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歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

忙しく、騒がしく、寝不足

2010年03月15日 | その他
先週の末から、忙しく、騒がしく、寝不足です。

12日が従弟のお通夜で、家を3時に出て、9時頃に帰宅。

13日が告別式で、家を7時半に出て、5時頃に帰宅。

14日は、以前より予定していた、早めのお彼岸の墓参りで、家を8時に出て、2時過ぎに帰宅。

3日連続の外出は、たぶん、退職してから初めてだと思います。退職してから、何年経ったのか?忘れてしまいました。

そして、今朝の、夜が明ける前の、4時過ぎの、火事騒ぎです。

2時に起きて、朝刊を読み、疲れていたせいか、一面を読んだところで、ウトウトしていたところ、消防車のサイレンが聞こえてきたのです。

何処か ?近所で火事? 寝ぼけ頭で遠くのサイレンを聞いていたのですが、サイレンは遠ざかる事なく、段々と大きく近づいて来るのです。

もしかして?と思い、北側の小窓から裏を覗くと、我が家の裏を赤いランプを点灯した消防車が、サイレンは鳴らさずに、何故か?ゆっくりと、通りに向かって動いて行ったのです。

我が家の一画は、40軒ほどの住宅があり、袋小路になっているのです。もしかして?消防車が道を間違えて袋小路に入り込んだの? でも、まさか、いくら何でも、消防車が道を間違える筈は、と思いつつ、寝床に入ったのです。

ところが、直ぐに、一旦、消えかけたサイレンの音が家の南側で鳴り出し、こちらに近づいて来るのです。サイレンの数も増え、消防車の台数が増えているようなのです。

心配になり、南側の障子を開け、ガラス戸を開け、雨戸を開け、辺りを見回すと、東南の方向、直線で20㍍先の家の屋根から、白い煙が立ち上り、辺りが赤く照らされているのです。

エッ! これって火事! じゃ、もしかして、さっきの消防車、気付かないで、帰ったの? そんな馬鹿な!

慌てて、パジャマの上に綿入れを羽織り、“現場”に向かったのです。歩いて1分ほどの距離、消防車が一台、赤い回転灯が辺り照らし、傍らには消防士が一人、でも、何か、緊迫感が無いのです。

屋根から上がっている様に見えた煙は、その先の草むらからだったのです。火事!と思った家の奥さんも出て来て、“草が燃えていたようです”と話してくれました。

ナ~ンダァ! モゥ~!、夜明け前のこんな時間に、人騒がせなこったァ! 悪戯? 焚き火の消し忘れ? どちらにしても、かなり不安です。

そして、いま、これを書くために、“現場”を確認しに行ったところ、その場に居た、近所のおじさんの話から、事実関係が判明しました。


草が燃えていたのは、住宅地の一画から少し離れた、一段下がった荒れ地の一画で、畑で野菜を作っている“お爺さん”が、古くなった支えの篠竹を燃やしていたそうです。

辺りに燃え移った訳でもなく、お爺さんは脇に消火用の水を用意して、篠竹を燃やしていたそうです。その光景を、50㍍ほど離れたの荒れ地の反対側の道を、たまたま散歩していた人が、火事と思い消防に通報したそうです。

しかし、夜も明けぬ、早朝の4時頃に、畑仕事で篠竹を燃やすお年寄り、そして、夜も明けぬ、早朝の4時頃に、荒れ地の脇を散歩する、たぶんお年寄り?

歳をとると朝が早いのです。私も、毎朝、2時に来る朝刊配りのバイク音を寝床で待ち、投函されたら直ぐに取りに行き、2時間ほど寝床の中で読み、6時過ぎまでもう一度寝るのです。

でも、しかし、今朝は、火事騒ぎから寝ていないのです。眠い!でも、なかなか、寝られない。

それにしても、一階で寝ている母は、まったく、この火事騒ぎに気付かず寝ていたのでした。これは、これで、また、チョット心配。


そんな、こんなで、“母べえ”の話は次回。


それでは、また明日。







  
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皮膚癌?それとも単なる老人性イボ?

