五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

かぐや姫徒然

2018年05月19日 | 第2章 五感と体感

写真:薬師池公園の蓮///////

かぐや姫    2018年5月19日

他人に怒られるという経験が少ないことが最近の社会教育の傾向です。
昔は、自分がやっていないのに理不尽な怒られ方をしたり、授業中ふざけたりいていると、「廊下に立ってなさい!」と、先生に怒鳴られ、ひどい時には水を入れたバケツなんぞを持たされて、それでも、なんだか楽しい小学校ライフをおくっていたと記憶しています。小学校高学年になると紳士的な穏やかな先生が担任だったため、落ち着いたクラスの雰囲気に凪のような安定感を感じていたように解釈しています。
引っ越した先の中学校に入ると、感覚的に楽しく茅ヶ崎で育った私はギャップを感じつつ、しかも長年海外赴任をしていた父との関係が上手くかみ合わず、その上、思春期が重なったこともあり、思い悩むことの多い中学生活を経験しました。

地球に憧れた月に住む娘が、望みが叶い地球で生まれ変わり、美しく育った娘に求婚する男性が現れても「いやいや」と首を振るばかり。そして、叶わぬ願いを申し出て、周りを振り回します。
高畑勲氏の描いたかぐや姫は、まさに天に昇るための本人の願であり、メッセージでもあるようです。宇治の平等院鳳凰堂には、雲中供養菩薩が楽器を持って阿弥陀如来を取り囲んでいます。その美しさは、この世のものとは思えない美しさで、私も天に昇るときは、この方々に迎えに来ていただきたいと願っています。

かぐや姫の映画の中では、まさにその雲中供養菩薩が阿弥陀様と共にお迎えにきました。生きとし生けるもの、つまり、森羅万象の全てが美しく愛しく、自分自身のその森羅万象に含まれた愛おしい一人であることに、最後の最後に気付くかぐや姫の描き方が印象に残りました。
幼い頃から生きとし生けるものに愛されていることが、当たり前だと思って暮らす中、いつしかそれだけでは生きてけるわけでもなく、大人になるにつれて自分自身の腹を括らない限り、実現しないことのほうが多くなってくることに、いつまでも他人任せにして「いやいや」と、言っていては何も始まりません。
ピーターパンシンドロームという言葉がありますが、かぐや姫も人の成長過程における現象に重なることを考えながら映画を観ました。

生きとし生けるもの、森羅万象そのものに自分の生きている意味があることに気付くかぐや姫に、それが遺言的メッセージだと解釈するのでした。
次々と名作を生み出してくださり、ありがとうございました。合掌

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