お金を使う 2018年5月3日
後半連休初日。横浜は雨風強し。
先日、旧知の友人と「お金を使う」という話題となり、使うのは上手いけれど、得ることを考えると、得る事を目的に働いていない、という自分たちの法則に改めて気づき、笑い飛ばしてその話題が終着点となりました。
笑い飛ばしたものの、これはとても深い問題であり、「いつ、何に、使うか」ということは、今年中に読めればいいと思って読み始めた「ジャック アタリ著 ユダヤ人世界と貨幣・神教と経済の4000年史」とも関わり繋がるものでもあるのです。
「私は贅沢はしていない」と、言いながら、茶室で侘びた茶碗を使い、今日の茶事にまつわる設えをし、敢えて語る事もなく、それを感じ取る感性の友と付き合う。。。と云う風な、人間関係を結ぼうとするならば、見えているものにお金を使う以上のお金が必要になります。
先日、日本橋界隈の古美術商が主催する古美術まつりの地図を片手に巡りましたが、店に入っただけでその品性が感ぜられてしまうのは、私自身が培ってきた審美のスケールも多少は培われてきているのかな、という印象を持ちました。
「まつり」だからといって、祭りのようにふるまうのではなく、まつりだからこそ遊ぶ感性を楽しむ古美術屋さんが私にとっては心地よいものを感じました。
店はあっても、店頭には出さないのが古美術の世界でもありましょうが、雰囲気は滲み出ています。
物との対話の中で、自分をワクワクさせるものを見出す良き修練場でもありましょう。
「金は天下の周り物」と云いますが、まさに自分の周るループは、確かにある程度確立されているように思います。たぶん、これ以上は望めないでしょうが、そのループの中での人や物との出会いが、自分を培わせていくのであろうな、とも思ったり。
「お金を何に使うか。」
このことを意識していると、使う時に耳元で囁かれるようになりそうです。
使った後で、どのループで自分に繋がり、巡ってくるか、という想像する力も養われそうですが、はてさて、どうでしょう。。。
富に執着し、大富豪になる人は、きっと、ループとして巡る代償とやらの図が、明確に描かれているのでしょうね。
霞は食えずも、石清水で喉を潤し、花の下で死なんとする西行もまた、最高の贅沢者であることのほうが、私の感覚に近いこと自体が贅沢な自分であるように思います。
「師」と呼びたい人に大金持ちが居ないことに、やはり、私のループはほぼ完成されていることは確実のようです(笑)
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