歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

土浦脱線事故から下山事件に繋がる?

2009年10月13日 | 下山事件
暫くお休みしていましたが、パソコンは何とか動いています。この間、台風やら、孫の運動会やら、いろいろありまして、それなりに忙しかったのであります。

更新をしないと、それなりに、何となく、気分的にしっくりこないのです。一日一回の更新は、それなりの達成感や満足感をもたらし、生活の“メリとハリ”になっているようです。

それで、先日、土浦市内をいつものように、ブラブラしていたら桜川の畔で、


柵越しに“犠牲者氏名”と刻まれた文字が眼に入ったのです。


この辺りは、これまでも何度も通っている場所です。しかし、このとき、始めて、この石碑に気付いたのです。

川の畔で“犠牲者”と云えば、川が氾濫して? それとも、何か? 石碑の反対側は高さもあり角度的に良く見えず、何による犠牲者なのか判明しません。

何なのか?と思いつつ、土手を歩いていると、町内会の倉庫を開けて入って行く70代と思しき男性を見つけ、もしかして・・・・・?。


自販機で缶コーヒーを買い、川面を眺め飲んでいると、先ほどの町内会の役員風の男性が倉庫から出て来ました。

もしかして、このお爺ちゃんならば、何か、きっと、“犠牲者”の事を知っている筈と思い、コーヒーを飲みつつ待っていたのです。

「すいません、ちょっとお聞きしますが、あそこにある石碑に犠牲者と刻まれていますが、何の犠牲者かご存じですか?」
「あァ、あれですか、あれは、戦時中にあそこで脱線事故があり、川の中に車両が転落して多くの犠牲者が出たのです」
「はぁー、そうでしたか」
「大事故で多くの犠牲者が出たのですが、戦時中と云うことで報道もあまりされず、石碑も戦後になって建てられたのです」
「石碑は新しいようですが?}
「いゃ。あれが建ったのは20年ぐらい前だったと、今は“国鉄”が柵を作って囲ってしまったので、えェ・・・・・・・」
「はぁー、そうでしたか、脱線事故ですか・・・・・・。ありがとうございました」



お爺さんは70代、もしかして、脱線事故での騒ぎを目撃していたかも? 残念ながら聞きそびれてしまいました。

あらためて、川面を見つめ、鉄橋を見つめたのです。これはもう、柵の中に入って、間近に石碑を確認しなければと思い、戻ることにしました。


石碑は“JR”の“独身?寮”の敷地の中にあり、先ずは玄関から入り、受付の窓口で来訪の目的を告げます。


受付の方は、JRを定年退職された“元助役さん風”の方で、机の上の書類に眼を落とし何やらボールペンで書き込んでいます。私の姿に気付くと、腰を少し浮かせて、目の前の小さなガラス戸をスライドさせ、こちらの反応を待っています。

「こんにちは、すいませんが、あちらの石碑を拝見したいのですが、よろしいでしょうか?」
「あっ、ハイ、どうぞ、そちらから廻って下さい」と右手を上げ、庭の方に向けたたのです。
「それでは、失礼します」

とても簡単に入れました。もしかして、目的とか、名前とか、住所とか、電話番号とか、聞かれたり、書類に記入したりとか、そんな手続きがと、考えていたのですが、以外とあっさり通過できました。

こんな時間に、おじさんがカメラを首からぶら下げ、この庭先を歩いて行くのです。とても怪しいのです。


それで、一階は広い食堂になっており窓ガラス越しに、並んだテーブルが見え、“賄い風”の女性がテレビを見ている姿見えたのです。

私は、“怪しい者では無い! ちゃんと、受付で来訪を告げ、許可を受けてここを歩いているのだァ!”と、胸を張り、堂々と、歩を進めたのであります。

女性の様子をチラッと横目で確認すると、一瞬、視線をこちらに向けたのですが、直ぐにテレビ画面に戻したようです。

この先に石碑があります。

あの“下山事件”との繋がりは次回と云う事で・・・・・・・。


それでは、また明日。


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