2010年03月12日 | その他
気にはなっていたのです。

“イボ”の存在に気付いたのは、たぶん2~3年まえぐらいだったと思うのです。最初はあまり気にならなかったのです。

場所が左胸の、乳首の、斜め左下あたりでしたから、鏡に写すとか、胸の“筋肉”を引っ張りあげるとか、意識して見ないと気付かない場所でしたから。

円形で大きさは、直径が5~6㎜で、高さ2~3㎜で、色は焦げ茶色です。それが、ここ数ヶ月と云うか、1~2ヶ月と云うか、段々と高さが高くなり、4~5㎜程度になってきて、それなりに気にはしていたのです。

ネットでいろいろ調べて見ると、これは“老人性イボ”に間違いない! とは、思ったのですが、でも、どのサイトも最後に、悪性腫瘍の可能性も“0”では無い!との記述があり、それなりに、その可能性を心配していたのです。

そんな、もしや?の日々をおくりつつ、今週の水曜日の朝、寝起きのボンヤリとした意識のなか、イボの存在も忘れ、痒くなり、何気なくパジャマの上から引っ掻いてしまったのです。

朝起きると、ふつうの人は、あくびをしながら、何気なく身体を掻く物ものです。掻き終わり、暫くして、そろそろ着替えでもと思って、パジャマを脱ごうとしたら、胸の辺りが、“ヒリヒリ”するのです。

もしかして? イボを掻きむしったか? 手鏡で様子を見ると、イボが三分の一ほど“剥がれ”て血が滲んでいたのです。パジャマには直径1㎝ほどの“血痕”が付着していました。

この際、一気に引きちぎってしまうか? それともハサミで切り落とすか? それとも、このまま状態で暫く様子を見て、自然に脱落するのを待つか?

いろいろ考えたのですが、悪性腫瘍の可能性も捨てきれず、自分で取り去る勇気もなく、ここはやはり専門家に任す事にしました。近くの皮膚科を探すと、水曜日はどこも休診なのでした。

キズ傷口にオロナイン軟膏を塗り、カット絆を貼り付け、もしかして、悪性腫瘍かも? 良性の“老人性イボ”であっても、切り取られりしたら、それなりに痛いのでは? 等と、考えつつ一日を送ったのです。

まぁ、そんなこともあり、水曜日はプログの更新ができなかったのでした。

そして、木曜日、午後にしようか? 午前中にしようか? 迷ったのですが、早いところ、けりをつけようと、10時の開院に合わせて家を出たのです。

皮膚科に着いて、初めてですか?と聞かれ、ハイと答えて、差し出された用紙に住所、氏名、年齢、性別、電話番号を記入し、保険証をと一緒に提出。

15分ほど待って名前が呼ばれ、今度は中待合い室に移動、ここでも15分ほど待機。どんな処置方法なのか? 悪性だったら? かなり痛いのか? いろいろ想いを巡らし待っていたのです。

名前が呼ばれ、診察室に入り、シャツを捲り上げ患部を見せつつ「悪性かなァ~、何てことも、思ったりしたのですが?」「これは老人性イボです、悪性ではありません。日本人には皮膚癌は滅多にありません」との、医者の診断結果。そうだろう、そうだろう、と、先ずは安心。

どうやって取るのかと思っていたら、やっぱり“液体窒素”でした。看護師が業務用生ビールのボンベ位の容器から、プラスチックのコップ程度の容器に液体窒素を入れます。

ベットに寝かされ処置を待っていると、その時、医師が看護士に“蓋を絞めたら爆発するからね”と、初歩的な注意をするのです。オィ、オィ! 大丈夫かァ?

