画家のおばちゃん(続)

 
 小学生のとき、私が一緒に漫画を描いていたキョーコちゃんのお母さんは、あれから花の油絵を描き続け、個展を開き、私が高校生になる頃には、「絵描き」として通用するようになっていた。しばらくして、お父さんが死んだと聞いたけど、もうその頃には号4~5万円で画商に取引される、プロの画家だった。
 愛し愛される結婚をして、主婦としての余暇に好きで絵を描き始め、気がついたら絵が売れるようになっていた、というのは、そこに何の打算もなかったなら、女性の一番楽で楽しい自立の道かも知れない。

 さて、私が結婚せずに子供を産んだ同じ頃、同じ研究会に参加していた、私の数少ない学生時代の友人が結婚した。私は結婚のお祝いに、おばちゃんの絵を贈ろうと思った。まだ赤ちゃんだった坊を連れて、じかに頼みに行った。
 数日後、おばちゃんが私の実家にやって来て、「どれでも、欲しいの選んでちょうだい」と絵を広げた。「お金のことは気にしなくていいから。私の絵ね、画商を通したら、ウン万円するのよ」と言って。

 え、そうなの? じゃ、ちょっと手が出ないかなー。するとおばちゃんは言った。
「私みたいな年上の人間に、私も頑張ろう! って思わせるような若い人は、価値があると思うのよ。これから大変だろうけど、赤ちゃんと一緒に頑張ってね。あなたにも絵を1枚プレゼントさせてちょうだい。これは私からね」
 で、友人に贈る絵とは別に、おばちゃんの画風にしてはすごーく大胆な、大きな花の絵を1枚もらった。よく考えると、号ウン万円するなら、50万円はする絵だった。

 あれから、私が絵を贈った夫婦とは、ひょんなことから決裂してしまった。私がPTSDとなったきっかけの、ある犯罪行為を、偉そうに、「許してあげるべきです」なんて説教する手紙を送ってきたのが原因だった。 
 おい、お前ら、ウン万円する絵を返しておくれー!

 画像は、マネ「水晶の花瓶に生けた花」。
  エドゥアール・マネ(Edouard Manet, 1832-1883, French)

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