五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

月山

2015年05月03日 | 第2章 五感と体感
旅を終えて、久しぶりに森敦の小説「月山」を本棚の奥から取り出しました。
本の装丁は確か石岡英子が手掛け、表紙画は司修、題字は灌頂記の空海の文字です。出版は昭和49年。この小説で森敦は芥川賞を取りました。
私が中学一年か二年の時の事です。
この小説の装丁の素晴らしさと小説の美しさに感動し、以来数年に一度は読んでいます。
今思うと生意気な中学生だったとは思うのですが、子供でも本質的な審美を掴み取ることができる事の証しでもあるように思うのです。
感動の時から40年。今回の旅で初めて月山の懐を車で通過し、生まれたての緑色に残雪の山肌をこの世のものとは思えないくらいの配色に浄土の色の一つであろうと目を細め、その風景が心に留まっています。

「すなわち、月山は月山と呼ばれるゆえんを知ろうとする者には月山と呼ばれるゆえんを語ろうとしないのです」
森敦が描いた月山の表現は、私が歳を重ねるにつれ、尤もであると思うようになり、自分の内に深く刻まれている比喩となっているようです。

出羽三山は月山、湯殿山、羽黒山から成り、その全体を庄内平野から把握するのは少々難しいのです。古来からの信仰の山であり、神仏習合、つまり神と仏と古層の神々が堂々とおはしています。
今回の旅は、羽黒山の出羽三山神社を詣でました。月山の山開きは7月1日です。それほど標高が無いとはいえ、羽黒山の山頂境内にも雪が残っており、朝一番の参詣のお陰で神官の朝のお勤めと共に参拝が叶い、開帳と共に顕れる御神体を有り難く頭を下げました。
険しい山道を地元衆が毎年4月29日に掃除をするとのことで、地区毎に分担された階段を掃き清めていました。大勢の人々が一気に清掃する光景に人々の結束力と繋いでゆく使命の心得に改めて森敦の言葉が浮かんでくるのでした。

近い将来必ず月山の山肌に足を乗せ、願わくば肘折温泉で森敦の文章を読み更ける願望を叶えたいと強く思うのでありました。
死者のすまう山であるならば、自ずと辿りつく山であるやも知れませぬが。

出羽三山の参詣は麗しいものでありました。


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