Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

関塚監督 お願いです福岡とセレッソにも...

2006-10-29 | 京都サンガ J-League
後半に入り選手がピッチに出て来るがその前にNHKはフロンターレ関塚監督にインタビュー。前半、リードはするが押される時間が長かったのでは?両ボランチが抑えられて苦しかったのでは?の問に“予定通りの展開。押されているように見えても最後の決定機は作らせなかった。”と余裕と言うよりも自身を持って答えた。関塚監督は千葉県八千代高校の出身。高校時代は郡山インターハイでチームを準優勝に導き、冬の全国高校選手権大会ではチームをベスト4に導いた。後に早稲田大学を経て日本リーグ本田技研に入社し1年目で11得点を挙げて新人王に輝いた。だが1979年のワールドユース大会では最後の方でメンバーに入れず、日本代表で活躍する事は無かった。しかし、さすが早稲田と思わせるような理論的な話のしかたは指導者には最適であっただろう。それが今のフロンターレの快進撃を証明している。受験戦争激戦の当時、サッカーがいくら上手くてもそれだけでは早稲田には入学できなかった時代だった。 そして最近になって千葉県の宮本中学出身とわかった。わたしの母校高槻九中時代の同級生が全国大会に出場したときに対戦した中学だ。(もちろん私より年上の関塚氏は対戦していない。) 後半の立ち上がりはフロンターレが押す展開だ。50分、ペナルティーエリア付近でボールキープをする谷口に粘られ、大久保が思わず倒してしまう。そしてフロンターレ絶好の位置でFKを得る。そこにはマルゴン、マギヌンそして中村憲剛がボールを囲むが、中村が放ったシュートはクロスバーを直撃する。ほっと胸をなでおろす。その直後にはカウンターから左サイドから谷口に入れられ、処理をしようとした手島が転倒しはっと思わせられたがGK平井が掴む。ゴール前にサンガはラインをやや下げたのでフロンターレFW陣の侵入を許す時間が続く。だが53分から左サイドの渡辺の突破からフロンターレゴールの迫るシーンが見られる。ここは選手交替でFWの数を増やして… と思うと、ベンチ脇で田原が美濃部監督、松永コーチと話をしているところが映し出される。この日の美濃部監督は早い動きを見せようとするのか…と思うと、逆襲から抜け出したジュニーニョへのGK西村のチャージがファールに取られた上にイエローカードを提示される。サンガの選手が詰め寄る。美濃部監督もベンチから大声で抗議をすると、着席を促される。確かに西村はジュニーニョにぶつかって行ったが、その前にジュニーニョもあれだけ足を高く上げて突進しているので、この判定は??と思わせられた。それでなくてもこの日の柏原主審の判定は京都に辛い様に思えてならなかった。サンガは選手交替を試みると失点を喫してしまう試合が続いていた。この試合もか…と思うと、何とジュニーニョがPKを外してくれた。まだ幸運は残っている。田原と加藤が、小原と角田に替わって投入された。加藤は右サイド攻撃、そして田原は前線でポストに囮にそして自らのシュート力と期待できる。加藤は右サイドをよく疾走して好機を作るが、田原がゴールマウスの外側でボールを得ることが。もっと中に入ってそこから起点になって欲しいのだが。関塚監督は72分、マルコンに替えて井川を投入し、森を左サイドに移し井川を森のいた右サイドに入れる。これは加藤のマークと共に、加藤の背後を突くという方策だ。だが74分、京都はこの日最大の絶好のチャンスを迎える。パウリーニョが無人の左サイドを上がると後方からロングフィードがドンピシャのタイミングでパウリに送られる。遮るのはGK吉原のみ。その吉原もかわして無人のフロンターレゴールへ…..