気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

きょうの朝日歌壇

2010-09-27 19:35:50 | 朝日歌壇
アルバムと古き手紙を取り出して母を偲びぬ秋の夕暮
(アメリカ 郷隼人)

山道にありをりはべりいまそかり団栗は皆己れの形
(可児市 前川泰信)

老眼はときに優しき視力なり「ぼんやり」という安らぎも在る
(広島県府中市 内海恒子)

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一首目。まっすぐで何もわからないところのない短歌。めずらしい気がするくらいまっとうな作り。作者は最近、お母様を亡くされたらしいが、その感慨がそのまま出ている。こういう歌を作らなくなってきている私たちは何を目指しているのか、考えてしまう。
二首目。団栗のそれぞれの形から、「あり」という動詞のいろいろな言い方を呼んできて面白い作りになっている。
三首目。老眼がはじまったら、ちょっとぼんやりして暮らすぐらいが丁度いいのかもしれない。いつから私たちは「ぼんやり」の楽しみを置いて、こんなに忙しくなったのだろう。忙しくしているつもりでも「天然のぼんやりのまま」で、気の利かない私のような人間もいるのだけど・・・。

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