五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

私は誰?

2013年08月06日 | 第1章 意識と知覚
我が家に映画レミゼラブルがやってきた。というか、息子からの誕生日プレゼントがレミゼのDVDでした。
毎年、なんだかんだと工夫してくれるプレゼントが正直嬉しいです。

応援している横浜マリノスの今年のテーマ曲がレミゼで歌われている革命の歌ということもあり、家族皆がHappyになれるよきアイディア。

キリスト教文化に育まれた光と影のアイデンティティが如実に表れているこの小説は、私は何者か?という問いから始まります。

最初から最後まで、私は私であることの太い柱を中心に描かれていることに、それぞれの登場人物の「自由意思」を自問自答という形で、見事に表現されています。

私が小学生の頃の日本語訳は「ああ無情」であったし、レ ミゼラブルをほぼ、直訳したようです。

でも、題名は、無情であり、悲惨であるのですが、神様の元に生きる人々が我が心身に根付いている信仰に忠実に生きていることに、キリスト教の根源的意味を多方面から問いただすことに成功している小説であると思っています。

主人公のジャンバルジャンだけではありません。登場人物すべてに自分は何者であるかを問わせていきます。

私は私でしかないことを自分が受容した時に、光が射してくるように思います。でも、この自問自答に気付く時期は人それぞれであろうし、気付かないで人生を送る人もいるかもしれないし、気付きたくなくて自己否定を続ける人も居るかもしれません。

「私」を生きようとしたジャンバルジャンの最期は、人生のプロセスから得た自己受容であり、他者受容です。
ジャンバルジャンを追い続けたシャベールも、自分の罪をジャンベルジャンに転移していることに気付くことで愛とは何かに気付きます。でも、シャベールの生きた人生は自分自身の善悪の解釈に忠実でした。

普遍的な愛の元に生きているはずなのに、人間は罪と罰を自ら作ろうとします。

ユゴー本人の人生と重ね合わせた社会的かつ自伝的小説は、「私は誰であるか?」という人類の永遠普遍の問いそのものだと私は解釈しています。

パリのカルチェラタンをジブリのコクリコ坂に重ねた若者がいたら、それは大当たりですね^^。

(革命の舞台周辺、サンミッシェルは、パリで一番古い教会です。ソルボンヌ大学があったり、シテ島のノートルダム寺院の前には、フランス革命の時にルイ16世やマリーアントワネット家族が幽閉された場所もあり、その隣は現在は裁判所です。その裁判所のエントランスには自由・平等・博愛、つまりフリーメイソンの思想が彫られてあるのが見えます。その裁判所にくっついて建っているサントシャペル(教会は)貴族と平民でフロアーが別れている時代を表す象徴的な教会として有名です)

舞台のレミゼは、演出が随分変わるそうですね。。。時代は変化しつつも愛は永遠普遍です^^。


告知:8月13日(火曜日)14時から~18日(日曜日)16時まで:世田谷美術館区民ギャラリーにて「江戸表具を愛する会」作品展。私は金曜日16日はお休みしますが、それ以外は会場におります。裏打ちした裂で置物を作るコーナーもあります。

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