看護士の制服はピンク色、ツケマツゲにアイシャドーも濃く、コスプレの風俗店に思えて来たりしたのですが、液体窒素を塗られた痛みで現実に戻りました。

液体窒素で患部を麻痺させて除去するのかと思っていたら、ただ“焼く”だけで、後は自然に脱落するのを待つとのこと、だいたい10日くらいで取れてしまうとのことでした。

処置後30分ほどは、“ヒリヒリ”と云うよりも、“ビリビリ”、“チクチク”と云うよりも、“ヂクヂク”と痛かったです。“ビリビリ・ヂクヂク”も一時間ほどで消えました。

診察、処置、軟膏、ガーゼ、しめて、料金は1680円でした。


皮膚癌でなくてヨカッタ! ヨカッタ!


軟膏とガーゼ、軟膏の蓋に「かいた所?」ナニ?



よく見たら「やいた所」と判明。


裏には、「ボ チ」と謎の文字。


“病名は知っているから特に要りません”と云ったのに、“折角だから”と云われ、ピンクの看護士から手渡された病名の書かれたメモ用紙。“老人性”が気に入らん。でも、可愛い文字。特に「名」の字が、「タロ」に見えるところがイイです。



来週は、“母べえ”をもう少しやります。


それでは、また来週。


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何で! どうして逝っちゃったの!

2010年03月09日 | その他
昨日、ブログを書き終わり数分して電話が鳴ったのです。

受話器をとると、周囲のざわつきが聞こえ、少し間をおいて、高齢者と思われる男性の声で従弟の苗字を名のったあと、「○○家の、○○さんが、今朝方、亡くなりました」

「えっ!」頭のなかは、何でェ! どうして? まさかァ? ホントに? もしかして? 悪戯電話と思い「あなた、どなたですが?」聞いてしまいました。

○○家の親戚を名のったのですが、聞き覚えのない名前でした。何処か、まだ、信じられないのでした。
「それで、何で亡くなったのですか?」
「え~、・・・・・・、今朝、亡くなった事だけ・・・、取り敢えずのところ、お知らせ致します」
「わかりました」と云って受話器を置きました。

信じられませんでした。突然の知らせですから、従弟は私より5歳年下です、彼の顔を思い浮かべながら、何度も、何度も、何で? どうしたの? を繰り返したのです。

病気や事故であれば、ハッキリと死因を告げた筈だと、そうすると・・・・・、もしかして? と思ったのです。

直ぐに、出掛けることにしました。従弟の家は車で40分ほどの距離です。車中で、むかしのこと、いろいろ思い出しました。

母が長女でしたので、いとこのなかでは、私と姉が一番年上で、姉を含めて女が7人で、男は私と彼の2人だけで、年も近く、一番親しい従弟でした。

小学生のころの夏休み、よく泊まりに行き、セミを捕ったり、魚を釣ったり、スイカを食べたり、トウモロコシを食べたり、真桑瓜を食べたり、まさに、絵に描いたような夏休みをしていたのです。

彼には妹がいました。二人兄妹で、とても仲がよいのです。数年前の事だったと思います。何故、あの時、彼の家に集まったのかは、忘れましたが、妹も旦那を連れて来ていたのです。

その時、庭で、何と云う道具か判らないのですが、チョット見はハンモックの様な、縄で編んだ網状の中にサトイモを入れ、片方の端を妹が持ち、もう片方を彼が持って、縄跳びの要領でまわし、サトイモの泥とか皮を落としていたのです。

その時、二人は、子供のような表情をして、声を出して笑いながら、楽しそうに、網を回していました。何か、とても、眩しく、羨ましく、眺めていたのを想い出します。本当に仲の良い兄妹でした。

家に着き、静かに横たわる従弟に線香を手向け合掌。枕元に坐る奥さんには、頭を下げるだけで、何も云えませんでした。未だ、55歳です。自分より年下の死は、寂しく、辛いものです。

親戚の話では、月曜の早朝に徹夜明けで帰宅し、家には入らず少し離れた納屋で、自ら命を終わらせたとの事でした。

数年前にあった時、人手が減らされ、仕事量が増え、朝早くから、夜遅くまで、休日にも出社し、いろいろと大変だとは聞いてはいたのですが、まさか、こんな事に・・・・・・、もう、背負い切れなかったのでしょう。