と思った直後、パウリのショートが揺らしたのはサイドネットだった。天を仰ぐパウリーニョ。この日等々力に駆けつけたサンガサポーターを含め、テレビを見ていた私を含めたサンガサポの何万人が同じ思いをしただろう。ひょっとするとシーズン後の結果を左右するシュートミスになるかも…泣き出しそうな気分だった。フロンターレはエースの我那覇が下がって黒津が投入され、守備固めに入る。まだ15分あるのだが。1997年ワールドカップ予選で呂比須を下げたあとに韓国が2点を取って逆転した。今度は同じ事を京都が…と思う。76分のパウリーニョの強烈がミドルは惜しくもGK吉原にセーブされる。その直後のCKのチャンスから加藤のアーリークロスから大久保が惜しいシュートを撃つ。80分にはワンツーから田原が抜け出てボレーを放つがやや勢いが無くGK吉原が難なくキャッチ。82分にはDF大久保が下がり美尾が入る。途中経過では福岡もセレッソもリードしている。引き分けどころか勝点3をとるしかなくなってきた。だが、85分中村憲剛にドリブルで持ち込まれ絶妙のスルーパスがマギヌンに通り、ゴール正面からとどめの2点目を入れられた。 呆然と見送るサンガイレブン、サポーター、そして俺。 残りのロスタイムを含めた約8分間、サンガFWも何度かゴール前に迫ったが得点を期待する気力は私は失せていた。そしてタイムアップ。フロンターレサポーターの声援と関塚監督の快心の表情。 いよいよサンガは崖淵に立たされた。試合終了後、田原を始め何人かのサンガ選手は正面観客席下に座り込んでしまっていた。フロンターレと言うよりも、この日勝利を収めたセレッソ、福岡との違いは何だろう?直接対決ではけっして負けていないのだが…. 残り5試合。頼みはこの日の対戦相手フロンターレが31節で福岡に最終戦でセレッソに勝ってくれる事を祈るか….. この際残り5試合、ジダンに特別にはいってもらうしかないか?サンガのスポンサーなら金はあるぞ…. ??

愛するサンガ 残留の灯は残るか....

2006-10-29 | 京都サンガ J-League
東京都の立川駅と神奈川県川崎市の間を結ぶ約35.5km の鉄道JR南武線。起点の川崎駅から7つ目の駅、武蔵中原駅から徒歩15分のところにある等々力陸上競技場。今はどれだけ陸上競技の為に使われる事があるだろう?Jリーグ創設時は“ベルディ川崎”のホームグラウンドとして試合の度に超満員札止めであった。しかしベルディが東京に去った今、ここはフロンターレ川崎のホームグラウンドとして名が通っている。カズや北澤、武田、柱谷弟がここで満員の観衆を前にプレーしていた事が遠い昔の様だ。1998年から1年半ほど、この近くに住んでいたことがある。ここの東急東横線、そして東急田園都市線も走っており交通の便利はいい街であった。当時から駅前の商店街には“頑張れフロンターレ”のポスターや垂れ幕が貼られており“いつかベルディより人気が出るだろうな”と思っていた。しかし、ベルディを上回ったのは人気だけでなく実力もだという事は当時想像できなかった。1998年、あの歴史的なJリーグ史上初の“入れ替え戦”にアビスパに惜敗しJ1昇格は1年お預けとなったが、その試合結果より“何故アウェィの福岡でしか試合をさせて貰えないのだろう?”とそちらの方が気の毒に思った。そして8年が経ち今や優勝を争うチームになった。2000年は京都サンガと歩調を同じにJ2に降格し、以降4シーズンJ2で過ごす事になったがサンガが2度目に降格した2004年のシーズンは圧倒的な強さでJ2を制し5年ぶりにJ1に昇格。愛するサンガの昇格はされに1年待たねばならなかった。
