歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

千登世橋と田中真紀子 その2 それと「冷やし中華」

2006年10月19日 | 東京の風景
続きのはじまり・・・・・

それで、それでですね。あの、花見の日に見た「あの橋」の風景を時おり思い出すのです。
「あの時」の「あのこと」につながって、

――あのとき、父と二人で・・・・・・広い通りの緩い下り坂、陸橋の下を潜り、近くの脇道に入ったところで車から降りたのです。そこは店の倉庫のような造りの二階屋でした。二階は畳敷きの遠くまで見渡せる、大広間のようになっていました。ひとりそこで、父の用事が済むのを待っていた記憶があります。私が、小学校にあがる少し前だったと記憶しています――

父が亡くなって、暫く経った頃、母にそのときことを話したのです。
それは、「お父さんが浮気をしていた頃で、そこは、浮気相手の女性が住んでいた場所ではないか・・・・・・」と聞かされました。30数年前のことです。母も笑って話しをしてくれました。

花見のときに見た「あの橋」が「あの時」の「あの風景」の場所に間違いないと思いはじめたのです。

それでですね。今年の6月になって「あの橋」を見に行ったのです。
路面電車は「音」が懐かしいですね。「チン・チーン」と響く発車の合図、「ゴトーン・ゴトーン」とゆっくりとした走行音、すべてのリズムが柔らかいですね。
電車の音と振動、流れていく風景・・・・。
「あの日、あの時、あの風景」のなかにゆっくりと戻っていきました。
その日は、学習院下で降りました。(下の写真)


停留所の風景も懐かしい。踏切も、踏切を歩く人も、レールも、街路樹も、空も・・・・眼に入るものみんな懐かしい。
この日、「この橋」の名前が「千登世橋」と知りました。
橋の上にはじめて立って、暫く下を通る車の流れをぼんやりと眺めていました。


「遠く」から眺める橋の風景は「過去」につながりましたが、はじめて見た「橋」からの眺めは、「今」の風景でした。

「目白通り・・・・、学習院・・・・」、ぼんやりした頭の中で「そうだ。田中邸だ」と何故か突然そう思ったのです。

「そうだ。角栄の遺産相続で土地を物納したんだ」と思ったのです。
ここで現実に戻り、「旧角栄邸」、現在は「真紀子邸」・・・・いや。正しくは「田中直己?邸」に向かったのです。

以前に、車で前を通り過ぎたことがありました。何か変わった事がないか見たくなったのです。

しかし、しかしです。学習院の前を通り過ぎ、目白駅に来てしまったのです。そうです。反対方向に歩いていたのです。
「スルドイ方向感覚をもつこの私としたことが・・・・うーん。何たることか」と思いましたが、直ぐにたちなおり、以前に「自転車」で通勤していた経路を歩くことにしたのです。

目白駅から東長崎、千川通りで「大盛り」を食べて、板橋の日大病院前を通り、東武東上線の中板橋駅前を通り、駅前商店街の「福しん……チェーン店」という店に入り、今年はじめての「冷やし中華」で、「二度目」の昼食をとりました。

その冷やし中華なのですが、麺が固めで歯触りが良く、そして、何と言っても、胡麻だれスープの味がばつぐんでした。

スープは「旨味・辛み・酸味・甘味」のバランスがグットでした。スープの量もタップリ有りケッコウでした。

玉子焼き、ハム、胡瓜、トマト、具のトッピングが斬新です。

そして、たれ、麺共に良く冷えていました。そして、何と言っても、580円という値段にビックリでした。「この値段」で「この味」、「福しんの冷やし中華」は偉い。 

かなりのほめ方になってしまった。(私は「福しん」の関係者でありません)
この日は暑く「冷やし中華日和」だったので旨さが倍増したのかも・・・・・・。



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