はげまして書類に見入るイトーキの椅子に支える一日長し
われに出来子規果たせざるものは何五月闇なる真夜に腕くむ
勤務(つとめ)より帰りし部屋を充たしたる酸ゆき蜜柑の香は浄かりき
息かけて眼鏡の玉をティッシュとううすき時世の紙にて磨く
鴎外の口ひげにみる不機嫌な明治の家長はわれらにとおき
夕餉おえ子は王と化しファミコンの地球を救う闘いに赴(ゆ)く
暴力は家族の骨子-子を打ちて妻を怒鳴りて日日を統べいる
(小高賢 家長)
***********************
小高賢作品集を少しずつ読んでいる。『家長』は第二歌集。サラリーマン(編集者)として働く哀感を詠った歌に共感できた。
歌集の題にもなった鴎外の口ひげの歌は、特に有名。
しかし、七首目に取り上げた暴力の歌は、いただけない。フィクションとして詠んだ歌なのか、本心なのかわからないが、私にはこれを歌集に載せるという神経が理解できない。何か深い思惑があってのことだろうか。
われに出来子規果たせざるものは何五月闇なる真夜に腕くむ
勤務(つとめ)より帰りし部屋を充たしたる酸ゆき蜜柑の香は浄かりき
息かけて眼鏡の玉をティッシュとううすき時世の紙にて磨く
鴎外の口ひげにみる不機嫌な明治の家長はわれらにとおき
夕餉おえ子は王と化しファミコンの地球を救う闘いに赴(ゆ)く
暴力は家族の骨子-子を打ちて妻を怒鳴りて日日を統べいる
(小高賢 家長)
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小高賢作品集を少しずつ読んでいる。『家長』は第二歌集。サラリーマン(編集者)として働く哀感を詠った歌に共感できた。
歌集の題にもなった鴎外の口ひげの歌は、特に有名。
しかし、七首目に取り上げた暴力の歌は、いただけない。フィクションとして詠んだ歌なのか、本心なのかわからないが、私にはこれを歌集に載せるという神経が理解できない。何か深い思惑があってのことだろうか。
今年もよろしくお願します。
小高さんは、奥村晃作さんと同じか、それ以上に、リアリズムを追求したいのではないでしょうか。
しかし、うまいなぁ、と、何度も何度も感嘆させられるんですが、塚本邦雄さん、小高さんは、「一日十首」を実行していたそうですね。
一年にすると、3650首。もう、作歌体力が、ハンパじゃないです。
「質」のこともあるんでしょうが、多く作るに越したことはないんですね。
僕も、去年よりは一首でも多く、いい歌が作れるようにがんばりたい、というのが、今年の抱負です。
小高賢さんが一日五首を課題とされていた話しは知っています。私など、一日一首できれば、ほっとします。朝に出来ればあとは安泰という気分。これではいけませんね。
tamayaさん こんにちは。
『家長』には、明治の文学者を題材にした歌がたくさんあるので、その一部として森鴎外が出てきて、歌集の題名になったのでしょう。あとがきに上野千鶴子の本の引用などもあり、わかってやっていらっしゃるのでしょうけれど。私は、まんまとその策略に乗ったのかもしれません。
3首目、山崎正和さんの『鷗外 闘う家長』という評論を思い出しました。
山崎正和氏は、劇作家でしたっけ。よく知りません。
家長という言葉は、明治大正の匂いのする言葉ですね。
小高賢さんは私の大好きな現代歌人の一人であり、かつ、本日近藤さんがお取り上げくださった『家長』は私の愛読書ですので、特に興味深く拝見させていただきました。
ところで、掲載された小高作品のうち、五首目の「鴎外の口ひげにみる不機嫌な明治の家長がわれらのとおき」は、正しくは、「鷗外の口ひげにみる不機嫌な明治の家長はわれらにとおき」でしょう。この歌は、歌集名『家長』の典拠となった歌であると同時に、小高さんの代表作品の一つと目されている著名な作品ですから、ご訂正なされた方が宜しいでしょう。
ご指摘ありがとうございました。早速訂正しました。
小高さんにも失礼なことをしてしまいました。
今後このようなことのないよう、充分注意いたします。本当にありがとうございました。