気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

蝶になった母  光本恵子 

2012-10-03 22:57:43 | つれづれ
こちら立てればあちら立たず どちらも納得する定規はあるか

ゲーテも歩いた哲学の道をゆるゆる辿る ふとここで死んでもいいと思う

病院に入れば個性もこころも隠して転がる一本の丸太棒

まっすぐに前を見て歩く背筋をぴんと張って さてどこまで行けるか

月明かりにまかせ畳にうずくまるそのままそのままに

あなたの愛に育まれここまできました 母よ母よ力なくわらわないで

子を束縛しない支配しない 遠くで見守るとよ子さんの強さ

眠ったまま逝かせてやりたい母とよ子 豪快と繊細に生きてやすらか

点滴に託すいのちあり今夜も語らず蝶になって野辺を翔ている

海を越え山を越えて菜の花を飛ぶ蝶は母の化身か

(光本恵子 蝶になった母 角川書店)

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未来山脈の編集発行人、光本恵子の第六歌集『蝶になった母』を読む。
口語自由律の歌で、ふだん定型に収まった短歌を読み慣れていると、ふしぎな感じがする。一行詩と思って読めば納得がいく。こういう読み方は失礼なのだろうか。
光本氏は、師である宮崎信義亡き後、2002年から未来山脈の編集発行人になった。その決心には、短歌人の高瀬一誌の後押しがあったとあとがきにある。
私は、体制順応型の人間なので、短歌を作ろうとすると、まず定型にしたくなる。読むときも、57577のリズムで読んでしまう。そんな習慣がついた頭には、?が点きっぱなし。しかし、最後まで読みとおして、面白さというか味わいがわかってきた。貴重な体験だったと思う。
歌集の後半は、お母さまの介護の歌が中心で、深い愛情と感謝に満ちている。たまたま私の母の命日の夜に読んだので、感慨もひとしおであった。

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