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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「バンド・ワゴン」

2011-10-14 06:20:52 | 映画の感想(は行)
 (原題:The Band Wagon)1953年作品。子供の頃にテレビ放映で見たような記憶があるが、スクリーン上で接するのは今回のリバイバル公開(午前十時の映画祭)が初めてである。MGMミュージカルの仕掛人アーサー・フリードと「巴里のアメリカ人」などのヴィンセント・ミネリ監督が手掛けた傑作といわれる映画だ。

 かつてはハリウッド・スターとして人気を誇ったトニー・ハンターだが、今や知る人も少なくなった。そんな彼が親友のマートン夫妻が執筆した舞台「バンド・ワゴン」でブロードウェイへの復帰を目指す。しかし演出家がミュージカルとは畑違いの時代劇専門。当然ながら要領を得ない舞台は酷評の嵐で、トニーは周囲のキャストともウマが合わずに興行は失敗に終わってしまう。このまま一線から退くわけにはいかないトニーは、脚本と楽曲を自分流に作り変え、地道にドサ回りから始める。やがて徐々に評判は高まり、成功への道筋が見えてくる。



 これはまず、トニーに扮するフレッド・アステアの映画だ。洗練を極めた身のこなしと流れるようなダンス。特に相手役のシド・チャリシーと公園で踊るシーンは、ミュージカル映画史上に残るようなヴォルテージの高さを見せつける。そして使われるナンバーが泣けてくるほど素晴らしい。

 前半とラストに流れる「ザッツ・エンターテインメント」は、言うまでもなく同名のアンソロジー映画のテーマ曲でもあるが、ミュージカルが幕を開けようとするそのウキウキとした気分を代弁するような名曲だ。他にも「シャイン・オン・ユア・シューズ」や「ダンシング・イン・ザ・ダーク」「あなたと夜と音楽と」といった、現在でもスタンダード・ナンバーとして歌い継がれている曲が満載。それらを聴いているだけでも、幸せな気分になってくる。

 ハッキリ言ってこの映画はストーリーは大したことはない。しかし、それでいいのだ。小難しいプロットの積み上げなど、アステアの軽妙洒脱な芸の前では無力。約束通りのハッピー・エンディングに、これ以上何を望むのだという気分になってくる。

 ミネリの演出はテンポが良く、マートン夫妻を演じるオスカー・レヴァントとナネット・ファブレー、そして舞台監督役のジャック・ブッキャナン等のコメディ・リリーフも嬉しい。この世の憂さも忘れてしまう、まさに快作というべき映画だ。
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能古島に行ってきた。

2011-10-13 06:19:46 | その他
 先日の連休に、福岡市西区にある能古島(のこのしま)に行ってきた。能古島は博多湾のほぼ中央に浮かぶ島で、西区愛宕浜にある渡船場から約10分で到着する。福岡市民の身近な行楽地として親しまれているが、実は私は(長らく福岡県に住んでいるにも関わらず)一度も行ったことがなかったのだ(爆)。島内にある「のこのしまアイランドパーク」でコスモスが満開だというニュースを聞き、嫁御の希望もあって足を運んだ次第である。



 九州のコスモスの名所と言えば、宮崎県の生駒高原や佐賀県の佐里コスモス遊園が有名だが、能古島におけるコスモス園はそれらより規模は小さい。しかし、海をバックに満開のコスモスが数多く咲き乱れる様子を見られるのは、たぶん九州ではここだけだろう。

 この季節は最も観光客の多い時期だという。当日は好天にも恵まれ、行き帰りの船は満員電車状態であった。昼食には名物の能古うどんに舌鼓を打ち、土産として天然あさりを買って帰った。その日の夕飯にあさりバターとして食したが、実に旨かった(^^)。



 能古島の歴史は古く、島内には7世紀頃の古墳群がある。また作家の檀一雄が晩年を過ごした場所でもあり、文学碑が建てられている。春先には菜の花の群落が見事だという話だし、その頃にはまた訪れたい。
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「監督失格」

2011-10-12 06:25:18 | 映画の感想(か行)
 全編に渡ってヒリヒリするような迫真性が充満している。2005年に若くして急逝した女優・林由美香と、監督・平野勝之との関係性を追う本作は、カツドウ屋が映画を撮ることの本来的な意味を鋭く問い直すという意味で、得難いメッセージ性を獲得したドキュメンタリー映画の力作と言えるだろう。

