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生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年07月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
何かに固執していますと心の余裕がなくなり物が見えなく傾向にあります。信念、哲学、思い込み、いろいろです。そんな人生の中で、自分の役割とは何だろう、その場で、あの場で、自分の役割に想いが至る人物は中々のもので、そう沢山いないようです。ましてさりげなく、さらりと誰も見ていないところで役割を遂行している人を見るとただただ尊敬と信頼と愛を感じてしまいます。周囲も幸福ですが本人は多分、明るく爽やかに元気に生きておられることでしょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年07月15日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人間とは不思議な動物で自分の事だけを考えて生きていくと不幸になるようです。日々は考え方に支配されています。例えば「日常生活の周辺には好きな人と嫌な人が混在しているので豊かな人生が展開していく」と言う思想を意識しておくと嫌な日常でも平安感が少しは湧いてくるというもの。たまには嫌な相手の本音に耳を傾けてみると、そこに案外、大きなものがあったり自分への好意を持っていたことが分かり親友になる場合もあるのです。感情の転移を起こす人間は自分の中の嫌な自分を相手の中に見つける動物なので「嫌な相手と思う仕組み」を認識しておかないと貴重な人を失う事例が多いようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年07月14日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
好きか嫌いかの感情表現も明確にせずうやむやにして相手と対峙していると相手は勘違いというか、その表現を信じて、それに相応しく誠実に対応してくれます。ですから嘘の感情表現がいかに相手を騙すことになるか大きな問題を内在しています。まして自己主張を明確にしないまま相手と対峙していると混乱を起こしていきますから好きか嫌いか自己主張は何かを勇気をもって明確にしておかないと、かえって世間様に迷惑をかけて生きていく羽目になります。玉虫色が必要な場合もありますがその辺の折り合いは案外難しいですが自分なりの悟りと気づきを得ながら悔いのない人生を歩みたいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年07月13日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人間は凄惨な場面に遭遇し、辛い事を自分の五感で体験すると、それを癒すのはやはり自分の五感でしかありません。南米で政治暴動にまきこまれ目の前で身近な人が目の前で亡くなるという体験もしました。その折の硝煙の香り(嗅覚)、凄惨な場面(目からの視覚からくるもの)、人の死の叫び(聴覚からくる心の傷)等を癒すには、やはり同じ五感で感じる美しいもの、心地よい香り、暖かい触角で癒さないと人は立ち上がれません。信仰の神様の愛すらも疑うともはや切ない状態に陥ります。この時、チリの友人の山荘での私の回復への道をテレビで放送してくれました。遠い昔のお話ですが、なんだか懐かしい人生での思い出となっています。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年07月12日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年07月12日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年07月12日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
毎日が矢のようにどんどん飛んでいきます。理想や夢をもっていると中々実現しないので、焦りのようなものも感じる事もありますし、昨日はもう過去のことで取り返しがつきません。今日一日をどう過ごすかで人生が決まったようなものです。同じ過ちや悔いを残さない為にも自分と相手を混乱させない程度の自己反省が必要となり、この修行を自己分析とか自己開示という言葉を使いながら生き甲斐の心理学を学んでいきます。暫くこの自己開示訓練について思索し悔いのない人生を歩みましょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年07月11日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
相手が私に対して無防備になるには余程の信用がないと無理ですが、この信頼を勝ち取る方法は修行しかないようです。修行というと殆どの人が嫌になり逃げ出しますが何といいましても私から見て変な相手でも思い切り信用していかないとラポールはつかないようです。こちらの誠意と努力を無視するような相手であることが判明すれば即、付き合いを再考すれば良いだけの話なので心理療法の仕事としては清水の舞台から舞い降りるような事も時々しています。世の中には善意の人々が沢山いて、私の努力する姿を見て、裏切る人は今まであまり居ませんでした。案外人間は美しいものです。その点、私の知る某女子学院の校長先生は本当に生徒を信用して全身で事に当たる姿を垣間見て感動する事が多いのですが教育者が生徒を信用する姿は実に美しいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年07月10日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
