歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

氏家“彩遊”ラーメン屋化への試案?思案?私案?

2008年01月21日 | 食事の話し
一昨日の続きです。

ラーメンのネーミングの話です。

「彩遊旨味醤油麺」との表記は、

第一に、客は「彩遊」の店内に居り、彩遊のラーメンしか選択できないのであるからして、彩遊は要らない。

第二に、旨いか不味いかは客の判断であるからして、「旨味」は要らない。

第三に、醤油はスープの種類を表現しているのであり、麺の前に付けるのは誤りである。この表現であれば、麺に醤油が練り込んであるとの誤解を生じる。

以上の明快、且つ、簡潔なる理由により、メニューには「醤油」とだけ記載すべきである。

冗談はさておき、ラーメンができるまで店内の観察です。

この昼時に、店内には我々だけの寂しさ、この原因の一旦は、ラーメン屋らしくない外観にあると思うのです。

ラーメンを選択する時は、「ラーメンでも喰ってかァ!」と、気楽でいい加減な状況において決定されるものです。

しかし、この店の外観は「気楽」とか「いい加減」を拒絶しています。構えてしまうのです。高そうに見えるのです。

都心であれば「オシャレなラーメン屋」もありですが、ここは栃木県、周りは田圃です。

店の経営者と店舗設計者との間に、コンセプトのすれ違いがあった様に見受けられます。

もしかして、別の仕様で建てられた店舗を、訳ありで「居抜き」で、安く買い取ったのでしょうか?

そんなことなを考えながら、店内を探っていると・・・・・・、発見しました! ラーメン屋への変化が起き始めています。

店の隅の一画の、食器等を下げるカウンターの付近が、「ラーメン屋化」し始めているのです。

ダンボールや、何やら入った大きなポリ袋が、雑然と置かれはじめているのです。これが「ラーメン屋の感覚」なのです。

店内が「ラーメン屋の感覚」で覆い尽くされるのは、それほど時間は必要としないようです。しかし、外観の「ラーメン屋化」の問題が残ります。


そんな事を考えていると、「彩遊旨味醤油麺」が運ばれてきました。


見た目、なかなか旨そうです。難を云えば、彩りとして「ほうれん草」か「海苔」をのせると、全体が「しまり」、より美味しく見えます。

運んで来た女性従業員も、偶々店内に顔を出した調理人も、「まっ赤なベースボールキャップ」を被っています。ラーメン屋のスタイルです。


味の方なんですが、麺、スープ、煮タマゴ、チャーシュー、それなりに美味しかったです。580円はOKです。

母も「美味しかった」と完食しました。


食後の用足しです。“新しい”ので綺麗でした。これを維持できるのか問題です。ここだけは「ラーメン屋化」しないでほしい一画です。


食べ終わり、塩原に向かって出発です。


それにしても、このお洒落な外観は気になります。このままでは、流行らないレストランが「片手間!にラーメンも!出している」と、受け取られます。

手っ取り早い「ラーメン屋化」は、幟を増やし、メニューと価格を「手書き」した「安っぽい」看板を幾つか立てるのが・・・・・・。

つまらぬ、お節介でした。

我々は、塩原温泉を目指すのです。


それでは、また明日。


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