コーヒーゼリー

 
 大学の同じゼミに、定年退職の年頃の、社会人学生のマジコフ氏とダマヤン氏がいた。
 結構対照的な二人で、マジコフ氏はガチガチのコミュニスト、ずんぐりむっくりで、いつも暑苦しい背広を着込み、本人その気はないけど居丈高な物言いをする。対してダマヤン氏はまあまあリベラリスト、ひょろりとのっぽで、デニムのシャツにジーパンという出で立ちだけれど、言動はいつも紳士的。
 で、マジコフ氏が失言するたびに、ダマヤン氏は眉をしかめる。

 私が「残りの余生、できるだけ楽して楽しく暮らしたい」なんて言ったりすると、マジコフ氏が耳敏くそれを聞きつけ、しゃしゃり出て、説教がましくまくし立てる。
「いや、あなた! そんなにお若いのに余生だなんて! まだまだこれからいくらでも未来がおありになるのに!」
 どうも、人間長生きするのが当たり前って前提があるんだな、この人。

 ダマヤン氏のほうは、困ったもんだと言いたげに鼻皺を寄せ、あとでこっそりと、にこにこ顔で私に助言する。
「いつ死ぬか分からないんですから、いつだって楽して楽しく暮らさなくちゃ」

 ところで、横柄なマジコフ氏は、前の瓶にまだ半分以上インスタント・コーヒーが残っているうちに、別の新しい瓶を買ってくる。しかも一番大きい瓶。
「だって、コーヒーは香りが命でしょう!」と、自分の気の回しように、いかにも自信たっぷり。
 だったら小瓶を小分けして買いなさい、と言いたげに口を引き結ぶダマヤン氏。

 結局、捨てるのは勿体ないから、私が、残った古いコーヒー粉でどっさり、カルーア入りのコーヒーゼリーを作り、研究室に持っていくのだった。

 画像は、ルノワール「コーヒーポット」。
  ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir, 1841-1919, French)
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