Mr.コンティのRising JAPAN

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6月16日 フランクフルト空港は曇り

2006-06-19 | FIFA World Cup
ドイツ入りして3日目を迎えますが、今だ現地からの詳しいレポートが無いと各方面から批判が寄せられそうです。(誰もそこまで期待していないか?) 今日は6月18日。現在ドイツ自慢の特急列車ICEで一路 Nürnberg に向っております。そうです、本日のクロアチア戦に向かって。 それでは、私のドイツ入り後の様子をこれからご紹介しますので、お楽しみ下さい。(誰も楽しみにしてないか?)

6月16日。 午前6時前に到着してフランクフルト空港は曇り空。機内アナウンスでは気温17度と言っていたけど半袖の身には少し肌寒い。知り合いの旅行代理店が取ってくれた航空券は香港経由。予算の関係上と、この時期欧州への渡航者がピークを迎える上にワールドカップと重なるため欧州路線は混雑していたので、このルートを取る事にした。東京~香港間は約4時間のフライト。そして3時間程度のトランジットを空港で過ごし、香港~フランクフルトは11時間半程度のフライトだ。機内は共に満席。そしてワールドカップ観戦の為の日本人旅行客が非常に多かった。後に聞いたがあのワールドカップチケットが中国から入手出来ずにワールドカップツァーを準備できなかった旅行会社の事件に巻き込まれた人もいた。 9年ぶりに乗ったキャセイパシフィックは期待通りの?最低なフライトを提供してくれた。東京~香港間ではビデオ設備の故障の為に機内映画が観られない。そして香港~フランクフルト間ではヘッドフォンジャックが壊れており音声が聴こえない。文句をフライトアテンダントに言うと“他の空いている席にどうぞ”といつものパターンだ。しかし、機内はほぼ満席。窓側、通路側は空いていない。通路側は譲れない。そんな押し問答をしていると、黒服のチーフアテンダントが出て来る。こういった問題が起こったときは大体が乗客に忍耐を強いるのがこの世界の常識だ。しかし、それには負けていられないので“キャセイに乗るといつもトラブルが起こる。東京から来るときも、前回もそうだ”、てな文句を言うと、彼女はキャプテンと話すと言葉を残し前方に戻っていった。しばらくすると“機長と話しました。ビジネスクラスにどうぞ”と言いに来た。これはラッキー。しかし、ここで表情を崩してはいけない。無言で、憮然と荷物を持って2階のビジネスクラスに向う。さすがにここは天国だ。しかし、それでも私の怒りは収まらなかった。着席直後、フライトアテンダントが食事を伺いに来るが、目を合わせずに無言を通した。すると別のアテンダントを連れてきて“オショクジハイカガナサリマスカ?サカナ?オニク?....“ これには頭にきた。英語が話せないと思ったらしい。“ English is compulsory in Japan too !! I ‘m doing business everyday with English. May be I can do better than you !! “ と怒鳴ると二人とも一礼をし、退散してくれた。おかげで?後の10時間ばかりのフライトは誰にも邪魔される事無く過ごせた。だが、大体の場合,こうはしてくれない。オーストリア航空などは読書灯が故障して本が読めないと言うと、キャビンアテンダントは”他の事でお楽しみ下さい“で終わり。それでも文句を言うと日本人スチュワーデスを寄越して来た。頭に来た私は”日本の男がみなスチュワーデスを気にいていると思ったら大間違いや!!” と言った。大体私はスチュワーデスが大嫌いだ。エコノミーとビジネスの乗客では接する態度が違うし、自分は美人だとお高く止まっている。その上私は昔、スチュワーデスに振られたのだ。

フランクフルト空港から最初の投宿地ボンまではドイツ鉄道 DB ( Deutsche Bahn ) ご自慢のICEを乗り継いで2時間程度。今度は快適な列車の旅だ。さすがに欧州屈指の大空港,フランクフルト空港。世界中のサポーター達がいた。トリニダードドバゴのサポーター数人。前日は England に敗れたが表情はなにやら誇らしい。そして数多くのオーストラリアサポーター達とも。反対に慰めれられた。 Johnny Warrenn の話題を持ち出すと、みな驚いてくれる。そして握手を求められた。 
まずはホテルにと、言いたいところだがボン中央駅には仕事上の顧客が迎えに来ている。2~3日前から数年前に納品した機械の調子が悪く見て欲しいとの事。折角ドイツ入りしたので無視は出来ない。しかし場所はボンの近くでトラブルも大した事が無かったので午前中で仕事は片付き、昼食をよばれた。 日本の試合の話もする。地元でのドイツの評価はうなぎのぼりらしい。大会前は1次リーグ突破も危ないと思った人が半分くらいはいたらしい。

