五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

義経の憂鬱

2012年03月23日 | 第2章 五感と体感
一の谷の合戦で、功績を上げたにも関わらず、頼朝は彼を無視を装い、ジワジワといじめ続けていきます。

私は頼朝に親しみを感じません。自己の成功にひたすら邁進し、自己愛に忠実で、他者との関係に生命があるのかと思うくらい冷酷さを感じます。その上、猜疑心が強く、他者を信じる力が欠けているようにも思います。
血縁であればある程、その猜疑心は嫉妬と共に、彼の行動を決定付けていくのです。

頼朝の生育史は、そのような人格を考えると「さもありなん」と思います。歴史上の大人物を批評するつもりはありませんが、「成るように成る」とはこのことかなと思うのです。

京都に上がることを無視し続け、遠い鎌倉にて、人気を上げていく義経を頼朝の側近の搾取的情報に感情を高ぶらせながら、更にいじめ続けていきます。
側近も頼朝の感情を高ぶらせることで、義経を生け贄の子ヒツジに仕立て上げながら出世していきます。

義経は義経で、兄を慕いながら母を想い、その希求心は深く強いものだったと思います。
人柄好く政治力にも長け、京都に馴染んでいく義経であればあるほど、鎌倉の嫉妬は強くなっていくのです。

頼朝は、何度も京に上がることを要請されても、上がろうとはしません。

その狭間に立たざる得ない義経の憂鬱は大きなものだったことでしょう。

義経の生育史から考えると、頼朝に疑いをかけることを思いつかないのも理解できます。

こういった事象は、現代の社会に散見できることと何も変わりません。義経と頼朝の関係は、いつも私を憂鬱にさせます。
吉川英治氏の新平家物語12巻は、そんな義経をあれこれ心配しながら感情移入している私がいます。

就活真っただ中の我が子も、これからこのような世間を渡っていかなくてはならないかと思うと、「自分を信じて頑張ってくれや!」と思うしかありません。

現代は、平安後期から鎌倉、室町、さらに続く戦乱の世よりは、もっと自由であることは確かです。
自由であるがゆえに意識できない自由を意識してみると、案外自分は心の中に広がる自由を忘れていることに気付くかもしれません。

さてさて、義経に情をかけながら、また読み進むことと致しましょう。

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