 林由美香は97年に不倫関係にあった平野と共に、東京から北海道まで自転車旅行を敢行しているが、その記録は映画「由美香」として公開されている。私は「由美香」を観ていないので、この「監督失格」における自転車旅行の場面が既出のものなのか今回新規に公表されるものなのか分からないが、ロードムービーとしての映画的興趣はとても大きい。



 道中で励まし合ったり、ケンカしたり、仲直りしたり、いろいろな人物と遭遇したり、そんな紆余曲折があってやっとの思いで目的地の礼文島沖の小さな島に到着するくだりは盛り上がる。ところが苦楽を共にしたはずの由美香と平野は、旅行の後に疎遠になってしまうのだ。実際は、由美香の方から平野に対して距離を置くようになる。辛い道程を共有して気心が知れたと思っていたのは、平野の独り合点だった。本当のところ、平野は彼女のことを何も分かっていなかったのである。由美香が“監督失格ね”と言い放つのも当然だ。

 平野は彼女との旅行で得た高揚感をもう一度味わいたくて、別の女と同じように北海道まで旅したり、また単身冬の北海道をさまよったりもしているが、充実感を覚えるまでには至っていない。極めつけは、久しぶりに平野が由美香と仕事をすることになって、当日現場に現れない彼女の安否を探るうちに、思いがけず彼女の死の発見者になってしまうことである。



 死因は睡眠薬と酒の過剰摂取による“事故”として片付けられるが、平野は彼女が睡眠薬を多用するほど精神的に参っていることに、まったく気が付かなかった。あれほど彼女と一緒の時間を過ごして、カメラにも素顔を写し取ったつもりであったにも関わらず、実は何も描けていなかった。これが“監督失格”でなくて何なのだろうか。

 しかし、長いスランプを経て平野は再びカメラを回し始めるのだ。監督として未熟であっても、とにかく映画を撮ることでしか自分を表現できない。その、どうしようもない焦燥感と切迫感、そしてある種達観したような諦めと開き直りが画面に充満する。映画を自己のコミュニケーション手段として取り込んでしまった人間の、(ドヤ顔混じりの)どうしようもなさ。これがカツドウ屋の本質ではないだろうか。

 庵野秀明がプロデュース。さらに音楽は矢野顕子が担当し、本作のためにエンディングテーマを書き下ろしているが、これがまた抜群の効果を上げている。とにかく、必見の実録映画である。

 なお、林由美香の出演作はいまおかしんじの監督「タマもの 突きまくられる熟女」(2004年)ぐらいしか観ていないが、この「監督失格」における存在感とも併せて、本当に良い女優であったことが分かる。あまりにも早すぎる退場は残念だ。
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「トラフィック」

2011-10-11 06:24:44 | 映画の感想(た行)
 (原題:Traffic )2000年作品。メキシコと米国とを結ぶ麻薬ルートをめぐって、捜査官やマフィアのボス及びその妻など多数の男女の人生が交錯していく様子を描く。高踏的ケレン味が身上のスティーヴン・ソダーバーグ監督と実録風ドラマツルギーが完璧にマッチした快作である。

 三つのエピソードを解体しながら相互に絶妙なリンクを張るように再構築した脚本といい、卓越した画面処理といい、各キャストの見事な仕事ぶりといい、すべてに申し分なく、クォリティとしてはあの「L.A.コンフィデンシャル」に肉迫する。たぶんこの年のアメリカ映画ではトップの出来映えだろう。



 オスカー受賞のベネシオ・デル・トロもいいが、開き直った腹ボテ悪女のキャサリン・ゼタ・ジョーンズが儲け役。マイケル・ダグラスやドン・チードルの的確な演技もドラマに奥行きを与えている。

 それにしても、メキシコや南米など、麻薬が完全に社会の一部として食い込んでしまった国家は悲惨である。ただし、我々はそれらの国に対し、ほんの少しの同情と大きな諦念を持つしかないのだろう。この映画のマイケル・ダグラス判事のように“ヨソの国はヨソの国。我々は「今そこにある危機」として自国を守るしかない”と割り切るべきなのか。

 さらに突き詰めてゆくと“人々が麻薬に頼る必要のない社会”の構築が急務なのだが、そこまでの求心力を国家に求めるのは筋違いではないのか。結局はこの映画の終盤にも描かれたように、ミクロ的に自分の周囲の人々を救うべく地道な努力をおこなう他ないとも言えるのだろうか。
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「モテキ」