世間で問題となっている事が、身近で起こってしまったのです。

従弟は、ホントに“イイヤツ”でした。 優しくて、明るくて、真面目で、責任感があり、言葉どおり“いい人”でした。そんな人間だから、一人で、黙って、すべてを背負ってしまったのです。

今年の1月24日に会ったのが最後でした。今思うと、表情が暗かったです。笑顔がありませんでした。何を話しても、表情に変化がなかったのです。あの時、何か・・・・・・・。

今頃、そんな事を云っても・・・・・・、遅いのですが、残念でした。本当に残念です。

昨晩は、その時撮った写真を見ながら、いろいろ話しかけ、ひとり酒を飲みました。

ホント、俺みたいに、いい加減に、適当に、ダラダラ生きていれば・・・・・・・。そう思うのですが、それが、できなかったんだよなァ、アイツは・・・・・・。


安らかに成仏して下さい・・・・・・・、合掌。


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映画“TOMORROW 明日”観た後“花フェスタ”に・・・・・・

2010年02月01日 | その他
昨日の日曜日は、昼近くまで録画しておいたビデオを観て、天気が良く暖かかったので、散歩でもして、ランチとでもと考え、つくば市街へ行って来ました。

それで、録画しておいたビデオですが、黒木和雄監督の映画“TOMORROW 明日”です。まぁ、天気の良い、日曜日の午前、二人で観る映画では有りませんでした。

制作は1988年ですから、黒木監督は58歳です。井上光晴の小説「明日・1945年8月8日」の映画化だそうです。

黒木監督は敗戦時15歳です、この世代の戦争への思い、反戦とか、非戦とか、やはり、どっか、私とは、異なるような・・・・・・。まぁ、私も彼の映画をもっと、じっくり、いろいろと観ないで云うのも何ですから・・・・・・。

戦争を描いた作品で私が観たのは、2006年の「紙屋悦子の青春」があります。この時、監督黒木和雄は76歳で公開前に亡くなりました。

それで、“TOMORROW 明日”ですが、どうも、何とも、散漫で・・・・・・、ラストシーンは原爆が長崎上空で炸裂したところで終わるのです。まぁ「紙屋悦子の青春」も、何か、同じだったような。

それなりに、黙々と、精一杯、普通に暮らす、普通の庶民が、大きな時代の流れの中で、自分の意志とは関わりなく、生命さえも一瞬に消されてしまうのが、国家間の殺し合いである戦争です。

普通の人が、普通に暮らしていると、そんな事が、普通に起きるのです。これまでも、そして、これからのも、こんな事が、繰り返される・・・・・・、でも、しかし、だから、普通に暮らしているだけでは、ねェ、う~ん・・・・・・、いろいろと難しいのです。

チョット、今回は観る、時間、環境が、相応しくなかった所為もあり、なんとも、ハッキリ、スッキリしないので、そうだ! ここは、ひとつ、気分を変えて、“茨城花フェスタ2010”に行こう!となったのでした。

“花フェスタの情報”は、その日の朝刊で知ったのです。11時ちょっと過ぎ、ふたりで市街に向かいました。

いつもの電機屋さの駐車場に車を入れて、西武やQt’の辺りに向かったのです。私の頭の中では、その辺で“催されている”筈でした。でも、しかし、そこでは“催されて”いませんでした。

あれっ! 違うの? それじゃ“カピオか?”と思い、そちらに向かったのです。途中で、“ノバホール”にさしかかると、“タテ看”に“○○音楽教室発表会”の文字が、これは、一応、覗いて見なければと思ったのです。

