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生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

居直りに成功した人

2007年01月17日 | 第1章:愛の領域
人生で一番怖い現象はマンネリズムです。多忙で、リズムに乗っているようで、全てが順調なようですが心の中は案外だらだらしていて、イキイキとした感動と喜びと幸福感が無い、そんな生活をマンネリズムと言います。人はどんなに幸福でも、その幸福を深く味わい、感謝していないと、どこかに精神的なぶれ、ゆがみ、疲労が出てきます。週に1度は3分でもいいですから一人静かに部屋で、何も考えずに姿勢を正して沈黙していると精神衛生を健全に保持する事が出来ます。いつも反省する必要がある課題は<幸福の条件>と<幸福感>の違いを思索する事だ、とも言われています。幸福の条件は経済的な願望とか社会的な地位とかを念願する事ですが、それは中々難しい願望でストレスの原因となります。<幸福感>とは心臓が鼓動していて幸せとか、息が出来て幸せとか、ふと散歩で見かけた野の花に最高の美を感じて何と生命とは素晴らしい、と感動し幸福な自分を改めて認識する事です。先ずはこの<幸福感>を探求する方向へ居直ると生きる意欲が湧き出し、結果として<幸福の条件>の方向へと、無理なく自然に人生が動きだすようです。
:<NPD4:修正論:39-5>:

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本音をチェックする!

2007年01月16日 | 第1章:愛の領域
心理学の怖い所は<本音>の取り扱いです。本音が<殺人をして、ばらばらにしたい>ではたまりません。ここで勉強している<生き甲斐の心理学>で<本音を大切に>と忠告しているのは、あくまでも<愛>を中心・前提としている事をお忘れないように。人を大切にする、自分を大切にする、この心の動きを<愛>と定義しています。本音が愛から離れている場合、その本音と称する内容を注意深くチェックしないと、大変な悲劇をもたらします。<本音>を大切に心理療法の理論は進められていますが、あくまでも理論の中心の太い柱は<愛>。本音、本音と大騒ぎしている心理学ですが<愛から離れた本音>を冷静に識別出来ないカウンセラーは<社会の敵>となるでしょう。
:<NPD4:修正論:39-4>:

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暗い世の中なのか、明るい世の中なのか?

2007年01月15日 | 第1章:愛の領域
生き甲斐探索の旅での思索での自問自答で、今は、暗い世の中なのか、明るい世の中なのかを考える事もあります。これは、これで必要な考え方ですが、この明るいか、暗いかの識別の結果で、自分の生き甲斐を消滅させてしまう人が居ます。この<明るいか、暗いか>の二つの考え方、解釈の仕方に固執すると大きな悲劇が生まれます。暗いと解釈するタイプの人は奈良時代、平安時代、室町時代、江戸時代、現在、いつ生まれても、多分、いつも<暗い>と解釈してしまう人でしょう。それよりも、<生きている意味>を<明るいか、暗いか>に優先して思索した人の方がより幸せに現在を生き抜いているようです。:<NPD4:修正論:39-3>:

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あちらに行くか、こちらにするか!

2007年01月14日 | 第1章:愛の領域
迷いの人生、その折々に、あちらに行くか、こちらにしようか、と戸惑います。思考、感情、行動の選択に太り柱・基準思想がない人は、その折々に悲劇的な人生の選択・修正をしてしまいます。どちらに修正するか、その選択が私達の人生です。修正の方向をどうするか、思索をする必要があります。更には思索の結果、二つに絞り込めた人は幸いです。生活は多忙なので、いちいち考える暇がないからです。人類の諸先輩の知恵者の思想史を見ると、どの時代にも有効な2つの道が在ります。修正する場合に<人を大切にする愛の思想>にするか<憎しみの抹殺の思想>にするか、です。つまり愛の道を選ぶか、憎しみと抹殺・無視への修正をするか、と言う事です。修正を迫られた場合、苦しくても愛の思想を選ぶと、幸福への道を歩めますが、憎しみの抹殺・無視の道を選ぶと悲劇への道を歩み出します。
:<NPO4:修正論:39-2>:

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殺人は何故起こるか

2007年01月13日 | 第1章:愛の領域
20世紀のなかばシカゴで、或人が絞首刑になりました。数十名を殺戮したカポネ一族の一人ですが、死刑場に連れていかれる時<私は世のために生きてきたのに、この私が何故死刑なのか?>とつぶやいた話は有名です。当時の医師達はこの犯人を医学的に診断したのですが、精神病ではないとの記録が残っています。犯人の意識と知覚、最近頻繁に起きる殺人事件の日本の悲劇、いずれも意識と知覚の問題、居直りの柱の方向のずれと揺らぎの問題です。この心の中の柱がどの方向にずれていくかで殺人が起きていきます。殺人だけでなく、厳しい現実を生き抜く際の柱のずれ、アイデンテイテイーの統合をどの方向へ修正すれば人々が愛と平和に生き抜けるか、修正論の立場で5回に別けて思索していきます。
:<NPD4:修正論:39-1>:

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美しい居直り

2007年01月12日 | 第1章:愛の領域
Yさんは何故、こんなにまで自分を責めたり、悩んだりするのだろう、と驚く事があります。暫くして、やっと元気になったのですが、その原因は居直りでした。このような場合に2種類の居直りがあります。<Aタイプ:暗く陰湿で怪しげな居直り>と<Bタイプ:綺麗で明るく美しい居直り>です。Yさんを悩める人物にした相手が酷いのか、自分の心がけが変なのかは誰も知りませんが、とにかく世間から押しつぶされる事なく元気になれたのは拍手喝采ですが、逆にYさんはAタイプの居直りをしてしまいました。周囲も今まで静かなYさんを<生け贄の子羊>にして安心していましたが、Aタイプへの変身ゆえに、逆に恐怖の対象になりました。Yさんは益々孤独感にさいなまれます。もしYさんがBタイプの美しい居直りを選択したら幸福感を味わえたのに残念です。難しいようで案外簡単な方法が<信じて見えてくるもの>の手法です。それは人とは<魂と心と身体で構成されている>哲学です。<人の魂は相手がどんな人であつても愛し合っている>という真理を信じると美しく居直れる方法に気づきます。心と身体は憎み合っていても、魂だけは、どんな場合でも愛し合っている真実を信じてみると色々の道が見えてきます。
:<NPO4:魂論:38-5>:

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三つ子の魂、百までも

2007年01月11日 | 第1章:愛の領域
この言葉がどん経過で誕生し、どんな想いを込めて祖父母達が造語したかはしりませんが、現代の宗教心理学、比較文化論、比較宗教学から検討すると、天才的な造語です。現代の欧米の宗教学は<人とは魂と心と身体で構成されている>と言う定義で各論が思索されていますので、この定義は宗教学、心理学、医学を極めた人でないと表現しえない豊かな内容を持っています。それだけに、子供の頃聞かされて感動したり、感心したり、恐ろしいと感じた童話はその人の倫理観を生涯支配しています。大学で倫理学をどんなに深く学んでも、子供の頃の<いなばの白兎>で嘘をつき、ワニに毛をはがれ、オオクニヌシのミコトに助けられたお話の倫理観の方が遙かに影響は大きいようです。現在、苦しい事があつて、中々解決出来ない場合、幼い頃愛した童話を想い出すと、今、自分を縛っている倫理観が意外とピントはずれ、その状況に合わない無用な価値観であったと気づき、明るく自然に元気に生き始める事が出来ます。童話は光と陰、裏と表で人を支配している事をもう一度意識し、知覚しましょう。:<NPD4:魂論:38-4>:

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自分の幸福を神話から掴む方法

2007年01月10日 | 第1章:愛の領域
優れた神話を持つ民族は滅びる事が少ないと言われています。少年少女の頃、読んだり聞いたりした神話は生涯を支配しています。改めてその解釈を思索し直すと、思わぬ幸福を掴む事が出来ます。優れた神話に共通している要素があります。人を必ず幸福にしてくれるのが<魂>である事、人が不幸になるのは<心>と<身体>を或状況にすると、必ず不幸になる、と言う事を神話は教えています。古代の人々は臨床経験から推察しているのでしょう。昔からの神話には無限の知恵が隠されていますので、現代人の私達が神話を読む時は、人を幸福にするものが魂、考え違いをしがちな心と身体が油断をすると人を不幸に導く、という優れた神話の原則を意識しながら読むと、難しい哲学書を読むよりは遙かに楽しく幸福感を掴む方法を悟る事が出来ます。:<NPD4:魂論:38-3>:

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魂は愛の固まり

2007年01月09日 | 第1章:愛の領域
プラトンを初めとして人類誕生以来、一流の学者が何故魂の研究をするのでしようか?その研究への衝動は誰もが所有している魂そのものが、いつの時代でも本人に私はあなたといつも一緒に居るよ、と囁いているからだ、と言われています。魂は無視されるとあばれだすとも言われています。愛である魂は無視を一番嫌います。さて五感で見えてくる真実もあれば、DNAや素粒子のように五感には把握出来ない真実もあります。魂の存在を否定している人でもお墓や死体に触れた時、畏怖の念を感じます。この微かな感触を基に学者は研究し、この魂で何とか人を幸福にする方法がないか研究しています。さりげないこの微かな感触感を聖霊の働きと言う神学者もいます。微かな風の音、さりげない恋人のため息、優しい手の動きに深い愛があります。一度自分の魂を信じて、自分の魂に本気で語りかけて下さい。本気で愛そのものの魂の存在を信じてみて下さい。そうすると生きる喜びと平安感と安心感が必ず湧いてきてきます。魂が存在するかどうかの研究は不可知論なので<信じて見えてくるもの、信じて見えなくなるもの>を研究した方が成果が上がります。この<信じて見えてくる幸福感>を模索するのが比較宗教学の楽しいところです。魂が愛そのものと言う真実を体験から気付くでしよう。
:<NPD4:魂論:38-2>:

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日本の神話の中の、どれがお好き?

2007年01月08日 | 第1章:愛の領域
比較宗教学を欧米の大学で学んだ時、その解釈の方法の一つに<魂論>といいうのがありました。<神話>は<人の魂と心と身体>を表現していくのですが、神話の中で、自分を暖かくしてくれるお話を、敢えて探しだし、それが<人間の魂>である、と理論武装させる訓練をした事があります。笑い出すくらいおかしな勉強方法でした。神学ではなく、あえて自分を勇気づけ、人生を生き抜く意味をあたえてくれるお話を探し出し、そこから魂とは何か、を理論化していく訓練でした。何でこれまで理屈探しを、と可笑しくなりましたが、どうして、そんな勉強を宗教学がさせるのか、というその視点について5回に別けて思索していきます。:<NPD4:魂論:38-1>:

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<生命>と<魂>はおなじもの

2007年01月07日 | 第1章:愛の領域
固執障害という心の病気があります。いつもいつも同じ事柄に固執しているうちに身体症状(眠れない、食欲がない等)が出てきて、感情が流れず、顔の表情も能面のようになつてきます。正常な人間の感情は自分でも変だと思うくらい、次から次へと変化し流れていきます。正常な心の状態を保持する為に人は一日3分くらい、一人静かに座り、ボーッとしている必要があります。静かな空間を作ると、何故か自分の持つ<命:魂>が一番必要としている<思考・感情・行動>について囁き始めます。この静寂の空間が人の命・魂を自由に動き出させ、人を統合(バランスある心身状態)に導きます。静かな時空と空間が無いと、人の生命(魂)は枯渇していきます。医学では死を命が果てる時といいますが、宗教心理学では人間の死を魂が無くなる時、とも表現しています。人の魂はその人が幸せになる方法をいつも囁いている真実を意識し知覚してみましょう。:<NPD4:統合論:37-5>:

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無視されると人は狂います。何故?