相手の心と何となく暖かい繋がりをしておきたい場合に、こちらから話しかける言葉が下手な為に、希望する暖かい心の繋がりが上手くいかず間が悪くなる、と言うか居心地が互いにまずくなる場合があります。その原因は、こちらからの言葉かけの中に相手を信頼していないかのような心が潜在していたようです。例えば心からの微笑みと直視する視線が無い場合は相手は多分心を開かないでしょう。微笑みと直視、この有り様は人間嫌いなタイプの人には不可能のようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年07月09日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分の複雑な心境の中でも一番取り扱いの難しいのが「理由の分からない気分の悪さ」かもしれません。胸のつかえともいいますか理由が分かれば対処の仕方が分かるのですが、もやもや感は感じても、その内容が本人も掴めないのです。こんな時が一番嫌なものです。この精神状態が人を疲労困憊させ自信喪失させ生きる意欲を減退させていきます。こんな時に役立つのが「フォーカシング」の応用ですが、その具体的な展開として先ず最初に幾つくらい気がかりなことがあるかを数える事が出来ればあとは意外と簡単です。幾つくらい嫌な、かつ、気掛かりな事があるかが判明すると大脳は動き出す性質があります。何といいましても自分が何を気にしているかが分からない場合、ストレスが極限に倍加しつつ増殖する傾向を人間はもっています。この性質をしらないと人は過度に駄目になっていきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年07月08日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
直ぐ頭に血が登るタイプの人は人生で沢山の友人を喪失していきます。怒りやすいタイプを周囲は嫌いますが本人も不幸せな人生を歩むかもしれません。豊かな友情や愛情に囲まれて生きていくほど幸せな人生はありません。どんな一言を周囲の人は喜ぶのでしょう? 一度、自分は、どんなタイプの人々に囲まれて育ってきたかを思索するのは価値があります。不幸にして怒りっぽい家族の中で幼少時代を送らざるを得ない人は多分、同じような性格が形成されていますので、余程反面教師の悟りでも得ていないかぎり、この悪循環から離脱するのは難しいと思います。どんな言葉が好きかはその人の生育史を見ると分かります。安心出来る言葉は何といいましても愛の原型に触れる言葉でしょう。自分が大事にされているなあ、と感じる言葉の中でも魂に触れるような言葉がラポールを付ける際の名言となるでしょう。魂に触れる言葉とはどんな言葉でしょうか?やはり平素、美しい永遠の文学、例えばドストエフスキーの「罪と罰」を愛読しているとこの魂に触れるという意味がすぐ理解出来ます
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年07月07日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人が誰かと最初に出会う、その時の最初の一言で全てが決まる時がありますので、この言葉は恐ろしいような気がします。親友の紹介で初めて会った人が何か刺のあるような言葉をつぶやき、それが挨拶の最初の一言であれば、多分その新しい関係は上手く行きません。最初の一言はその人の日々の想い、特に人間に対する優しさ、愛情、自分や他者を粗末にして生きているかどうか、を的確に表現しているものです。このような人の言葉は自虐的、皮肉風、希望の無いような、つまり他者否定のような言葉が出てきます。大脳は相性を数秒で判断すると言われていますのでインスピレーションを私は尊重しています。暫くこの最初の一言が歴史を変えたり人間関係を支配したりするので色々と思索してみようと思います。:
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年07月06日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
或人に向かい「自分は何の為に生きているのか?」と質問すると怒り出す人がいます。余計なお世話だ、こんな状況の時にはそれどころではない、と怒りまくります。質問のタイミングに失敗した事例かもしれませんが、そのあとの反応が非常に重要なので経過観察に入ります。本人は当面の問題を解決した後、考えようとしますが、私の経験によれば、この質問をする前に十分洞察しているので、その混乱は予測していますから、怒りを抑えながら丸くその場を納めます。数週間するとほぼ全員が、この厳しい質問の御陰で、自分の抱えていた問題は、どうでもいい、と気づきましたと連絡が入ります。この厳しい問いかけは危険そのものなので、問いかけの前の状況は十分研究しておく必要があります。ストレスの大半は生きる目的が明確になればなるほど、半減するものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年07月05日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
どんな人にも日々のストレスはありますが自分が生きていく目的を明確に意識している人には、このストレスは試練として解釈されているので辛いけれども、それ以上の意味を感じているので傍らに置いて生きていけるようです。何かを信じ、そこに希望を置いている人間の強みでしょう。太極拳を楽しく演武している時と同じです。演武していても自分が抱えている諸問題は依然として存在しているわけで、逃避しているわけでもなく、見て見ぬふりをしているわけでもありません。どうしても解決しなければならない問題は、その時がくるまで平然として放置しておきます。どこを目指して生きているのかを楽しみながら意識化するとそれ以外の問題は小さく見えてくるようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年07月04日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分の心には時々、相反する二つの声が乱闘します。これは何でしょう?長い人生の中で、この乱闘する二つの声は、時に憂っとおしいし、嫌なものですが、この乱闘がどうも私を成長させたような所もあり、今にして思えば随分と頑張ったなあ、と思います。倫理面の乱闘、職業選択での乱闘、人間関係、経済問題、人生の方向を決める時、要するに選択に迫られた時が一番深刻かもしれません。上手な選択をするときは案外温泉でのんびりしている時のヒラメキ、感情が開放されていて理詰めでない時のインスピレーション、あるがままの自分を受け入れている時、間をおいてせっかちでない時、ちょっと理性が働いている時、自分を粗末にせず大事にしている時、こんな環境での選択が自分の人生を良い方向に向けていて、焦ったり、やけっぱちの時は本当にろくな思い出がないようです。
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