酵母をおこすと使わなければ増える一方なので、
追われるようにパンを焼いています。
それは、いいことのようにも思えるし、
悪いこと(疲れること)のようにも思えるけれど、
多分、いいことの要素のほうが大きい気がします。
そういうことでもないと、
ついついだらけてしまいそうだし。
カンパーニュは、
配合が違っても酵母が違っても、
外見的にはほとんど変わりがないので
最近は写真を撮るのも億劫になってきました…笑
食パンも、同じく。
フォカッチャもオイルを変えようが、
多少アレンジを変えようが、
外見的にはほとんど変わりなく、
そんな理由であまり写真を撮っていません。
この写真だって、本当はいつもよりサイズが大きいの。
でも、分からない。笑
先日、ある個展を観にうかがったギャラリーで、
オーナーの方がある書を見せて下さいました。
その日の夜に作家さんにお返しすると聞いて、
ぎりぎりセーフで拝見できたことが
ちょっぴり運命みたいに感じた作品で…
その書には、
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」からの一節が
個性的な文字で書かれていました。
「分を知ることによってのみ身につけられる手仕事が、
すべての生活、すべての行為、すべての技術に
先行しなければらない。
ひとつのことを本当に知り、それを実行することは、
百のことを中途半端にするよりも、
もっと高い教養を与えてくれる。 」
ひとつのことを本当に知ることは、
沢山のことを少しずつ知っていくよりも
果てしない作業に思える。
この年の瀬の、
一年の締めくくりにふさわしい
言葉のような気がしてなりませんでした。
一年を終え、
これから一年を始めるにあたって、
振り返り、また進んでいくための、進めていくための言葉。
新しい年は、新たな始点ではなく、
ずっと続いてきた一本の線の点にすぎない、
そんな気持ちになった作品との出会いでした。
今年も残すところあと半月あまり。
この出来事は、今年最後のギフトかも知れないな。
追われるようにパンを焼いています。
それは、いいことのようにも思えるし、
悪いこと(疲れること)のようにも思えるけれど、
多分、いいことの要素のほうが大きい気がします。
そういうことでもないと、
ついついだらけてしまいそうだし。
カンパーニュは、
配合が違っても酵母が違っても、
外見的にはほとんど変わりがないので
最近は写真を撮るのも億劫になってきました…笑
食パンも、同じく。
フォカッチャもオイルを変えようが、
多少アレンジを変えようが、
外見的にはほとんど変わりなく、
そんな理由であまり写真を撮っていません。
この写真だって、本当はいつもよりサイズが大きいの。
でも、分からない。笑
先日、ある個展を観にうかがったギャラリーで、
オーナーの方がある書を見せて下さいました。
その日の夜に作家さんにお返しすると聞いて、
ぎりぎりセーフで拝見できたことが
ちょっぴり運命みたいに感じた作品で…
その書には、
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」からの一節が
個性的な文字で書かれていました。
「分を知ることによってのみ身につけられる手仕事が、
すべての生活、すべての行為、すべての技術に
先行しなければらない。
ひとつのことを本当に知り、それを実行することは、
百のことを中途半端にするよりも、
もっと高い教養を与えてくれる。 」
ひとつのことを本当に知ることは、
沢山のことを少しずつ知っていくよりも
果てしない作業に思える。
この年の瀬の、
一年の締めくくりにふさわしい
言葉のような気がしてなりませんでした。
一年を終え、
これから一年を始めるにあたって、
振り返り、また進んでいくための、進めていくための言葉。
新しい年は、新たな始点ではなく、
ずっと続いてきた一本の線の点にすぎない、
そんな気持ちになった作品との出会いでした。
今年も残すところあと半月あまり。
この出来事は、今年最後のギフトかも知れないな。