孫の発表会を思い出しながら、“こんな広いホールで、やるのも良いねェ”と思いつつ、


“あの子は、孫より上手だけど、だいぶ年上だし、小学校の2~3年生くらいかも”とか、“広すぎて、観客が疎らで寂しい”とか、話しつつ、


5人ほどの演奏を聴いて外に出ました。

カピオに到着すると、前の広場には“花”ならぬ、“団子”の店が仮設テントで、ハムとか、焼き鳥とか、饅頭とか、焼きそばとか、唐揚げとか、けんちん汁とか、けんちんそばとか、うどんとか、いろいろと、いい匂いを辺りに漂わせ、それなりの人集りでした。

一通り、匂いを嗅いで、カピオの中に入ると、“花フェスタ”やっていました。花の香りは漂ってはきません。入り口に向かうと、何と「600円」の文字。

エッ! 無料じゃないの! それじゃー、ねぇー、もう、と回れ右です。後で確かめたら、記事には有料の情報は載っていませんでした。新聞社も一枚噛んだ共同開催でした。そうか、そうか、そう言うことだったのです。

会場の周りで“いい匂い”を嗅ぎ、お腹も空いて来たし、でも、この仮設テントの人集りの中では、ちょっとと思い、別の場所に向かったのです。

そして、今日のランチは、純和食で、“刺身三種盛り定食 1300円”に決定。


夜は居酒屋になる、カウンター席に、テーブルが二つの小さなお店です。先客は20代の男性一人。


刺身は、まぁ、まぁのお味で、みそ汁が濃すぎで、ご飯がチョットでした。まぁ、刺身で1300円ですから、まぁ、それなりに満足でした。


映画“TOMORROW 明日”と云い、“花フェスタ”と云い、“刺身三種盛り定食”と云い、何となく、“いまいち”の日曜日でした。

まぁ、こんな事も、人生、あるのです。


それでは、また明日。


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運転免許証は公安委員会が?警察が?安全協会が?

2010年01月26日 | その他
今日、やっと、運転免許証の更新手続きをしてきました。

更新手続きは、いつも近所の警察署でやっております。これまでは、年末に手続きをしていたのですが、今回から、誕生日の前後1ヶ月の間は手続きが可能となった為、初めて、誕生日を過ぎてからの更新です。

警察署に入ると、人は疎らで、ざっと数えて20人ほどの待ち人、先ずは、一番窓口で受け付けです。中年の女性から「安全協会には入会しますか?」と聞かれ、「いいえ、入りません!」と、キッパリと告げます。これで、2000円の節約。

受付の女性から「それでは、更新手数料と講習料とで3250円頂きます」と告げられ、3千円を渡し、750円のお釣りと、紙袋に入った講習会のテキストを貰います。


名前が呼ばれるまで、お待ち下さいと云われ、周囲に貼ってあるポスターや展示品を暇つぶしに見ていると、2番窓口で名前が呼ばれ、視力検査、身体状況の自己申告書を記入し、それと、四桁の暗証番号を記入し提出。

2番窓口は20代の女性、1番窓口よりも、言葉使いも丁寧、表情もにこやかでとてもよろしいです。

視力検査、自己申告書を提出すると、笑顔で「次は写真撮影になります。呼ばれるまで、あちらでお待ち下さい」と、写真撮影室の方向を手で指します。

撮影室前のイスに腰掛け待っていると、2~3分して名前が呼ばれました。さっきの2番窓口の女性が今度はカメラマンです。「はィ、中央のレンズを見ていて下さい。ハィ、撮ります! はィ、撮れました。これは、先ほどの暗証番号です、大事に保管して下さい」と云って、免許証サイズの紙切れを渡されたのです。

紙切れには、「暗証番号1」と「暗証番号2」と2段に、かなり大きめな4桁の数字と、本籍と、発行日と、発行番号が書かれていました。

「名前が呼ばれるまで、お待ち下さい」と云われ、講習テキストをぶら下げ、ブラブラ彷徨いていると、「優良講習」の時間割が眼に入り、見ると、次は10時15分とあり、今は10時5分なので、10分待ちです。

