気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

乳房雲  田中教子

2010-09-21 22:50:30 | つれづれ
神の手に乳房落としし我が姿 慣れるしかないひとひらの鬱

虎の背を吹きゆくかすかな風の中 見えない明日を私は生きる

じわじわとのびつづけてゐる犀(サイ)の角 生きるといふは意識せぬこと

隣人の不幸を窺ふやうにして柵に寄りゆくカンガルー一頭

おだやかな眼差しかへすキリンたちいつも遠くが見えてゐるから

乳垂れの銀杏の下をゆく夕べ我に欠けたる乳房を思ふ

アスパラの緑の茂みにひそまりて人目をさけたい冬の一日

動物園の回転扉はじまりもをはりもあらずまはりつづける

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銭湯のやうなしめり気ほのぼのと動物園前駅を降りれば

現(うつ)し世(よ)と隠(かく)り世(よ)の間(ま)をキラキラとひかりつつ降るひなたあめ

薬剤の副作用としてどんよりと重たい身体をひきずる鼠

夕空へとびたちさうなすがたして通天閣に灯がともりゆく

(田中教子 乳房雲 短歌研究社)

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第三回中城ふみ子賞の受賞作「乳房雲」五十首を、巻頭に置いた田中教子さんの第二歌集を読む。
田中さんとは、何度か歌会でご一緒したことがあるが、明るい印象の方で、重大な病気で苦労されたことなど感じさせないパワフルで素敵な女性だ。

実際に、乳がんで亡くなった中城ふみ子の業績を記念して始まった「中城ふみ子賞」の受賞者に乳がんの経験者が選ばれたときには、「つき過ぎ」じゃないの?という思いがよぎったが、実際にその作品を読むと、作者の田中さんが動物園を訪れて、さまざまな動物を観察して歌にしながら、自分の心と向き合い、気持ちを整理し、迷いながらも前向きになっていく過程が読みとれて、受賞されたことも納得できた。
アララギ派に所属しておられて、写実を旨とした歌を学んでおられるので、読みやすくすんなり言葉が読み手に迫ってくる。嫌みがない。
また、歌集の右ページには、縦書きの短歌が、左ページにはその英語訳が載せられていて興味深く読むことができた。
引用した前半の八首は「乳房雲」五十首から、後半の四首は「ひなたあめ」の一連から。

最近の短歌の賞を獲得した作品を読んで、その良さや歌の解釈にわからないことがあり、私の考えややり方は古いのか、どこかずれているのだろうかと感じることがあったが、田中教子さんについては、こころから拍手を送りたい気持ちになった。
彼女は「捨て身」で短歌に立ち向かっている。「夫に気がね」していては、スカっと良い歌が出来ないのは当然!・・・と反省する。

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