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生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

楽の音色を楽しむ

2006年11月18日 | 第1章:愛の領域
人の心に与える心地良い音色は沢山の智恵と健康的なエネルギーを与えます。更に暗い感情と明るい感情を意識して五感と体感で識別すると心が整頓されてきます。何が暗くし明るくしていくかは人により逆な場合もありますが光と陰、陰と陽、表と裏を音楽で意識すると段々と心が爽やかになります。これが音楽鑑賞による心理療法の極意です。心理療法を志す人は是非聴覚を楽しみましょう。自己愛の歪みは適正な音楽が無理なく修正してくれます。:<NPD2:27-5>:

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空想に耽る!

2006年11月17日 | 第1章:愛の領域
ここで今、何を思索しようとしているか、と言いますと、NPD2,と言う愛の病理の話をしています。権力、理想、美、愛、への異常な没入から、愛する、愛されるという力が不足してくる心の病気です。専門的な勉強をしなくても、こんな心がけで十分良くなりますよ、という話をしています。異常な何かへの没入問題点は(1)自他混合、(2)理想と現実の混濁、(3)五感と体感の麻痺、この3つの問題だけなので、空想に耽る場合に、現実吟味力を修行する事を忘れないように注意しましょう。緊張せず、気楽に、楽観的に、楽しんで、現実吟味力の修行をして生きていきましょう。:<NPD2:27-4>:

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テレビドラマ

2006年11月16日 | 第1章:愛の領域
人間の本能的傾向で一番注意すべき問題は日々の体験の解釈をどうするか、どの解釈を大切にすべきか、という処理問題が一番難しいようです。Aさんはいつも暗い感情になるような選択をしますが、Bさんは明るい感情になるような選択をします。どんなに暗いドラマを見ても、解釈いかんで<明るく爽やかな道>を選択するBさんは幸せです。ドフトエフスキーの<罪と罰>は青春の私の性格形成に大きな影響を与えましたが、今、見ている<嫌われ松子の転落人生>は神の存在を深く信じさせます。あのドラマを見て神仏の存在を否定する人と肯定する人の解釈は大変面白く刺激的です。あのドラマを見て人間が好きになるような考え方を樹立出来る人はこの厳しい人生を明るく生きていく事が出来るでしょう。人間の愛の孤独の裏にある綺麗な魂に感動しています。:<NPD2:27-3>:

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愛の構造学

2006年11月15日 | 第1章:愛の領域
日常生活での、淡々とした生活では必要ありませんが、いざ、愛情問題で身体症状が出始めたり、深刻な悩みが生まれてくると、そこで初めて専門知識とその治療経験が人々の役に立つようになります。さてその治療の段階で驚くのが<愛の構造学>への知識不足です。初恋の想い出が場合により人を非常に不幸にしている事に気づくには、この愛の構造学の基礎知識が必要です。つまり人が愛し愛される関係を分析するには3つに分けて考える必要があります。何回も話していますが、人間の構造は3つに分類されます。人は魂、心、身体で構成されている事実を意識しておく必要があります。初恋、又は沢山恋の想い出ははこの場合、心と身体の領域です。新しい愛の誕生が成立する場合には<魂の愛>を意識しておくと成功します。<魂は永遠で、普遍的で、老いる事もなく、死ぬ事もない知的生命体>である事を再認識しておくと、新しい愛の誕生は過去に縛られる事なく、新しい新鮮な愛の幸せが何か、を示唆してくれます。:<NPD2:27-2>:

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若き日の恋の想い出は凶か、吉か?

2006年11月14日 | 第1章:愛の領域
人は日々幸せに生きなければなりません。<不幸だなあ>と感じる日々があったら、<幸せだなあー>と感じる日々になるよう努力しましょう。人生、日々努力です。さて、大抵の人は、きちんと心を反省しません。心の仕組みを専門的に勉強していないからです。このままでいたら必ず病気になる、という仕組みを知りません。その一つが<若き日の恋の想い出>に原因する不幸病です。人の大脳は敏感に森羅万象を理解していて、ご主人様が安定するように嘘の情報を流す事があります。現在、素敵な人が現れて生涯、幸福になれる可能性のある恋があるのに、若き日(少年少女時代を含む)の恋の想い出に拘束されている為に、目の前のチャンスを喪失していく人があまりにも多いのです。今回はこの初恋の想い出が吉と出る場合と凶、と出る場合を分析していきます。:<NPD2:27-1>:

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私って誰?

