元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「2012」

2009-11-28 07:30:44 | 映画の感想(英数)

 (原題:2012)さすがローランド・エメリッヒ監督だ。大味で脳天気な作劇も、ここまで突き詰めてくれるとまさに“名人芸”の領域に達していると言ってよかろう(笑)。

 マヤの予言書に記述されているという世界の終わり、それは惑星直列とか太陽からの多量のニュートリノの照射とかで、地球内部のコアに影響を与え大規模な地殻変動が起こることを意味するという。これが2012年に起こるらしく、本作はその壊滅的な災難の有様を派手に描いている。要するに、従来のパニック映画で取り上げられてきたネタの数々を合体させて極限にまで拡大したと思えば良く、その方法論からしてヤケクソ的な胡散臭さを発散しているのだ。

 通常、広げた大風呂敷のサイズとドラマツルギーの綿密さとは反比例する。事実、この映画は突っ込みどころが満載だ。だいたい、カタストロフが予見されてわずか3年間弱で数十万もの人員をカバー出来るほどの“方舟”を(いくらあの国でも)あんな場所に何隻も作れるわけがない。

 危機また危機をかいくぐる主人公達には、押し寄せる火砕流や土石流も手加減してくれる。雨あられと降り注ぐ火山弾だって、勝手に狙いを外してくれる。挙げ句の果ては、とてもたどり着けない目的地も地殻変動とやらであっちの方から近づいてくる始末だ(爆)。その他、細かいところを列挙するとキリがないほど、本作にはトンデモなモチーフが山のように積み上げられている。

 登場人物もしかりで、嫁さんに逃げられてしがない生活を送る売れない作家とその“家族”を一応主人公に設定しているが、深い内面描写など皆無だ。演じるジョン・キューザックやアマンダ・ピートらも、別に彼らじゃなくても全然構わない。ステレオタイプそのものの役柄なので誰がやっても同じである。

 ところが、本作ほどエメリッヒの持ち味にフィットした題材はないのである。過去に彼が取り上げたネタは、異星人の侵略だろうと地球温暖化の行き着く先だろうとニューヨークを襲う怪獣だろうと、その“相手”が歴然としていた。そういう整然とした図式であったからこそ、辻褄の合わない部分に対して論難する余地があったのだ。ところがこの映画は、前提そのものがマヤの予言書やら何やらの眉唾的なシロモノである。最初から“相手”の造形が“なんでもあり”の状態なのだから、どんなに無茶をやろうと笑って済ます以外ないのだ。

 ただし、どんなに脚本の不備が気に入らないマジメな映画ファンでも、この映像には一目置かざるを得ないはずだ。天変地異の凄まじさをこれだけド派手に描いたシャシンは他には思いつかない。つまりは遊園地のアトラクション気分で観ればいいのであり、その意味では興行価値は高い。それにしても、普段は活躍するはずの米軍がここでは全く無力なのには笑ってしまった。おかしなところで現実を反映していると思った次第である。
コメント (4)
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