2007年01月06日 | 第1章:愛の領域
或俳人が江ノ島に遊びにきました。たまたま宿泊した旅館の庭の、目の前の綺麗な松の枝に<鳶:とび>が止まり、こちらを鋭い眼差しで見たそうです。大自然に生き抜く逞しい鳶の警戒心に感動して歌を詠んだのですが、鳶を<わし>と勘違いしていたそうです。旅館の主人は今更、それは<わし>ではなく、湘南に住む<とび>と言えず、俳句を愛でたそうです。さてこの旅館の主人は商売とはいえ良い人だなあ、世間では無視されて発病していく患者さんが多いのになあ、と私はやけに感動していました。まわたで首をしめる、海の中でのらりくらりする姿、陰と陽、光と陰、いずれもはっきりしない無視は人を苦しめます。:<NPD4:統合論:36-4>:

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一枚の不思議な絵

2007年01月05日 | 第1章:愛の領域
1958年頃から今日2007年迄、見続けている一枚の絵があります。その絵は私の思考、感情、行動を支配した凄い絵です。人生で最初にその絵を紹介してくださったのはドイツの神父さん、私が新潟県長岡市の高校生の時です。色々の変な顔をした外国の人が沢山描かれていました。その絵は以来、今日まで、私を恐怖に追い込んだり、感動をあたえたり、恋の予感と感動をうながしたり、人類の歴史の表裏を示唆したり、憎しみを生んだり、海外にまで私を追い込んだりしましたが、今の私はこの絵に刺激され続けたといえます。南北アメリカ、ヨーロッパ、ロシア、中国、日本各地、世界中で同じ絵を見てきました。世界中にあるのが不思議です。何故なんだろう?その絵はレオナルド・ダ・ヴィンチの<最後の晩餐>です。一枚の絵が私の思考、感情、行動に生涯大きな刺激を与え続け、私を非常に幸福にしてくれています。:<NPD4:統合論:37-3>:

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太陽と月と精神衛生

2007年01月04日 | 第1章:愛の領域
太陽への想い、月への想いは人により、民族、文化により、それぞれ違います。人類発生以来、私達の祖父母はどんな想いで見続けてきた事でしよう。人のDNAにも太陽と月の影響がしっかりと組み込まれ、定説はありませんが月の満ち欠けは人の出産や死や犯罪にも関係しています。さて日々の私達の精神衛生を簡単に良くする方法があります。理由が分からず不愉快な時に太陽と月の恵みを思索し感謝する方法です。太陽あっての私、お月様あっての私、と感謝するのです。この心を平安にする方法は森の民、特にアニミズムの歴史を持つ人種に効果的セルフコントロールと言われています。私達日本人の祖父母は特に和歌に託して心を楽にする方法で生き抜いてきました。私が観察するに、太陽と月への関心の度合いが半々の人の精神衛生は極めてバランスが取れた人のようです。どちらかに片寄っている人は個性的なようです。:<NPD4:統合論:37-2>:

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富士山は何故、美しいの?

2007年01月03日 | 第1章:愛の領域
昔、海外の大学の研究室で、いきなり恩師に<何故、富士山は美しいの?>と聞かれ答えたのですが、それは答えになつていない、と言われました。以降、何故、人は美しい、と感じるのかを勉強している内に人々の<個性の美>を見つけ出すのが大好きになりました。<人の悪い所>は勉強しなくても見つけられますが、美しい所を見つけて、それをキチンと理路整然と言葉で表現するには、思索と知識と訓練が必要なんだ、と理解しだしました。愛することも同じ訓練が必要なのだ、と納得しました。美しいものを見つけ出す楽しみは最高の喜びです。真善美を深く知れば知るほど、生きることが楽しくなります。:<NPD4:統合論:37-1>:

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