元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「マイマイ新子と千年の魔法」

2009-11-30 06:25:41 | 映画の感想(ま行)

 とても良い映画だが、おそらくは興行面では広範囲な支持を集められないだろう。昭和30年の山口県防府市を舞台に、空想好きな小学三年生の少女・新子と東京からの転校生で田舎暮らしに馴染めない貴伊子との友情を描く、高樹のぶ子の自伝的小説を元にしたアニメーション映画。

 序盤はいかにも子供っぽい空想の世界が前面に出て、大人が観るには少しくすぐったい感じだ。ならば子供の観客はどうかといえば、現代とあまりにも懸け離れた時代背景には付いていけないと思う。時代設定が近い宮崎駿の「となりのトトロ」のようにチャーミングなクリーチャーも出てこないし、イマイチ作品に物語に没入できないのではないだろうか。

 だが、中盤から主人公達の周囲に“大人の世界”が容赦なく侵入してくるあたりから興趣は一気に盛り上がり、見応えが出てくる。でもそれは子供の観客を置き去りにすることにもなる。もちろん一緒に観ている親がフォローすればいいのだろうが、残念ながら今の小学生の親の世代でも、この映画の時代の空気は十分理解は出来ないと思う。いずれにしても、本作はマーケティングの難しさにおいて、最近の邦画では屈指であろう。

 さて本作が感動的なのは、連綿と続く人間の営みをヒロイン達が見聞きする時空間に凝縮させた野心的な作劇ゆえである。防府市は千年前に国府が置かれた場所だ。新子と貴伊子は当時生きていたらしい地方官僚の娘である薙子という女の子とその取り巻きに、自分たちを投影する。薙子と仲良くなるはずだった地元の女の子は薙子がやって来る前に死んでしまい、友達もいない寂しい生活を送っている。だが、勇気を出して外の世界を見ることによって現実社会の何たるかを自分なりに理解してゆく。

 薙子にとっての外界との接触点が何かと世話を焼いてくれる家老だったのと同様、新子には祖父という指導者がいたのだ。祖父の豊富な知識が新子の旺盛な想像力の立脚点となり、たとえ祖父がいなくなっても影響力は消えることはない。劇中に“人は死んでも誰かが覚えてくれている限り、ずっと生き続ける”という意味のセリフがあるが、この“ちゃんと伝える”ことの繰り返しが歴史そのものであるという、作者の透徹したスタンスが見て取れる。

 新子たちとは対照的に、親からは上っ面のポーズしか教えてもらえなかったリーダー格の少年の運命は悲しい。普段はクールな彼が、去って行った父親のことを思い、いたたまれない気持ちになって通りを駆け出す終盤の場面は胸が締め付けられる。

 片渕須直の演出は丁寧で、彩度を抑えた映像は美しい。時代を示す大道具・小道具の使い方が秀逸で、福田麻由子や水沢奈子などの声の出演も万全だ。いくぶん観客を選ぶ映画だと思うが、質は高く観賞後の満足感も上々である。製作元のマッドハウスは本作といい「サマーウォーズ」といい、今やスタジオジブリを凌ぐ信頼のブランドに成長した感がある。
コメント
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