五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

太古の表現とポロック

2012年03月08日 | 第2章 五感と体感
東京国立近代美術館で行われている「ジャクソン ポロック展」を観てきました。

久しぶりに芸術に触れたように思います。

表象的な芸術は、周辺に溢れています。現代では表象なのか芸術なのか区別のつかないものも多いように思います。人類の移動や侵略と共に表象文化に拍車がかけられ、人類は「この形を見たら、これを意味する」という学習をすることによって表象による概念を持つことが当たり前になりました。

これらのことが知恵であり、個人やコミュニティーが生き抜く力かもしれない、というのも頷くことのできることです。

人にはそれらの形を決める前に、やってきたことがあります。

それは、「自分の体感を表現すること」です。
その表現の始まりの頃は、ルールもなければ、方法も様々だったはずです。

ポロックにしても、ピカソにしても、エミールウングワレーにしても、太古の表現者達と同じように、自己の体感をありのまま表現することで、独自の表象を造り上げてきました。
でも、彼らは、太古の表現に出合ったからこそ、感性が疼き、独自の表現が生まれてきたわけです。

岡本太郎氏も縄文の形象に魅せられ、民俗を追いながら独自の表現を育んでいきました。
(ポロックはネイティヴアメリカン、ピカソはアフリカ、ウングワレーはアボリジニー)

無から有は生まれません。
いきなり表象的な形が現れることはあり得ません。

太古の表現から見えてくる個人の感性が、奥深いものであればあるほど、それを観た者は、その奥深くにあるものを感じるのです。
形というものは、ほんの表層的なものであって、形そのものが大事なのではなく、表現を通り越した奥にある本質を観た時に、ああ、本物だ、と思うのが人の感性だと思います。

人は常に光を観ることを欲しているようです。

統御感を求めているからこそ、観光をするのかもしれません。

定住が常識になっている現代、移動してきた人類の遺伝子が、探し求めることを無意識にさせることで何かに到達することに喜びという感情を与えたのだとしたら、遺伝子の設計者は、何を到達点にしているのでしょう…
「原型とは何か」を追い求めることも到達点の一つだとすると、人類はメビウスの輪のように、また同じところに戻っていくようにも思います。

このようなことを考えながらポロックを楽しんできました。

私の統御感は、こんな感じの上に成っているようです。

精神分析が真っ盛りのアメリカを生きた芸術家であるがゆえに、一層自分を苦しめたとも解釈でき、そのような時代だからこそ、自己を追求できた一人の芸術家から見えてくる本質が、私の心身を糺してくれたのは確かです。

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