ホテルにチェックインしたのは午後1時過ぎ。ブッキングは半年以上前に入れておいたが、無事にキャンセルされていなかった。本当はこの日3時からボンからICEで2時間程度のギルゼンキルシェンで開催されるアルゼンチン対セルビア=モンテネグロを見に行こうかと思っていた。チケットは無いが現地でダフ屋から買おうかとも思っていた。しかし、少し疲れが残っていたのと、チケットの価格が心配だったので部屋でテレビ観戦する事に決めた。
そしてそれは正解だった。両国のワールドカップでの対戦は1990年イタリア大会以来16年ぶり。その試合のビデオを持っているが、ユーゴスラビア連邦最後の大会となったこの試合はPK戦までもつれマラドーナ、ストイコビッチの両雄が共にPKを失敗した後にアルゼンチンGKゴイコエチアのセーブでアルゼンチンが勝った試合だ。試合後アルゼンチンサポーターの前で“アルヘンチナ!アルヘンチナ!”と叫びマラドーナを初め飛び跳ねるアルゼンチンとフィールド上に伏して立ち上がらないユーゴスラビアの選手達とのコントラストが印象的だった。 今回も誰もが好試合を期待したはずだ。セルビアは初戦のオランダ戦を落としているがまだまだ決勝トーナメントへの可能性はあった。 しかし開始早々先制点を許してしまう。アルゼンチンはペケルマン監督がユース代表を指揮した時代からの選手が多く、戦術と組織がきっちりしている。その上各個人のレベルが高い。セルビアもミロセビッチ、スタンコビッチ、ケズマンを擁してアルゼンチンとは見劣りしないメンバーだが,組織力に差があったか?かつて連邦が存在した時、ユーゴスラビアの国内リーグのレベルは高かった。レッドスターベオグラード、パルチザン=ベオグラード、ハイデゥク=スピリット、クロアチア=ザグレブ、これらが一堂に同じリーグにいたのだ。そしてユーゴは東欧の中でも経済状態が良く他の共産諸国よりも西側との交流があり、裕福な国であった。当時、同じ東欧とは言えポーランド、チェコスロヴァキア、ルーマニアといった私が担当した市場とはビジネスサイズでも格上で羨ましかった記憶がある。連邦崩壊後旧ユーゴ諸国の選手達はサラリーを求めて西欧に出て行くのが本音だろう。同じ事は指導者にも言える、優秀な人材は明日の日当も保証されない自国では仕事をしたがらない。アルゼンチンも正GKアボンダンシェリ、第三GKウスタ-リ、FWパラッシオ以外の3人は国外組だ。クレスポと2トップを組むテベスはブラジルのコリンチャンズ所属だ。それ以外の19名はメッシ(バルセロナ)、クレスポ(チェルシー)を初め欧州組だ。しかし、U-20時代から同じ釜の飯を食ってきた選手が多い上、その当時から指導を受けていたペケルマンが監督なので戦術の理解も高いのだろう。ユース、五輪チームの力の入れ方は欧州より南米、特にアルゼンチンが上を行く。 アルゼンチンは得点を重ねる、セルビアはエースケズマンが退場になるなど良い所が無い。最後はトh食う出場した怪我の回復が危ぶまれていたメッシがゴールを決め、6-0のスコアとなってしまった。得点の度に映し出されるマラドーナと彼の家族。今大会のアルゼンチン株はこれで更に上昇するだろう。セルビアも悪くないチームだっただとうが、6点差は誰も予想しなかったに違いない。スタジアムからは“アルヘンティナ !! アルヘンティナ!!”の歓声が聞こえてくる。1978年大会でテレビからよく聞こえてきた歓声だ。そして翌年日本で開催されたワールドユース大会、アルゼンチン対ソ連の決勝戦。日本の観客はマラドーナ、ラモン=デアス、サンタクルス、バルバスらを擁したアルゼンチンユースチームに同じ様に “アルヘンティナ!!” の歓声を送った。それはアルゼンチン地元でも話題になり。1986年のTOYOTA CUP で来日したリバープレートの役員が日本テレビのインタビューで”あの時はアルゼンチンを応援してくれてありがとう“と語ったことがある。 
そんなことを思い出しながら私はホテルを出て日本サポーターの基地と言われている G-Jumps に向った。  続く


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