五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

多摩川の古墳群

2014年04月03日 | 第2章 五感と体感
東京と神奈川の境界を流れている多摩川下流付近は、古墳のメッカです。

奈良や大阪、京都の旅で、事あるごとに古墳を訪ねてきました。
学びを重ねていくうちに、古墳は私達の生活に根付いており、身近な場所にあることが段々とわかってきました。

十数年前、九州の宗像大社に寄った時、タクシーから見える小山を見ながら「古墳の匂いがしますねぇ」と呟くと、運転手さんが、「あれこも、これも、みんな古墳ですよ」と、誇らしげに答えられたことから、益々興味が古墳に注がれるようになりました。

多摩川べりの二子玉川駅もホームから下流に向かって眺めると、海から吹く風の通りが清々しく、「なんと良い気が流れている場所だろう」と、感じつつ月に一度通うたまプラーザに向かう時は、必ず二子玉川で乗り換えの電車を待ち、多摩川の気を頂いています。ホームから下流に向かって左側、つまり東京側の川べりには下流の大田区大森あたりまでに50以上の古墳があるそうです。一番大きな古墳が多摩川駅の多摩川台公園の亀甲山古墳です。野毛にも大きな古墳があり、4世紀半~7世紀半に至るまでの古墳が列を成しているのです。

多摩川駅の真横にある浅間神社も実は前方後円墳の円のてっぺんにあります。鎌倉幕府が出来た頃に北条政子が建てたそうです。その上、東横線建設の際、その古墳を崩して線路を通しました。
北条政子も凄い事をなさいましたが、古墳を崩して鉄道を通し、住宅地を造成してきたことを知ると、もっと怖い気分になります。でも、歴史はこのように積み重なり、元祖が見えなくなりながらも聖地として存続継承されていくのです。「古層」と云われる所以でしょう。
鉄道会社がこぞって大きな庭を持つ美術館を建ててきた理由もこのことと繋がります。

古墳時代の終わりごろには、段々と古墳の大きさが小さくなっていきますが、それでも大人数の働き手の存在が必要な規模です。亡くなられた権力者の棺には数々の宝飾品や調度品が共に埋葬され、その頃の文化を知ることができます。

私達がこの世にいるということは、太古の人々が命を繋いできたからこそです。海を渡ってきたことも考えられます。

「命」は「今の時」に忽然と現れたものではありません。命の連鎖と普遍性の魂が身体に宿っている「人」の尊さを古墳の前に立つ感じるのです。
「歴史を学ぶ」ことは「自分の命を学ぶ」ことでもありましょう。

道教や神社や城と古墳の関係を自分なりに学んでいくと、いつか卑弥呼にも会えるんじゃないかと、真面目に思ったりしている私がおります。

☆☆
4月22日(火曜日14時~)~27日(日曜日)世田谷美術館区民ギャラリーにて「江戸表具を愛する会」の作品展を行います。新緑の季節、砧公園をお散歩がてら、ぜひ!


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