五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

平氏と源氏

2012年03月20日 | 第2章 五感と体感
平重衡(しげひら)は、清盛の五男です。
一の谷の合戦において源氏に捉えられ、鎌倉・頼朝の下で幽閉され、結局、南都の僧にて奈良坂の般若寺で首を切られます。

奈良坂での東大寺や興福寺等、当時の大勢力であった南都衆の怒りは治まらなかったのでしょう。

平家に焼かれた東大寺は、頼朝からも援助を受け再建されます。

そのような経過があるせいか、未だに鎌倉の寺社との関係を深めていることを度々耳にします。

もともと重衡は、出陣の際、奈良の都を焼き打ちする予定はありませんでした。清盛からも大きな争いを避けるよう強く言い渡されていたにも関わらず、家臣たちの勢いが止まらず、とうとう重衡は奈良坂から火の海の奈良を見ることになってしまいます。

平家滅亡の暗雲の暗示と噂されても仕方の無いことです。

大将が家臣の感情の高ぶりを制御出来なかったのも管理ミスといえばそれまでですが、民衆の勢いを考えると、私はいつもイエスキリストの磔刑を思い起こします。
民衆の勢いとうねりは、いつの世も管理者の意図のようにはいかず、制御不能になる傾向があります。

かといって、その制御不能の事態が真理ではないといえば、そうは言い切ることはできません。

真に見える事象は、案外不確かなもので、人が何かのフィルターを通して見えることが、その人自身の真実であったりするのです。
その人が見えるものを、他者が否定したところで、覆すことは難しいことだと思います。

平家の現実吟味力が、世間とかけ離れてきたことを平家自身が気づかなかったところに平家らしさがあったのかもしれません。

先日の大河ドラマ清盛でも、平氏の館で楽を奏でそれをしめやかに聴き惚れる一門、かたやワイルドな坂東武者を次々と味方に付け血縁と家臣を増やしていく義朝の対照的な演出が強調されていました。まさに、そんな感じで平氏と源氏の個性が時の流れと共に形成されていくのです。

重衡最期の現在の般若寺は、コスモスの花畑が美しい花のお寺です。
奈良坂見降ろす東大寺の屋根を眺めると、奈良時代を超え平安時代の戦乱をも想像できます。

着実に事実を重ねていく歴史の出来事は、風土を生みだすだけでなく今を生きる私達の教科書でもあるのです。

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする