Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

新生 Phoenix Wellington から

2007-09-07 | Aussie & Kiwi

猛暑、酷暑の日本の夏を逃れて8月末より南半球のニュージーランドに商用で来ております。今週前半は最大の都市 Auckland で見本市の出展参加やらで忙しい日々を送り、昨日より首都の Wellington 入りをしています。

最大都市 Auckland 市の人口は郊外地域を含めて130万人で国の総人口の約4分の1の人々が住んでいる事になるが、首都の Wellington は郊外地区を含めても40万人程度。まぁ隣国オーストラリアも首都は経済力や人口の最大の規模を誇る Sydney ではなく Canberra だ。ただしこれには歴史的ないきさつがあり、1901年英国から独立を果たしたときに1901年にオーストラリアがイギリスから独立した時、首都の座をめぐり、メルボルンとシドニーが対立。1911年にこの両都市間の首都争いに決着を付けるべく、キャンベラの建設が始まり、キャンベラはニューサウスウェールズ州から分割された。メルボルンとシドニーとの間に直線を引いたほぼ中間地点にあることから、この地にキャンベラが建設された。まぁニュージーランドの首都も元々 Auckland であったのが1865年に Wellington に遷されたのだがその経緯は私はよくは知らないが、1863年11月、アルフレッド・ドーメット がオークランドの議会に「政府の所在地を、クック海峡沿岸のどこか好適な地へ移すことが必要となった」という動議を提出したがそれは南島が金鉱脈の存在を背景に別個の植民地を形成するのではないかという懸念が明らかにあったので、オーストラリアから派遣された弁務官(中立の立場ということで選ばれていた)は、良港が存在し、国土の中央に位置することから、ウェリントンが首都にふさわしいという意見を述べ1865年7月26日、議会は初めて公式にウェリントンに置かれた。当時のウェリントンの人口は4900人であったらしい。 ( Wikipedia より )

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3

この街の特徴は強風。飛行機が空港に着陸する時は必ずと言って良いほど強風を感じる。そして海岸線からわずかなところが丘陵地になっており都市開発が難しいと言われている。そしてクック海峡から強風にさらされている事からニュージーランドの人々からは Windy Wellington とも呼ばれている。また大きな断層が街の真ん中を走っており1848年と1855年には大地震がこの地を襲った。海岸線から遠くないところに丘陵地があるのも断層の影響と地元の人に教えて貰った。



いつだったかここに商用でAuckland から移動する前にある御客に“ Wellington に行ったらハリケーンに気を付けろよ。”と言われた事がある。強風の事だと思ったのだがそれはその時開催されていた南半球3カ国 ( 南アフリカ、ニュージーランド、オーストラリア ) の14のクラブチームで行われるラグビーユニオンのリーグ戦で地元の Hurricanes の試合がその日に行われると言う事であった。街の中心街から徒歩5分足らずの中央駅のすぐ近くにある West Pac Stadium でその試合あ行われていたのだがホテルのレストランや全ての街のパブまで多くの人がスクリーンの前に集い試合を食い入る様に観ていた。試合終了後も競技場を後にしたのであろう多くの人々が帰途に着く為に街中を歩いていたのを覚えている。
この West Pac Stadium をホームにする新しいプロサッカーチームが今年誕生している。 3月19日にHyundai A-League に新加盟が認められたWellington Phoenix だ。それまで New Zealand から A-League に参戦していた Auckland をホームにする New Zealand Knights の解散に伴い、新たなリーグ加盟チームを探していた Federation Football Australia はいくつかあったオーストラリアの候補チームよりも New Zealand のチームの参加を選んだのだった。はっきり言って A-League 発足から2年間唯一 New Zealand から参加した Knights は悲惨だった。初年度はダントツの最下位。2年目も第17節を終えて僅か2勝でどうしようもなかったチームだった。しかし18節に元ニュージーランド代表でワールドカップにも出場経験のある Ricki Herbertが指揮を執ると残りの4試合を3勝1分けとし上位4チームが進出出来る Final Series 争いの台風の目となり終盤のリーグを大いに盛り上げた。例えそれがかつての横浜フリューゲルスの様にチーム解散が見えていて最後の有終の美を飾ろうとした輝きであったかもしれないが。
そして Ricki Herbert はそのまま新生 Wellington Phoenix の監督に就任する事になった。その開幕戦。ホーム West Pac Stadium に昨年度覇者の Melbourne Victory を迎えた。19分に Victory は主将の Kevin Muscat のPK で先制を許し、60分には Allsop に追加点を喫して 0-2 と劣勢のなか、79分に Daniel, 84分には S.Smeltz の連続ゴールで追い付き 14,421人集まった地元サポーター達を大いに沸かせた。しかし続くアウェーの Central Coast Mariners 戦では 0-3 と完敗。それでもその試合の Phoenix はシュートがクロスバー、ゴールポストを1度ずつ叩く惜しいチャンスがあり、続く9月9日のホームでの New Castle Jets 戦では期待できそうだと Herbert 監督は地元マスコミにコメントしている。
街中には Phoenix のゲームを告げる広告や到る所で Phoenix の旗が掲げられている。そしてスポーツ用品ショップでも ALL BLACKS Goods にならんで Phoenix の Goods が並んでいる。あるパブの前では9日の Jets 戦の中継を宣伝している。こう言う動きは Knights が存在した時の Auckland では見られなかった。

それは Stadium の立地条件も関係するかもしれない。 Knights がホームとしていた North Harbor Stadium は立派な競技場ではあるが街の中心街からかなり離れておりアクセスが悪かった。その上 Auckland に限らず New Zealand は公共交通機関が発達しておらず車が無ければここには行けないと言っても過言では無い。そう言う事もあって2011年のラグビーのワールドカップの地元開催に向けて街の中心街が面している海岸沿いに Water Front Stadium の建設計画が持ち上がったのだが。 しかしここ West Pac Stadium は上記した通り街の真ん中にある。それだけ市民も親近感を持っている事だろう。



その上の地元の人が言っていたが“元々サッカーは Wellington の方が盛んであったし良い選手も多かった。” 1982年のワールドカップスペイン大会にアジア、オセアニア地区代表で出場したニュージーランド代表チームの中には多くの Wellingtonの チーム所属選手がいた様に記憶する。代表チーム ALL WHITE の指揮を執るのも Ricki Herbert 氏。5月26日のアウェーでのウェールズ戦は 2-2 で引き分けている。 10月13日から早くも始まるワールドカップのオセアニア地区予選。中村俊輔の同僚 Celtic の Chris Killen をはじめ7人の欧州組そして Perth Glory 所属の Leo Bartos らに並んで8人の Phoenix の選手が召集される事になった。恐らく ALL WHITS はオセアニア地区を勝ち抜いて来るだろう。そして Asia 地区からの国とプレーオフをする事となる。現役A-League の監督の中でもワールドカップ経験者は Herbert 氏のほかには誰かいただろうか….? 9日の Jets 戦が楽しみだけど私は明日 Wellington を離れて Jets のホーム Newcastle に移動せねばなりません。朝6時の飛行機だわ……