2006年11月13日 | 第1章:愛の領域
有名な役者さんの治療上の主訴は殆ど<私は誰?>です。脚本上の役柄に徹する力があればあるほど、自分がわからない、と混乱する場合もあるようです。世間でも、職場の役柄、家庭での役柄、クラス会での役柄、恋人の役柄、後輩との付き合い上の役柄、色々です。そのうち、私は誰?と悩みだし、身体症状がでるくらいの場合は、どうしたらいいのでしょうか?治療上では3つに分けて進めていきます。アイデンテイテイーの統合に病的なゆらめきがないか、抑圧、逃避、感情転移などの14の防衛機制にゆらめきはないか、現実吟味力にゆらめきがないか、の3つです。最終的に自分をしっかりと見つめられるようになると、すっきりと天に延びる竹のような感じになります。(1)自分の五感と体感を重視する(2)自己実現への道:<悔いのない人生を送るには何をしたいか>:をいのちがけで重視する。つまり、のびのびとした自然体での自分の感覚と理想が<私は誰?>の答えです。<NPD2:26-5>:

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<あたかも、~かのように>

2006年11月12日 | 第1章:愛の領域
ここでは心理療法のワンポイント・レッスンを楽しみながら思索しようとしていますが、21世紀に激増すると言われている<自己愛パースナリテイ障害>について300回ぐらいにわたり説明する必要があるので、読んで下さる方々も大変だなあ、と思います。さて今日は<あたかも、~であるかのような>人について考えます。種の保存本能の延長分化した病理です。本当はそうでないのに<私はあたかもマザーテレサのように>生きたい、と思うのは正常ですが、あたかもマザーテレサのような人間になってしまい、その視点で<人は他者に貢献すべきなのに、貢献していない人>を批判し、裁いてしまうのが病理です。この傾向は誰にでもありますので、どこからが正常で、どこからが異常か、という識別は相当専門的な修練をしないと把握できません。とにかく、自分は現実にはそうでないのに、<あたかも、~であるかのように>他者を批判し、裁く人が激増しているのに注意しましょう。:<NPD2:26-4>:

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理想の自分と現実の自分

2006年11月11日 | 第1章:愛の領域
自他混合と言いますが、朝、目が覚めて、夜寝る迄の一日、私は時々、理想の自分から人を批判している自分にぎょっとします。現実の自分はとるにたりない状況下にあるのに、こうありたい自分の理想像から人を批判していたのです。人間だれでも理想の自分と現実の自分を混濁させてしまう傾向がありますが、時々反省しないと、この傾向が出てきます。多分、その傾向は心を安定させる為の働きなのでしょう。さて日々のこの領域を激しく逸脱して、政治運動、宗教戦争、暴力、虐め、恋愛、教育の分野にこの理想と現実の混濁現象が出てくると、一人の人間の小さな世界ですんだ事が、そうはいかない大きな社会現象となります。理想の自分と現実の自分を冷静に識別出来ると真実の幸福に到達します。;<NPD2:26-3>:

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大騒ぎする人

2006年11月10日 | 第1章:愛の領域
日本の大学を卒業する時、大好きな教授が君たち男は社会に入り<忙しい、忙しい>と言う言葉だけは口にするなよ、と助言してくれました。忙しい、と言う言葉を口にするのは大馬鹿か、虚弱男児、無能な男の口にする言葉であるから、社会では決して言うな、という助言でした。厳し言葉ですが、現在、第1戦から退いて、その深い意味をしみじみ感謝しています。成功している男はどんなに忙しくても、確かに、その言葉を口にしていません。さて暫く、この大騒ぎする人を男女に広げて思索してみます。正常と異常のはざまは<限りない成功、権力、知性、美、あるいは理想の愛といった空想への没入:NPD2という領域>という視点です。これは微妙で難しい領域なので注意しながら書いていきます。:<NPD2:26-2>:

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私は楊貴妃!

2006年11月09日 | 第1章:愛の領域
昔、<私は楊貴妃>と言う女性に会った事があります。美しい人ですが、20才の頃から何となく周囲の人々が避けだしたようです。才能もあり、意欲のある方なのですが、いつの頃からか、楊貴妃に憧れ、小説を読んでいく内に楊貴妃になってしまいます。病棟で最後を迎えますが、その心は天女のように純粋で周囲の人々は恐れながらも色々と相談し、最後は担当医まで人生相談に訪れる始末。有名な政治家も彼女の占いを求めて、密かに病棟を訪れ問題になった事件がありました。その最後は親族は誰もきませんでしたが、看護婦さん、お医者さん、セラピストは、その美しい心、天使のような優しい愛に感動して、その場を離れられず担当教授の言葉に我に返り解散しました。人間の病理と正常を考えさせられた一幕です。今回から<as if person>という自己愛パースナリテイ障害の段階に入ります:<NPD2:26-1>:

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心で愛を感じる方法

2006年11月08日 | 第1章:愛の領域
愛を感じる方法は3つに分類しないと正確に認識出来ません。魂、心、身体の3つの領域で感じる方法は違います。今日は心(赤ちゃんとして生まれ、今日までの生活環境の中で育まれた考え方のこと)で愛を感じる方法について述べます。50人の人がいれば、その感じ方は50通りあります。この感じ方の違いを<愛の原型>が違うから、と説明します。愛し合う二人は恐れることなく、愛の原型の違いを確認しあわないと多分、永遠に愛しあえないでしょう。本当に愛し合うと、この違いの認識が二人を人間的に向上させていく原動力になってきます。二人の愛の原型が何故、違うかと言いますと、マンネリズムを排除し、幸せの刺激をして、人間成長のエネルギーにさせる為です。心で愛を感じる方法は愛の感じ方を正直に相手に伝える事以外ありません。伝えられた方はそのやりかたで愛を伝えないと、どんなに努力しても愛は伝達出来ないでしょう。:<NPD1:25-5>:

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魂を感じる方法

2006年11月07日 | 第1章:愛の領域
欧米の一流大学での宗教心理学がこの領域を扱う場合は(信じて見えてくるもの)として扱います。魂があるか、無いかは科学に任せます。人間の大脳に見えたり、感じたりする理由には二つの理由があります。一つは視神経経由、もう一つは信じると見えたり、感じてしまうもの、この二つです。愛は見えませんが信じると見えてきます。魂の定義は<魂は愛そのもの、神の創造によるもの、病む事もなく、老いる事もなく、永遠に生きる知的生命体で自由意思があり、記憶力がある>と定義しています。この魂を信じると何かが見えてきますし、心が安定してきます。魂は全ての人間に存在していて、しかも愛し合っています、心と体は互いに憎み合っていても魂は実は深く愛し合っているのです。この真実を意識出来れば宗教戦争は起きませんし、みじかな例としては離婚を取やめたり、自殺を思い留めるケースも沢山あります。オカルト風の怪しげな魂の定義ではなく、宗教心理学が定義するこの魂を信じると本当に愛を感じます。信じて見えてくるものを研究しましよう。:<NPD1:25-1>:

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感受性訓練が出来る人、出来ない人

2006年11月06日 | 第1章:愛の領域
人と自分を幸せにする為に<感受性訓練>をしますが、喜んで出来る人と、ひたすら暗い感情でしか出来ない人が居ます。さて何を感じるように訓練するのか、と言いますと相手が今、どんな不安、怒り、身体症状、鬱、錯乱の心の状態かを識別する訓練です。その為には、ひたすら自分の価値観を捨てて、相手の心を傾聴しなければなりません。しかも、この営みを喜んで出来るような考え方を持っていないとできません。人が幸せになる為にはこの営みを喜んで出来るか、どうかにかかわっています。:<NPD1:25-3>:

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<感じたい>をどう分類するか?

2006年11月05日 | 第1章:愛の領域
<愛情を感じたい>と願いながらも、何故か鈍感な人が沢山居ます。心理療法の勉強をしていると色々、理屈を学ばないと病院で本格的な治療をする場合、無能な心理療法家と言われるので、必死で道を究めようと努力します。ですからブログでは理屈っぽいと思われる方もおられますが、本格的な治療では必要な事なので、お許し下さい。愛情を感じたいと思うのに感じない人の場合、3つに分類します。魂の愛情(信仰の領域)か、心の愛情(生育史上の問題)か、身体の愛情(性の領域)か、この3つに分類しないと解決しません。愛情を感じたい、と思った時、今、自分はこの3つの内、どの愛情を求めているのかなあ、と冷静に識別作業をするだけで、5割以上のストレスが解決するでしょう。3つは融合していて総合的なものですが、この3つに分類する意識を持つだけで、相当、愛情飢餓ストレスは解決します。:<NPD1:25-2>:

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どの程度の愛を感じたい?

2006年11月04日 | 第1章:愛の領域
人格形成に重要な赤ちゃん時代がそうであるように、赤ちゃんは母の愛を吸収して愛を知るようになります。たまたま今の大切な相手の性格がNPD1の特徴(<自己の重要性、ユニークさに関する誇大感>の人だった場合)で、それでも愛したい相手の場合は、どうしたらいいのでしょうか?さて病理学は色々いいますが、相手は人間です。どんな相手でもすこしばかりの愛と信頼感は持っています。相手が誇大感の持ち主なら、こちらが敏感に相手の愛を感じる訓練をする必要があります。テレビドラマ<嫌われ松子の転落人生>の悲劇は松子が相手の愛を敏感に感じすぎて現実吟味力を喪失しているからです。現実吟味力を大切にしながら、暫く愛の感じ方を研究していきましょう。先ず自分はどの程度の愛を感じたいか、そこを再確認しつつこの研究を進めます。:<NPD1:25-1>:

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