受付カウンター前の、イスと云うか、ベンチと云うか、先ほどより、20人ほどが講習待ちなのです。コレまでは、年末に更新していたので、いつも5~60人が講習待ちをしていたのですが、今回はとても閑散。

それにしても、免許証の更新に来ると、いつも思うのですが、どこまでが安全協会で、どこまでが警察なの? と思うのです。一番窓口には「安全協会」と書かれているのです。

免許証の更新は“公安委員会”が発行?で、事務を警察に委託? 警察は安全協会に委託なの? 何か、このへんの関係がいまいち判りづらいのです。

昔は私も安全協会に加入していたのです。昔は更新手続きの際の、申請書類が面倒だったり、写真が必要だたりして、そのへんの事務を安全協会が代行してくれていたのです。

でも、いまでは、特に、申請書類も写真も要らないので、事務代行の安全協会も要らないのです。でも、田舎の人達は、お付き合いと云うか、世間的にチョットと思うのか、かなり加入しているようです。

私の前の50代のオバサンは加入していましたし、私の後の20代のオニイさんも加入していました。短時間の調査?でしたが、3人に2人は加入しているようです?

それで、10時15分が近づき、1番窓口とは別の中年女性がカウンターから出てきて、「それでは、優良講習を行います。名前の呼ばれた方は、2階の講習室へ云って下さい」と告げ、私は2番目に名前が呼ばれ、直ぐに講習室に向かい、最前列に着席して開始を待ったのです。

最初に呼ばれた若い女性と、私の後から呼ばれた若くない女性が、50席ほどの講習室で、互いに距離を置いて着席。2~3分ほど待っていると、講習係りの30代半ばの女性が開始を宣言。優良講習はたった3人だったのです。

30分ほどのビデオを眺め、数分のお話を聞いて講習は終了。一階に戻ると、来たときに居た20人ほどの講習待ちが、未だ座って待っているのです。彼らは、“非優良運転者”なのでしょう。

“非優良”は、長~く待たされ、優良よりも長~い講習を、恐い“おじさん講師”から受けるのでしょう。

次は、5年後です。



それでは、また明日。







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ついに?とうとう?やっと?還暦です!まあそれなりに“大したもんだァ”

2010年01月05日 | その他

本日、わたくしは、何と、還暦を迎えたのです。

還暦デスヨ! まさか自分が60歳になったとは、とても、とても、信じられな~い!のです。

厳しい世の中を、端っこの方で、なんとか60年、う~ん、生きてきたのです。これは、やはり、それなりに“大したもんだァ”と、思ってもみたりしているのです。

厚生労働省発表の「平成20年簡易生命表」によれば、わたくしの“平均余命”は“22.58年”だそうです。

わたくしは、極めて普通の“平均的”な人間ですから、たぶんこの程度は生きていると思うのです。

平成12年の“年齢別生存率”をみると、男性(78歳)、女性(85歳)ともに平均寿命時点で6割が生存しているそうです。

78歳まで生き残った人の、平均余命は“9.59年”だそうで、そうすると、かなりの確率で、87歳まで生き残るかも? 

母は今年の5月で88歳になり、かなり元気に生きてます。

孫からは本日の午後、こんなにカワイイ、誕生祝いのお手紙も届きました。

「・・・またあそびにいきますね」に、成長のあとを感じます。以前ですと「あそびにいくね」と表現されていたのです。「いきますね」ですよ!う~ん、かなり成長しました。

それから、ついに、わたくしも、年金生活に入るのです。本日、銀行に行き、年金請求の、代行を以来する、手続きを済ましてきました。

銀行が手続きの代行をしてくれるのですが、今になって提出書類を、よく見て、よく考えてみると、大した手続きではないと思いました。

銀行が、社会保険事務所よりも遠方にある方は、銀行に任せた方が楽かも知れませんが、銀行より社会保険事務所が近い方は自分で手続きした方がよさそうです。まぁ、その程度の問題です。

1月生まれのわたくしは、2月から年金が支給され、実際の振り込みは3月からだそうです。

それと、厚生年金だけの代行で、年金基金の方は代行してはくれないのです。まぁ、こちらは、厚生年金よりも手続きは簡単です。

還暦で、年金受給で、これで、ホントに“老人”の仲間入りですか?