2011-10-10 06:57:17 | 映画の感想(ま行)

 中盤までは好調だが、後半は腰砕け。これはひとえに“第一ヒロイン”を演じる長澤まさみの資質を見抜けなかった作者の側に責任があるのではないかと思ったりする(笑)。

 主人公の藤本幸世はカネも無ければ夢も無い、冴えない三十男だ。長かった派遣社員時代にようやく幕を引き、ニュース配信会社の正社員になって巻き返しを図るものの、相変わらず女性とは縁がない生活が続く。ところがネット上のやりとりで知り合った雑誌編集者の美由紀を皮切りに、次々と彼に好意を寄せる(ように見える)女達が現れる。これはひょっとして、誰しも人生で一度は経験するという“モテ期”が到来したのではないかと幸世は有頂天になるが、現実は甘くなかった(爆)。

 この美由紀に扮しているのが長澤だが、前半の彼女はお世辞抜きで魅力的だ。主人公をして“殺人的な笑顔”と言わしめるような、愛嬌全開の展開を見せる。しかし、よく考えてみるとこれは“演技”ではなく彼女自身の“地”ではないだろうか。素顔の長澤は美由紀のようなキャラクターであると聞き及んでいるし、何より頑張って演技をしている気配が微塵も感じられないあたり、そう的外れな見解ではないと思う。

 その証拠に、後半は話が入り組んできて当然のことながら彼女に“真っ当な演技”が要求されるシチュエーションに入っていくのだが、そうなると全く精彩を欠いてしまうのだ。

 ただ脚本通りにやりましたというレベルであり、大根ぶりが露呈。ラストなんか、これ以上彼女にやらせておくと盛り下がるばかりだから、適当なところで切り上げようという諦めの気配さえ感じさせる。それに呼応するように、終盤の筋書きも御都合主義的かついい加減に終わり、釈然としない気分で劇場を後にすることになってしまった(呆)。ちゃんとした演技の出来る別の女優を起用して、シナリオも練り直すべきだった。

 しかしながら、観て損のない映画でもある。それは、ポップで軽妙な前半部分があまりにも面白いからだ。この部分における大根仁の演出はテンポが良く、画面作りもカラフルで観ていてウキウキしてくる。ミュージカル場面が挿入されるのも効果的で、特に主役の森山未來がPerfumeのメンバーと公園で歌って踊る場面は、最高に楽しい。日本映画では珍しく、全体的に音楽の使い方が上手いのも特筆すべき点だ。

 主演の森山は快調。身体のキレは良いし、言い訳がましいモノローグの連発も笑える。また“第二ヒロイン”の麻生久美子は好演で、俗に言う“鬱陶しい女”を実に上手く表現している。そして“第三ヒロイン”の仲里依沙は出番は少ないながらもオイシイところを持って行く。まさに快演だ。ただ“第四ヒロイン”の真木よう子のパフォーマンスはどうでもいいようなレベルである。真木は実力があまりないわりには、けっこう映画やテレビに露出している。まあ、その背景には我々があずかり知らぬ“事情”というものがあるのだろう(苦笑)。
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「4人の食卓」

2011-10-09 06:36:52 | 映画の感想(英数)
 (英題:The Uninvited )2003年作品。地下鉄で起きた殺人事件を偶然に目撃してそのトラウマから逃れられず、挙げ句の果ては霊の姿を見るようになった青年と、似たような境遇の若い女がたどる運命を描く、韓国産のホラー編だ。

 エンドマークを迎えても釈然としない“謎”ばかりの映画。ホラーものとしては長い2時間10分の上映時間の中には“思わせぶりだが、実は何でもないネタ”が満載で、それらは監督の頭の中では“完結”している素材なのかもしれないが、ここではプロットを混乱させるだけの不純物でしかない。

 これが長編デビュー作の女流イ・スヨンは“並のホラー映画とは違うものを作ろう!”という気負いだけが空回りし、観客を取り残したままドラマを空中分解させている。起承転結そしてカタルシスという“定石”を無視した作劇がサマになるのはデイヴィッド・リンチみたいな一部の手練れの異才だけだ。彼女のような駆け出しに務まるはずもない。また、ホラー描写を“観る者に不快感を与えること”だと勘違いしているような姿勢もいただけない。

