農業の発達』(初版は学生書房、1947)を確認したところ、この著作の構成は、

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一 問題の所在
二 原始末期の家族と農業
三 古代における家族形態と土地所有
四 古代における農業技術と経営形態
五 中世における家族制度と相続制度
六 中世農業技術の特質と農業経営
七 近世封建制と家族制度
八 近世農業技術と経営形態の特質
 1 自給肥料を中心とした典型的形態
 2 農業への商品流通の侵入と零細小作経営の分離
九 明治時代における農民の家族形態
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となっていて、対象となる時代は非常に幅広いですね。
ただ、「十二世紀の長野県において……」に対応する記述はありませんでした。
「七 近世封建制と家族制度」には古島の出身地でもある信州伊那の大家族形態に関する記述も若干ありますが、そこと混同しているようにも思えず、トッドないし翻訳者に何らかの誤解がありそうです。
また、別府春海氏の論文は未確認ですが、『家族形態と農業の発達』には「日本の中央部(岐阜地方)の内陸山岳地帯の孤立した地域」「中切」に関する次のような記述があります。(p351)

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 明治以後に存在した大家族制度として有名なものに、飛騨白川村の例がある。明治九(一八七六)年の戸籍によれば、同村中切部落の小字御母衣にあっては、四戸ある農家の平均家族員数は二一人であり、木谷では二〇・三人となっている。中切部落の最大家族は三一人家族二戸となっている。これは古代家族の残存物として喧伝され、またその中における傍系成年家族の婚姻関係、生活形態等に対する民俗学的興味からも多くの報告を持っている。この地の家族形態の研究として、最も精緻な小山隆氏の研究によれば(小山隆氏「山間聚落と家族形態」『年報社会学』第四章)、傍系血族を多く含み、傍系が正規の結婚をしない大家族形態は、庄川上流の山間部一帯にあっても、白川村中切・山家両部落を除いては発達を遂げていない。しかもそれも明治末期より大正にかけては次第に変質し、昭和に入るとともに急速にかつての形態を失っている。
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スタンフォード大学名誉教授・Harumi Befu〔別府春海〕氏の華麗な経歴から見て、同氏に「中切」についての独自研究があるとも思えず、おそらく日本の研究者の基礎研究に依拠した何らかの分析なのでしょうね。

>筆綾丸さん
>上巻の表紙に、久隅守景の「納涼図屏風」

原著ではゴーギャン風というかマチス風というか、なかなか個性的な絵になっていますね。
日本版は翻訳者か藤原書店関係者の趣味かもしれないですね。

L'origine des systèmes familiaux T1

少し検索してみたところ、Aude Lancelin というジャーナリストの記事には「Nostradamus Todd」などという表現があり、ちょっと面白いですね。

L'incroyable M. Todd

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

数学者と詩人の会話 2016/11/22(火) 16:26:53
小太郎さん
レヴィ=ストロースの『親族の基本構造』における群論的な個所は、20世紀を代表する大数学者アンドレ・ヴェイユが協力したと言われていますが、トッドの「15の家族型」に数学者の協力はあったのかどうか。「15の家族型」を眺めながら、私にはとても理解できそうにないな、と感じました。

http://kanshokyoiku.jp/keymap/tnm06.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95%E9%A1%94_(%E6%BA%90%E6%B0%8F%E7%89%A9%E8%AA%9E)
上巻の表紙に、久隅守景の「納涼図屏風」を用いたのは、トッドの茶目っ気なんでしょうね。
この絵の夕顔は、私には源氏物語「夕顔巻」を踏まえているような気がしてなりません。王朝の恋物語を江戸期の市井に移植したもので、男は光源氏の、女は夕顔の君の、子供は玉鬘の、それぞれの生まれ変わり、というわけです。もちろん、何の根拠もない解釈ですが、トッドにはわかるめえ、という自信があります(笑)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%A0%E7%B2%92%E5%AD%90
物理の世界では、現在、素粒子は17個とされていて、ビッグバン以前の未分化な状態が、なぜ、17個の素粒子に分岐するのか、不可解な話です。
石崎氏の解説によれば、トッドの云う家族システムの時系列的順序は、未分化・双方性→父系制→母系制、ということになるそうですが(下巻834頁)、未分化なものが、なぜ、15の家族型に分岐するのか、素粒子同様、わからない話ではあります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%A6
アンドレ・ヴェイユの妹は思想家シモーニュ・ヴェイユですが、兄の頭が良すぎたため、妹は破滅的な人生を送らざるを得なかったのだろう、と言えば、シモーニュ・ファンに叱られるのだろうな。
ヴェイユが31歳の若さでコレージュ・ド・フランスに迎えられたとき、ポール・ヴァリーと交わしたとされる会話がありますが、こんな会話が似合いそうな数学者と詩人は日本には生まれそうにないですね。

「君はいくつになったのかね」
「31です」
「素数だな。大事にしないといけない」
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