老人とか、高齢者とか・・・・・・・、そのうち後期高齢者? 

ホントに、ホントに、信じられん! 

先ほど、鏡で、じっくり、我が顔を眺めたのですが、白髪頭と云い、シミと云い、シワと云い、喉や、瞼や、頬の、弛み具合と云い、残念ながら、それなりに、60歳程度の“くたびれ感”が漂っていました。

まぁ、現実は、それは、それで、それなりに、受け入れて、何とか、これからも、それなりに、生きていこうと思うのです。

兎に角! 暦も一巡して、これから新しい門出なのです!

あしたから、以前にも増して、自転車で走りまわりま~~す!

          以上

それでは、また明日。

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新年のごあいさつ

2010年01月01日 | その他
新年明けまして

おめでとう御座います

本年もよろしくお願いいたします

   
      



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年末のご挨拶

2009年12月23日 | その他
2009年も残り僅か、21世紀が始まって10年が経過し残りは90年ばかりとなりました。

20世紀から21世紀になっても、昭和から平成に変わっても、人の世は、それほど変わるものではないようで・・・・・・。

自民党政権から民主党政権にかわっても、それほど、直ぐには変化が、無いような、有るような、微妙なところです。

変わるべき時には、急激に大きく変化しなければ達成できない事柄があったり、ゆっくり少しずつ変化させたほうが達成できる事柄があったり、いろいろあるようで、なかなかその選択が難しいような・・・・・・・。

それで、いつも思うのが、年末の大掃除です、新しい年を迎えるからと云って、なにもこの寒い季節に、大騒ぎして面倒なことを、大急ぎでやらなくても・・・・・・と、いつも思うのです。

気候の良い、春になったら、ゆっくりと、すこしずつ、やれば良いのでは、と、思いつつも、周囲の眼に押され、急かされながら、それなりにはやってはいるのです。

しかし、掃除とか洗濯と云うのは“復元作業”であり、詰まらないのです。元の状態に戻した処で、何が嬉しいの? 何が楽しいの?と、思ったりして・・・・・・。

でも、まぁ、キタナイより、キレイなほうが、それは確かに気持ちが良いのですが、でも、やっぱり、掃除は面倒で億劫になるものです。

でも、やっぱり、レンジフードのフィルターの油汚れと、網戸とガラスと、照明器具と、風呂場の天井と、それから、え~と・・・・・・・、まぁ、そんなところが私の分担なのです。

そう云う事で、いろいろと忙しくなり、ブログも今年は、ここらで、年内はお終いと云う事にします。

新年は、3日あたりから再開しょうかなァ・・・・・・と、思っております。

それでは、また年明けに、お会いしましょう。

皆さん、良いお年をお迎え下さい。  (^_^)/

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孫のピアノ発表会で~~す!!

2009年11月30日 | その他
ピアノ発表会に行って来ました!

プレゼントの花束を持って会場に向かいます。


居ます! 可愛イイ! もう! ホントに! フランス人形で~す!
でも、しかし、表情が硬いのです、言葉が少ないのです、可哀想に緊張しています。もう、何て声を掛けていいやら・・・・・・、こちらも緊張してしまいました。


開場時間を待ち、開演時間を待ちます。二部構成で、孫は休憩後の2番目です。

いよいよです。演奏前のお辞儀もキチンとできました。転ばないでピアノのところに行けました、イスにもしっかり座りました。


演奏曲は“ドレミのうた”と“フランス人形”の2曲です。そうなんです、それで、この衣装なのです。

リズミカルで、堂々として、力強い演奏でした。一年で、6歳で、この演奏は、相当にすごいと思います。う~ん、これは、天才かも!? 