 主演のチョン・ジヒョンは「猟奇的な彼女」とは打って変わった暗い病的なヒロイン像を熱演しているが、他のキャストが弱体気味で、結果として大柄な彼女の姿がスクリーン上で所在なげに佇むだけになってしまった。

 不協和音を主体にしたBGMやモノクロに近いシネマスコープの映像も作者の独りよがりを強調するのみ。作品の方向性を掴まないまま新人監督に好き勝手やらせてしまった製作者の責任も大きいだろう。
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「ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー」

2011-10-08 06:29:17 | 映画の感想(は行)

 (原題:DEUX DE LA VAGUE)題材自体が興味深かった。1950年代の終わりにフランス映画界に巻き起こったムーヴメント、ヌーヴェル・ヴァーグの誕生の経緯からその中心を担った2人の伝説的人物、フランソワ・トリュフォーとジャン=リュック・ゴダールの関係性を追ったドキュメンタリー。

 正直言って、私はこの頃のフランス映画をあまり観ていない。もちろん上記2人の作品はチェックはしているが、その本数は微々たるもので、ましてやヌーヴェル・ヴァーグという潮流の中で捉えたことはほとんどない。それだけに、本作が確保している情報量の大きさは貴重だし、観て良かったと思う作品である。

 カンヌ国際映画祭に出品されたトリュフォーの「大人は判ってくれない」がセンセーションを巻き起こし、一方でゴダールの「勝手にしやがれ」も世界中の映画ファンに衝撃を与え、2人はヌーヴェル・ヴァーグの寵児としてもてはやされる。しかし、68年の五月革命やカンヌ映画祭のボイコット要求などが2人の関係に大きく影響を与えていく。

 ゴダールもトリュフォーも筋金入りのシネフィルで、既存のシステムに果敢に挑戦して地位を築いた作家だ。そういう共通点があって意気投合したものの、映画製作を“政治”を抜きにしては語れなかったゴダールに対し、恋愛映画を突き詰めることが身上であったトリュフォーが、やがて袂を分かつのは当然のことかもしれない。

 個人的な意見だが、映画がエンタテインメントである限り、政治的プロパガンダを前面に出して映画を作り続けるのは難しいと思う。はっきり言って、ゴダールのヌーヴェル・ヴァーグ後の作品(80年代以降)をいくつか観たが、どれも映画になっていない。一部の好事家のためのシャシンであり、とても評価出来ない。映画作りの王道を歩んだのは、トリュフォーの方であったと思う。

 エマニュエル・ローランの演出は才気走った部分はないが、ケレン味を抑えて事実の詳細をしっかりと並べていく姿勢には好感が持てる。ヌーヴェル・ヴァーグの作品群を、機会があればひとつひとつチェックしていきたいものだ。

 なお、印象的だったのがエンド・クレジットに流れるジャン=ピエール・レオー(「大人は判ってくれない」の主役)のオーディション風景だ。彼は当時中学生ながら、その利発ぶりに驚かされた。ヘタな大人顔負けの、堂々とした受け答えだ。この部分を観るだけでも、入場料のモトは取れる。
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「キューティーハニー」

2011-10-07 18:20:52 | 映画の感想(か行)
 2003年作品。おなじみ永井豪の同名代表作の実写映画化だ。とにかく開巻20分間がやたら面白い。誘拐された宇津木博士をめぐって犯罪結社パンサークローの怪人と如月ハニー、それに警察の三つ巴のバトルが賑々しく展開されるのだが、スピード感とアホアホなギャグが絶妙のマッチングで大いに沸かせてくれる。ヘタウマを狙ったSFXも効果的で、シークエンスの最後はお約束の“大爆発”というのもウレシイ。



 しかし、映画が進むにつれ次第にテンポが遅くなり、パンサークローの首領シスター・ジルが画面の真ん中に登場する部分に至ってはジックリ描きすぎてドラマ運びが停滞してしまう(まあ、そのためにラスト近くの愁嘆場が活きるのも確かなのだが)。最後まで脳天気路線を全うしてほしかった。

