気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

乳房雲  田中教子  つづき

2010-09-24 00:09:22 | つれづれ
鴨肉を捌(さば)けばくらき胸の中かつて飛びたる空がひろがる

刃の先にひらかれるとき肉体を離れし我が海辺を歩く

指先のかすかな塩の味はひに生ある今の不思議を思ふ

生きものの命を食べてその分をながらへわたる八月の朝

顔のうつるスープのおもて掬(すく)ひつつ不安もともに飲み込んでゐる

朝のパン鳥と分かちて遠い日の母との会話を思ひ出したり

目の奥がキシキシと鳴る 人生は思はぬところに穴が開いてゐる

とげだらけの言葉をうけてきた一日 鞄(かばん)の奥のしめりが重い

バットを手に周囲のものをことごとく壊したくなる夜のあり

駅舎より一車両分をはみ出して終はる線路に春がきてゐた

(田中教子 乳房雲 短歌研究社)

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短歌に表現される事柄と作者の実人生は、必ずしも重なるものでないことは、十分承知しているが、病気のこと以外にもハードな人生を強いられているように見える。歌にすることで自分を客観視し、ほかの人に知られても大丈夫というギリギリのところで表現されているのだろう。最後に引用した歌のような「春がきてゐた」というような明るい終わり方の歌を読むと、ほっとすると同時に応援したくなる。

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