小学校の高学年で、7~8年習った子の技術的に素晴らしい演奏を聴きましたが、孫は、その頃になれば、きっと、彼ら、彼女らを追い越すのは、う~ん、間違いありません!?

演奏を終え、リラックスしてステージの演奏を聴いています。


発表会が終わり、大好きな先生と記念撮影。ぱっちゃりした先生でした。先生は幼稚園のお友達のママなのです。


帰りに、お食事です。大好きなパスタ! ジュースを飲み、サラダを食べ、パンを食べ、パパとママのパスタも少し分けてもらい食べ、自分のボンゴレも半分食べました。


この日は食欲旺盛で、たくさん食べてくれました。よかった、よかった。

来週は、幼稚園で発表会です。孫も忙しいのです。

じぃじ、も、ばぁばぁ、も、忙しいのです。

でも、とっても、とっても、楽しみなので~す。


本日は、かなりの“じじバカ”で、失礼しました。


それでは、明日は、通常営業で、地味な神社ネタをお送りします。


それでは、また明日。





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“頭位性めまい”が治ったような?

2009年11月13日 | その他
2008年1月9日に“頭位性めまい”の記事を書きました。あの時は1月8日に目眩を発症しました。

その後の経過としては、1ヶ月後の2月23日、その20日後の3月15日、その24日後の4月8日と、発症間隔が短くなってきたのです。

そして、4月8日を最後に、現在まで1年と7ヶ月間、発症していないのです。この症状が現れるようになって7~8年が経ちますが、今回のように長期に渡って発症しないのは初めてです。

それまで数年間、何故なんだろう? どうして何だろう? 思い悩み、数年前には「MRI検査」もやり、結果は“異常なし”で、目眩は続いたのでした。もしかして、男の“更年期障害”何て、考えたりもしていました。

それが、今日まで1年と7ヶ月起きていないので、もしかして? これは? 治った!?と、思う今日この頃なのです。

実は、最後の発症以降に“ある対策”をしていたのです。

それは、最後の発症後から一週間ほどした、ある日の午後、たまたま、ラジオを聞いたら、パソコン作業を連続して行うと“首の筋肉が硬直”して、いろいろな症状が起き、その中で“目眩”につていも触れていたのです。

目眩がパソコンに起因している! そうか! そうかも知れない! いゃ、これは、絶対にパソコンが原因だと思いました。たぶん。

よくよく考えると、目眩を初めて感じた時期と、仕事でパソコンを使い始めた時期が、ピタリと一致するのです。

そうだったのです! やっと目眩の謎が解けたのです。たぶん。

それで、1年7ヶ月前から続けている対策ですが、まぁ、そんな大げさな事ではなく、パソコン作業の合間に、肩や首を回したり、首の付けのマッサージをすることなのです。

ラジオでは、15分に一度ぐらいを進めていましたが、私の場合は、作業の切りのいい時とか、トイレに立った時とか、文章が思いつかない時とか、気が付いたらやるとか、そんな程度です。

それと、肩こりかな?とか、首の付け根が重だるい時とかは、湿布薬を塗ったり、貼ったりしているのです。

思い起こすと、これまで、目眩を発症した時は、確かに、首筋、肩に違和感があったのでした。

いまも、書いている途中で、時々、肩を前後に回したり、首筋をマッサージしたりしているのです。

何か、治った!と第三者に表明したりすると、また、何か?発症するような気がしたりして・・・・・・、ちょっと不安ですが、まぁ、大丈夫でしょう。たぶん。

もしかして、更年期障害の症状で、還暦を2ヶ月前にして、そろそろ、その時期を抜けたので、症状が治まったのか? とも、ちょっぴり、思ったりしています。

まぁ、どちらにしてもた、目眩の起きない事を願っているのです。ホント、目眩は気持ち悪いですからね。寒くなると、筋肉は硬直し易いので注意しないと・・・・・・。


これ以上、書き続けると、肩や首に良くないので、ここらで終わりにします。


それでは、また来週。




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