10月28日の等々力競技場に我が愛する京都パープルサンガが遠征し首位争いをする川崎フロンターレと対戦した。2004年のJ2での戦い以降、両者の力関係は逆転し、方や優勝争いそして我がサンガは降格争いと対照的だ。だが1998年相手は異なりベルディ川崎との対戦とは言え当時首位を行くベルディを相手にサンガは堂々のサッカーを披露し勝利を収めた。この試合を私は競技場で観戦している。自身“等々力は縁起のいい場所”と勝手に決め付けていただけにこの試合は期待をしていた。サンガはDFの斉藤が累積警告で出場停止。3バックのDFラインは手島をセンターに左に児玉、右に大久保の3バックに中山、石井のボランチ。川崎の強力攻撃陣ジュニーニョ、我那覇そして2人を操る中村憲剛を阻止出来るか?2列目は右から角田、中払、渡辺。角田はここ数試合動きがよく、還ってきた中払も悪くはない。渡辺も攻守に頑張っているので期待は出来そうだった。2トップはパウリーニョに前節大分戦に続いて先発の小原は京都ユース出身。美濃部体性になり徐々に良くなってきた、特に連動性が出て来た攻撃陣、何とか2点以上を獲ってくれと期待する。
キックオフからサンガが優勢に試合を進めてくれる。相手のスペースを消し、パウリーニョが裏をとる動きをする。4分には中山の飛び出しからスルーを受けた小原が惜しいシュートを放ち、7分には中払が早いドリブルでペナルティーエリア内に侵入しそのままシュート。ここ数試合と言うよりも、美濃部イズムを浸透?させた動きを見せる。10分にはテレビの左隅に同時刻にヤマハスタジアムでスタートした試合で磐田が浦和を2-0でリードと紹介される。NHKのアナウンサーは“首位争いをする川崎にとってこの途中経過は….”と述べだすが、こちらは福岡、セレッソの途中経過を知りたいのだが…. 16分フロンターレは川崎は我那覇のポストプレーから左に流れたマギヌンがグラウンダーのセンタリングを入れるがそのまま右サイドの森に転がり、森がクロスを入れ、走り込んだマギヌンに頭で合わせられるが何とかコーナーに逃げる。相変わらずサンガDFは相手の早い展開にはマークがずれる。それでも22分には角田のロングフィードを受けた左サイドの渡辺がやや遠目から頭で直接狙い、24分には前線の5人が連動性を見せ最後はパウリーニョのロブに中山が反応しそれぞれ惜しいシーンを作る。中盤では森に渡辺がそして中村憲剛には兎に角近くにいる者がタイトなマークに着き自由にさせない。森勇介はかつて京都に在籍した選手。あぁいい選手だなぁ… 35分にはパウリーニョがやや左側でボールを受け、後ろの中払に戻すと中払は粘って中山に。中山はワンタッチでパウリーニョに返しパウリは再び上がってきた中払に戻すとそのまま右サイドの角田に。そしてペナルティーエリア近くに走り込んだ小原にボールが渡り小原はそのままDF寺田を背負ってシュート。惜しくもファーポストの左側に外れていったがそこにもパウリーニョが詰めており、素晴らしい連動性、そしてパスアンドゴーを見せたシーンであった。これはいいぞ、先制点の予感がするぞ。と期待をするも、その先制点は川崎に入ってしまった。38分手島のジュニーニョへのチャージがファールに取られ、そのFKを中村がゴールマウスに入れる。大久保がよく競ったがそのこぼれ球をそのまま我那覇に頭で押し込まれて先制点を喫した。我那覇はこれで16点目。播戸、中村寿人と並んで日本人FWのトップ(後に佐藤が1点を決めて17得点とした。) あれだけ主導権を握りいいサッカーをしていたのに、セットプレー1発で得点を許してしまった。それでも43分には小原が谷口に倒されゴール前のいい位置でFKを得た。しかし、パウリーニョが直接狙うも壁に当たってゴールに届かない。そして前半が終わった。控え室に戻る直前の美濃部監督は“後半は選手交替を含めて攻撃的に布陣を変えていく”とインタビューに応えた。つづく...