 とはいえ、出てくるキャラクターの楽しさは特筆もの。ハニー役の佐藤江梨子は健闘しているが、それより市川実日子扮する仏頂面の女警部と村上淳が演じるナゾの新聞記者がサイコーだ。パンサークロー四天王に扮する片桐はいり、新谷真弓、小日向しえ、及川光博らも実に楽しそうに悪役を演じている。庵野秀明の演出は「ラブ&ポップ」の頃に比べると随分と独りよがりな態度が後退。往年のテレビシリーズ(私は見たことがないが)の映画版としては及第点に達していると思う。
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「グリーンフィッシュ」

2011-10-06 06:28:07 | 映画の感想(か行)
 (英題:The Greenfish )97年韓国作品。兵役を終えたものの働くき口がない主人公がヤクザの情婦の紹介で職を得るが、思いがけず組織同士の抗争に荷担することになる。彼はその愛人に心惹かれつつも、世話になったヤクザの兄貴分のために、自暴自棄的な行動に出る。

 内容はさんざん使い古されたヤクザ映画のルーティンなのだが、丁寧な演出と主演のハン・ソッキュの好演により、味わい深い佳篇に仕上がった。特に、ドラマの背景に激しく移り変わる韓国社会の情勢を織り交ぜているところがうまい。

 主人公が兵役に就いていたわずかな間に実家周辺の風景は一変。かつての田園地帯には高層団地が林立する。都市部では社会の底辺にうごめいていたチンピラたちがアッという間に街の顔役に。その急成長(およびその後の凋落)の陰で家族や人間同士の絆は分断されてゆく。この苦い現実。ラストはわずかに救いはあるものの、イ・チャンドン監督の人間を見つめる目は相変わらず冷徹だ。
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「めし」

2011-10-05 06:29:53 | 映画の感想(ま行)
 昭和26年東宝作品。成瀬巳喜男監督の代表作の一つとされているものだが、私は今回のリバイバル公開で初めて観た。俗に“視線の演出術”とも言われる成瀬のタッチが活きている佳編だと思う。

 転勤で東京から大阪にやってきた初之輔と三千代の夫婦。子供はいないが結婚してからまだそんなに年月は経っておらず、新婚気分も残っていると思われるのだが、実際は絵に描いたような倦怠期だ。仕事一本槍で、帰宅してからはロクに口もきかない夫。妻は黙々と家事をこなすだけ。何より、東京とはまったく違う環境に嫌気がさしているようだ。

 そんな中、初之輔の姪の里子が突然“親に見合いを強要されて、家出してきた”と転がり込んでくる。名の知れた証券会社に勤めているとはいえ、役付でもない夫の所得は大したことはない。居候なんか受け入れる余裕はないのだ。しかし初之輔は若い姪っ子には甘く、それに呼応したような里子の傍若無人な振る舞いは、三千代を苛立たせるばかり。ついには“そろそろ東京に戻ろうか”という里子に同行し、そのまま東京の実家に帰ってしまう。



 早い話が“夫婦げんかは犬も食わない”という古来からの鉄壁のルーティンを追っているに過ぎないのだが、その扱い方は洗練の極を見せている。登場人物が感情を露わにするシーンがほとんどないにも関わらず、内に秘められた強い想いを、眼差しの絡み合いや何気ない動作及び必要最低限のセリフだけで十二分に示していることに感心した。

 東京に行く三千代を見送る初之輔とのやり取りはその白眉で、静かな場面造型の中にある葛藤をヒリヒリするほどに活写している。実家に戻った三千代が、戦争未亡人となった友人が難儀している様子を見て、自分の恵まれた立場を再確認するというくだりは図式的とも言えるが、これも抑制の効いたタッチでワザとらしさは微塵もない。

 また、全編に渡って流れるナレーションがドラマとの適度な距離をキープしているのにも感服する。説明過多の作劇を続けて恥とも思わない昨今の日本映画の作り手達は、この成瀬作品を観て勉強すべきだ。

 原作は林芙美子だが、未完に終わっている。そこで成瀬をはじめ脚本の田中澄江、井出俊郎、さらに監修の川端康成といった一流のスタッフが独自の結末を考案。原作を読んでいないのでどこまでが映画のための脚色であるのか定かではないが、破綻のないストーリーは“完成品”と言って良いものだ。

 主演の上原謙と原節子は好演。この二人ならば、どんなに生臭い話でもスマートに見せきってしまう(笑)。早坂文雄の音楽や玉井正夫によるカメラワークも言うことなし。本作に続いて林作品を成瀬が映画化した「稲妻」や「晩菊」「放浪記」といった作品も観たくなった。
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