五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

雪かきと愛の型

2014年02月16日 | 第2章 五感と体感
私は二年間だけ豪雪地帯に住んだ経験があります。5歳から7歳の頃なのですが、雪の感覚は身体で覚えています。
北陸福井の越前大野は、雪深く二階建ての一階の天上の高さは東京よりも高く屋根に積もる雪を下ろすと完全に一階が埋まってしまいます。広い庭は小さなスキー場と化し、二階の窓からつっかけの様なスキー板を草履のようにひっかけて滑るのが楽しみでした。

たまに両親の実家のある東京に帰り、ぐちょぐちょで汚い雪だるまを見るにつけ、真っ白な世界からやってきた自分を誇らしく思ったものです。

5歳まで住んでいた高知も台風が近くなると会社の人たちがやってきて家の建具を外側から板を打ち付けます。
福井では、やはり会社の人たちがやってきて屋根の雪下ろしをします。
普段はひっそりとした暮らしなのですが、そんな大イベントで人が集まるので、いつもと違った雰囲気に嬉しさを感じました。
もともと無口な子供でしたので、じっとその光景を眺め、人の集りの中で幸せを感ずるのが今の仕事にも繋がっているのかもしれません。今は自分が無口だと云うと、皆さんから「嘘だぁ~~」と云われますが、ほんとうに喋らない子供でした。
喋るようになったのは福井から湘南の茅ケ崎に引っ越してからだと思います。

違った雰囲気の時に幸福感を感じる私は、もしかしたら、人が集まることで、転勤族のよそ者である母が幸せそうに見えたからだったのかもしれません。

先週は山元町での雪。そして一週間後の雪。

幼い頃から年月が経てば経つほど、幼い頃の感覚が蘇ってくるのはどうしてなのでしょうね。。。

重度の痴呆となり亡くなった義母は、よく5歳ぐらいの子供になったり、女学生になったりしていました。あたかも自分が少女になったように見え、そんな時の義母はとても幸せそうでした。

「愛の原型」という言葉があります。

自分が親から愛された思い出、自分が「これが愛だ」と感じる習慣や慣習、親からの愛され方、それらが人の愛し方、愛されたい型に繋がるのです。

年を重ねれば重ねるほど、この愛の原型は強化されていくように常々思います。立証されているわけでもありませんが、自分自身も半世紀生き、子育ての任務から解放された頃から、自分の愛の原型が知らず知らずのうちに強化され、自分の願望や欲求を満たすことに対して執着するようになってきたようにも思います。

幼い頃の思い出である愛の原型が、人の幸福の原点として人を活かしていくようにも思います。

子供が幼い頃に寂しい思いや哀しい思いをしていると、その寂しさや哀しみを満たすために大人になっても永遠に希求しようとします。

満たされない愛を求めようとする情動は、幼い頃の愛の原型と深い関係がありそうです。

昨日、雪かきをしながら、ふとそんなことを思いました。

口でガミガミ云うよりも、体(タイ)を見せていると子は見ているのです。お手本なんてありません。自分なりの愛をもって体を見せていれば、あとは信じるのみでしょう。

☆☆

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