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市の星月夜日記
織江市の短歌、エッセイ
ゆめの音(ね)は眠りに耐ふる笛のごとくちびる涸れてのちも澄むらむ
2008-10-21 19:49:28
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Weblog
笹百合さんとの対話から。
認知症……あかごのゆめからはじまり、老年のゆめへ向かう。
でも、心の奥底にひびく澄んだ笛の音色は、きっとおなじなんだろう。
赤ちゃんも……そして認知症の方も。
夜明けと宵闇。
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4 コメント
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かはたれ
(
笹百合
)
2008-10-22 23:22:57
お忙しい中、返信をありがとう存じました。
とても解りやすいお話でした。
先にわたしが差し上げた端的で言葉の足りない文章がお恥ずかしい限りです。
森羅万象のはたらきと呼応している人間のカオスは計り知れないものなのでしょう。
そしてどんな現象も自分に関わりのないことはないと思います。
認知症や精神的病、強い思い込み、偏見や差別も同様に。
以前わたしは若年性認知症が心配で脳の精密検査を受けました。
自分では気付かず、人様に多大な迷惑や認識違いで迷惑をかけて生きているかもしれないと気がかりだったからです。
正気と狂気は一枚岩、表裏一体のことではないかと感じたことは多々あります。
結界は踊り超えてしまった刹那に気付くものなのかもしれません。
ファンタジーの世界はあまりよく存じませんが、とても分かりやすく自然の摂理など諭しているのでしょうね。
とりとめのない尻切れトンボで申し訳ありません。
返信する
続き
(
雪香
)
2008-10-22 17:55:03
今日、一冊の文庫本を読み終えました。
『精霊の守り人』上橋菜穂子さんの代表作。
ケアのあいまに、ちょこちょこ読みすすめて、とてもおもしろかったのです。
児童文学という狭い限定ではなく、世代を問わずたのしめる本でした。
わたしはファンタジーが好きで、トールキンや、ル・グウィンなどなど、少女時代かなり読み、ことに指輪シリーズは、ホビットの冒険からはじまって、世界の創生神話『シルマリルリオン』にいたるまでまで残らず味読しました。
それはそれはおもしろかったのです。
上橋さんの作品も、文化人類学に裏づけされた世界観が確立していて、登場人物たちは、いきいきと描き分けられ、活躍しています。
このシリーズを、ケアのひまひまに読むのは、気分転換になって、わたしにはいいのです。
笹百合さんの「ボーダーレス」それから「正しさ」という二点について、どうお答えしたらいいかと考えました。
「精霊の守り人」では、人間世界と、精霊の世界とが両立していて、両者のあわいにはボーダーライン、壁があり、ふつう人間には精霊界「ナユグ」は見えないし、感じ取れません。
でも、一定の循環で、精霊世界と人間世界は交流しつつ、互いを支えあっているのです。
ナユグに住む水の精霊のたまごは、なぜかわからないけれど、人間の誰かに産み付けられ、孵化するまで、人間世界で育てなければならない。たまごがかえって、精霊世界の海にもどり、その水の精の吐く息のおかげで、人間世界にも雨がふり、作物が実る。
ふだんは精霊と人間は触れ合うことができないのに、宇宙全体を動かしてゆくためには、両者の交流が、不可欠なのです。
何かの事故、あるいはたまごを産み付けられた精霊の守り人が、精霊世界の闇の力に食い殺され、たまごを破壊されてしまうと、人間世界も大干ばつになってしまう。
たまごをうみつけられた11歳の少年チャグムは、たいへんな苦労をしょいこむのですが、その苦難をきっかけに、彼は強くなり、成長し、大人へとイニシエートされてゆく。
上橋さんの文化人類学の知識が、要領よくわかりやすくおりこまれていて、わたしは笹百合さんのレスにおこたえするのに、ちょうどいいなあと思いました。
世界は、ほんらい一元的なものではないのではないでしょうか?
ファンタジーは架空のもの、でも内的真実を触発しながら、読者の内面で動き始めるとき、理非善悪でなく「納得」させるちからを持ちます。
狂気、また認知とは、言わば、わたしたちが「かくあるべきもの」「人間の理性や知性に基づいた日常とは、この程度」という思い込みを超えて、混沌と困惑をひきおこします。
わたしは実際にケアにたずさわっているので、できるだけプラクティカルに考えようと思っています。
人間的な正しさ、というものさしでは、はかれない多元性のものが、命のなかにそもそも、ひそんでいるのではないでしょうか?
認知も狂気も、すべての人に内在し、おこりうるものではありませんか?
誰でも年をとり、何かの苦難に悩みいたみ、その結果心を病んでしまうこと、そんなアクシデントから一生免れているなどというひとはないでしょう。
自分もまた逃れられないものかもしれない、という自覚をもったなら、いろんな精神病や、認知症に対する感情もずいぶんかわるでしょう。
知性や理性のたがを失った彼らは、いわば人間の秩序からはずれた異界のちからを、こちらがわに突きつけるわけです。
それをひきうける家族や周囲の苦痛はたいへんなもので、正不正ではさばけない。
生きることの残酷な側面として受容し、克服し、できれば理解しながら、それを機縁として人生をみつめなおすことも、はじまるのではと思います。
少年チャグムの冒険はファンタスティックなおとぎばなしですが、困難とその克服のものがたりは、実人生のいたるところにあるのではないかなあ、と思いながら、今日のケアから帰ってきました。
ながく、ごちゃごちゃ書きましたが、幻想は固形ではなくって流体なのだろうなあと。
起こりうる事は、たぶん起こるのでしょうし。なにが生じてもおかしくない。
ナチュラルって、そんなことではないか、と。
これが普通だ!とかたくなに決め付けてしまうと、いったんそれが崩壊したときのリアクションもひどいものです。
まとまりませんが。
とりあえずこれで。
返信する
幻想系家庭
(
雪香
)
2008-10-22 08:37:27
>ありえないような現代社会の事件や精神的病いは幻想系家庭から生じている場合が多い。
>「わたしは普通、うちは普通」と思い込んでいる人々と認知症をはじめとする精神的病の人々とのボーダーは正しいのか?
……すごい論点ですね。
これは、いま出勤前にかるがるしいレスができません。
あとで、ゆっくりお返しさせてください。
お殿様道長については、いろいろおもしろいです。
やんちゃなひとだなあ、と思います。
わたし、彼のこと好きなんですよね。あんまり偉人ってかんじがしない。
大鏡からと、そして紫式部も日記にちょっと書いていますが、彼は「よきパパさん」でもあり、しあわせなことには、二人の奥方がどちらも美人で性格のよい女性だったようですね。
彼もそれを多として、どちらの夫人にも気をくばって、公平に対応してます。おかしいぐらいに。
かなり強引でワガママなひとですが、政治的にも適度なバランス感覚があって、やはり器のおおきなひとだったのね~と思います。
書にも、なんとなくそれが現れている気がします。
笹百合さんの研究テーマおもしろいうですね。
そのうち、こうしたテーマや話題のブログでもひらいてくださったらいろいろ読めるのになあ、なんて思ってしまいます。
でも、いまは論文に集中ですね
返信する
幻想系
(
笹百合
)
2008-10-21 21:55:13
映画の主人公(監督ご本人)の奥様が認知症なのかどうかはわたしにはよく分かりませんでした。
自宅のシーンにはほとんどヘルパーさんが登場していました。
概ね彼女の行為は「食べる」「寝る」「ピアノを弾く(いつも同じ曲」」「切り絵作り」、この繰り返し。
こちらはわたくし事ですが、親しい友が昨年子供を生み、もうすぐ一歳になります。この1年間の成長過程を傍でしばしば感じておりました。こちらも「寝る」「飲む・食べる」「おしっこ・うんち」から始まり、先週末会ったら歩いて、何やら言葉らしきことを伝えようとしていました。
幼児と老人。そのあわいに揺れながら生きるわたし達。
映画の世界を夢見る青年が映画中に登場します。彼は精神障害の病気で郷里に帰り精神病院に入り、自宅で妄想自殺してしまう。
度々話が飛びますが、わたしの論文研究の主軸の一つは「近現代の家庭の変容」です。これは社会全ての現象の根底に流れている真相に共通すると考えています。
ありえないような現代社会の事件や精神的病いは幻想系家庭から生じている場合が多い。
「わたしは普通、うちは普通」と思い込んでいる人々と認知症をはじめとする精神的病の人々とのボーダーは正しいのか?
昨晩帰宅し、『智恵子紙絵』を開きました。
高村智恵子さんの切り絵に夫の高村光太郎さんと晩年彼女の介護をなさった姪の宮崎春子さんの文章が差し込まれている文庫本です。
どんな辛辣な現実も過ぎ去って振り返ると穏やかな心持ちになるのか?
どれひとつ答を出せない
翻って書の話の続きを。
今回拝見した道風の草書部分は「夢行簡」という『白氏文集』の中の詩篇でした。大変に自由闊達な迸りを感じました。
藤原佐理の繊細柳眉な女性を思わせるような書風などを好ましく思っていましたが、道風のダイナミックも人間味溢れていてよかったです。
道長の『御堂関白日記』は東博の「宮廷のみやび 近衛家1000年の名宝」で拝見し、わたしも大変興味を持ちました。
研究のテーマが儀礼食、つまり行事食なので具注暦に沿った彼の日記は大変にリアルで興味深い。
姪(甥だったかも?)の結納についてのアレコレを記した箇所などかなり想像逞しく見入りました。
雪香さんもあの展覧会でご覧になったのでしょうか?
あの展覧会後期には「神楽和琴秘譜」という道長の筆とされる楽譜が出ていて、それもまた非常に興味深く拝見しました。
本来観察者・ワキであるより行為者・シテとして今を生きてはおりますが、今此処の自らのルーツとして先達のアレコレから受け継がれるべきものは触れておきたく、奔走する日々です。
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とても解りやすいお話でした。
先にわたしが差し上げた端的で言葉の足りない文章がお恥ずかしい限りです。
森羅万象のはたらきと呼応している人間のカオスは計り知れないものなのでしょう。
そしてどんな現象も自分に関わりのないことはないと思います。
認知症や精神的病、強い思い込み、偏見や差別も同様に。
以前わたしは若年性認知症が心配で脳の精密検査を受けました。
自分では気付かず、人様に多大な迷惑や認識違いで迷惑をかけて生きているかもしれないと気がかりだったからです。
正気と狂気は一枚岩、表裏一体のことではないかと感じたことは多々あります。
結界は踊り超えてしまった刹那に気付くものなのかもしれません。
ファンタジーの世界はあまりよく存じませんが、とても分かりやすく自然の摂理など諭しているのでしょうね。
とりとめのない尻切れトンボで申し訳ありません。
『精霊の守り人』上橋菜穂子さんの代表作。
ケアのあいまに、ちょこちょこ読みすすめて、とてもおもしろかったのです。
児童文学という狭い限定ではなく、世代を問わずたのしめる本でした。
わたしはファンタジーが好きで、トールキンや、ル・グウィンなどなど、少女時代かなり読み、ことに指輪シリーズは、ホビットの冒険からはじまって、世界の創生神話『シルマリルリオン』にいたるまでまで残らず味読しました。
それはそれはおもしろかったのです。
上橋さんの作品も、文化人類学に裏づけされた世界観が確立していて、登場人物たちは、いきいきと描き分けられ、活躍しています。
このシリーズを、ケアのひまひまに読むのは、気分転換になって、わたしにはいいのです。
笹百合さんの「ボーダーレス」それから「正しさ」という二点について、どうお答えしたらいいかと考えました。
「精霊の守り人」では、人間世界と、精霊の世界とが両立していて、両者のあわいにはボーダーライン、壁があり、ふつう人間には精霊界「ナユグ」は見えないし、感じ取れません。
でも、一定の循環で、精霊世界と人間世界は交流しつつ、互いを支えあっているのです。
ナユグに住む水の精霊のたまごは、なぜかわからないけれど、人間の誰かに産み付けられ、孵化するまで、人間世界で育てなければならない。たまごがかえって、精霊世界の海にもどり、その水の精の吐く息のおかげで、人間世界にも雨がふり、作物が実る。
ふだんは精霊と人間は触れ合うことができないのに、宇宙全体を動かしてゆくためには、両者の交流が、不可欠なのです。
何かの事故、あるいはたまごを産み付けられた精霊の守り人が、精霊世界の闇の力に食い殺され、たまごを破壊されてしまうと、人間世界も大干ばつになってしまう。
たまごをうみつけられた11歳の少年チャグムは、たいへんな苦労をしょいこむのですが、その苦難をきっかけに、彼は強くなり、成長し、大人へとイニシエートされてゆく。
上橋さんの文化人類学の知識が、要領よくわかりやすくおりこまれていて、わたしは笹百合さんのレスにおこたえするのに、ちょうどいいなあと思いました。
世界は、ほんらい一元的なものではないのではないでしょうか?
ファンタジーは架空のもの、でも内的真実を触発しながら、読者の内面で動き始めるとき、理非善悪でなく「納得」させるちからを持ちます。
狂気、また認知とは、言わば、わたしたちが「かくあるべきもの」「人間の理性や知性に基づいた日常とは、この程度」という思い込みを超えて、混沌と困惑をひきおこします。
わたしは実際にケアにたずさわっているので、できるだけプラクティカルに考えようと思っています。
人間的な正しさ、というものさしでは、はかれない多元性のものが、命のなかにそもそも、ひそんでいるのではないでしょうか?
認知も狂気も、すべての人に内在し、おこりうるものではありませんか?
誰でも年をとり、何かの苦難に悩みいたみ、その結果心を病んでしまうこと、そんなアクシデントから一生免れているなどというひとはないでしょう。
自分もまた逃れられないものかもしれない、という自覚をもったなら、いろんな精神病や、認知症に対する感情もずいぶんかわるでしょう。
知性や理性のたがを失った彼らは、いわば人間の秩序からはずれた異界のちからを、こちらがわに突きつけるわけです。
それをひきうける家族や周囲の苦痛はたいへんなもので、正不正ではさばけない。
生きることの残酷な側面として受容し、克服し、できれば理解しながら、それを機縁として人生をみつめなおすことも、はじまるのではと思います。
少年チャグムの冒険はファンタスティックなおとぎばなしですが、困難とその克服のものがたりは、実人生のいたるところにあるのではないかなあ、と思いながら、今日のケアから帰ってきました。
ながく、ごちゃごちゃ書きましたが、幻想は固形ではなくって流体なのだろうなあと。
起こりうる事は、たぶん起こるのでしょうし。なにが生じてもおかしくない。
ナチュラルって、そんなことではないか、と。
これが普通だ!とかたくなに決め付けてしまうと、いったんそれが崩壊したときのリアクションもひどいものです。
まとまりませんが。
とりあえずこれで。
>「わたしは普通、うちは普通」と思い込んでいる人々と認知症をはじめとする精神的病の人々とのボーダーは正しいのか?
……すごい論点ですね。
これは、いま出勤前にかるがるしいレスができません。
あとで、ゆっくりお返しさせてください。
お殿様道長については、いろいろおもしろいです。やんちゃなひとだなあ、と思います。
わたし、彼のこと好きなんですよね。あんまり偉人ってかんじがしない。
大鏡からと、そして紫式部も日記にちょっと書いていますが、彼は「よきパパさん」でもあり、しあわせなことには、二人の奥方がどちらも美人で性格のよい女性だったようですね。
彼もそれを多として、どちらの夫人にも気をくばって、公平に対応してます。おかしいぐらいに。
かなり強引でワガママなひとですが、政治的にも適度なバランス感覚があって、やはり器のおおきなひとだったのね~と思います。
書にも、なんとなくそれが現れている気がします。
笹百合さんの研究テーマおもしろいうですね。
そのうち、こうしたテーマや話題のブログでもひらいてくださったらいろいろ読めるのになあ、なんて思ってしまいます。
でも、いまは論文に集中ですね
自宅のシーンにはほとんどヘルパーさんが登場していました。
概ね彼女の行為は「食べる」「寝る」「ピアノを弾く(いつも同じ曲」」「切り絵作り」、この繰り返し。
こちらはわたくし事ですが、親しい友が昨年子供を生み、もうすぐ一歳になります。この1年間の成長過程を傍でしばしば感じておりました。こちらも「寝る」「飲む・食べる」「おしっこ・うんち」から始まり、先週末会ったら歩いて、何やら言葉らしきことを伝えようとしていました。
幼児と老人。そのあわいに揺れながら生きるわたし達。
映画の世界を夢見る青年が映画中に登場します。彼は精神障害の病気で郷里に帰り精神病院に入り、自宅で妄想自殺してしまう。
度々話が飛びますが、わたしの論文研究の主軸の一つは「近現代の家庭の変容」です。これは社会全ての現象の根底に流れている真相に共通すると考えています。
ありえないような現代社会の事件や精神的病いは幻想系家庭から生じている場合が多い。
「わたしは普通、うちは普通」と思い込んでいる人々と認知症をはじめとする精神的病の人々とのボーダーは正しいのか?
昨晩帰宅し、『智恵子紙絵』を開きました。
高村智恵子さんの切り絵に夫の高村光太郎さんと晩年彼女の介護をなさった姪の宮崎春子さんの文章が差し込まれている文庫本です。
どんな辛辣な現実も過ぎ去って振り返ると穏やかな心持ちになるのか?
どれひとつ答を出せない
翻って書の話の続きを。
今回拝見した道風の草書部分は「夢行簡」という『白氏文集』の中の詩篇でした。大変に自由闊達な迸りを感じました。
藤原佐理の繊細柳眉な女性を思わせるような書風などを好ましく思っていましたが、道風のダイナミックも人間味溢れていてよかったです。
道長の『御堂関白日記』は東博の「宮廷のみやび 近衛家1000年の名宝」で拝見し、わたしも大変興味を持ちました。
研究のテーマが儀礼食、つまり行事食なので具注暦に沿った彼の日記は大変にリアルで興味深い。
姪(甥だったかも?)の結納についてのアレコレを記した箇所などかなり想像逞しく見入りました。
雪香さんもあの展覧会でご覧になったのでしょうか?
あの展覧会後期には「神楽和琴秘譜」という道長の筆とされる楽譜が出ていて、それもまた非常に興味深く拝見しました。
本来観察者・ワキであるより行為者・シテとして今を生きてはおりますが、今此処の自らのルーツとして先達のアレコレから受け継がれるべきものは触れておきたく、奔走する日々です。