「雨はすでに、あがったように見えます」
テレビのニュース番組で、皇居前広場の中継映像を見ながら
何度か繰り返されたアナウンサーの言葉が耳にのこっていて、
テレビを消したあともずっとリフレインしている。
ここ最近はそこかしこで「平成最後の」というフレーズがステレオタイプに繰り返されていて、
繰り返されすぎて意味を失ってしまったんじゃないかと思えて残念なくらい。
露出されすぎると価値を失ってしまう定説を
そのままなぞっているようで妙に納得してしまう冷静な自分も片方ではいつつ、
「平成」という30年と数か月の時間の重さをずっしりと感じるもうひとりの自分もいたりする。
それは、世界の、日本の、という大きな枠組みではなくて、
あくまでも「自分の」という個人的な年表において。
「雨はすでに、あがったように見えます」
常に、明日は今日の続きであるのだし、
例えば2018年から2019年に変わっても、
平成から令和へと元号が変わっても、
その瞬間に大きく何かが変わるわけではないけれど。
それでも、その何気ないひとことから、
何かが終わって何かが始まるのかもしれない、
と私のなかの何かが感じたのかもしれない。
銀行の通帳に昨年冬、
「これ以降のお取引の日付は西暦で印字いたします」という一文が印字されて、
日付の表示が「2018年」なっていた。
そんなふうに、様々な場所で、いろいろな立場の方たちによって、
明日を迎える準備がすすめられてきて、
あと数時間で「そのとき」がやってくる。
それでも、やっぱり。
私にとっては、今日の続きであって、それ以上でもそれ以下でもない。
ただただ、
平成を経た、令和が、「平和」であってほしいな、と強く思う。
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日々の徒然はHPに更新しています。
おいしい、まいにち
https://www.oishiimainichi.com/
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テレビのニュース番組で、皇居前広場の中継映像を見ながら
何度か繰り返されたアナウンサーの言葉が耳にのこっていて、
テレビを消したあともずっとリフレインしている。
ここ最近はそこかしこで「平成最後の」というフレーズがステレオタイプに繰り返されていて、
繰り返されすぎて意味を失ってしまったんじゃないかと思えて残念なくらい。
露出されすぎると価値を失ってしまう定説を
そのままなぞっているようで妙に納得してしまう冷静な自分も片方ではいつつ、
「平成」という30年と数か月の時間の重さをずっしりと感じるもうひとりの自分もいたりする。
それは、世界の、日本の、という大きな枠組みではなくて、
あくまでも「自分の」という個人的な年表において。
「雨はすでに、あがったように見えます」
常に、明日は今日の続きであるのだし、
例えば2018年から2019年に変わっても、
平成から令和へと元号が変わっても、
その瞬間に大きく何かが変わるわけではないけれど。
それでも、その何気ないひとことから、
何かが終わって何かが始まるのかもしれない、
と私のなかの何かが感じたのかもしれない。
銀行の通帳に昨年冬、
「これ以降のお取引の日付は西暦で印字いたします」という一文が印字されて、
日付の表示が「2018年」なっていた。
そんなふうに、様々な場所で、いろいろな立場の方たちによって、
明日を迎える準備がすすめられてきて、
あと数時間で「そのとき」がやってくる。
それでも、やっぱり。
私にとっては、今日の続きであって、それ以上でもそれ以下でもない。
ただただ、
平成を経た、令和が、「平和」であってほしいな、と強く思う。
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